三郡縦走路のほぼ中間点にある航空路監視レーダーサイトにて。左から笹原、柴田、高本




        

ようやくたどり着いた若杉山(と思われる)。宝満山登山口から歩程約7時間(くらいだったか?)の
長丁場、皆さんお疲れ様でした。


高本君の写真を修整しながら、ふと自分のアルバムを取り出して、中学、高校の頃の写真を探してみた。
バラバラだったが、何枚か見つかった。 顔は覚えているが、名前が想い出せない友が大勢いる。
で表した名前は思い出せないので、分かる人がいれば教えて欲しい。
このページの名前を順次修正します。

1年生と2年生の時の私のクラスの集合写真が出て来た。 (3年のはHPのクラス写真に載っている)
そうか、あいつとは1年の時、2年の時一緒だったんだ、と今更ながら思い出してしまった。




修学旅行の時の写真をランダムに載せる。モノクロ写真である。

 
  ? 谷口? 高本 服部 安永 宮城  田中                  高本 服部 棚田 三堀




  服部  棚田            服部   棚田     竹内 黒崎(前田) 藤野 服部
                 
                 どこだったか 覚えてない! 







 

 

 
   土居    棚田   寒い!                 高本   小田


 
  三堀   高本   柴田(健)            三堀       柴田(健)


 樋口 宮城 本嶋 服部 (何処だか覚えてない)


   ここからは、色々な当時の写真

 
文化祭の後のフォークダンス。 (棚田)      体育祭の応援団太鼓(棚田)
好いとう人がなかなか回って来ん!!



    田中、棚田、            川庄            黒崎(前田) 田中
シェーが流行ったね。          澄まし顔          黒崎のアホ面に呆れる田中


 服部 ?? 棚田 柴田 重松? 松本先生 ??  ??          文化祭での落語(棚田)
                                                  時そば。
     
      棚田、本嶋、室井? 何処だったか???

  ここからは、英検(ESS)

白木原、春日原ベースのカーニバル、何故ESSに樋口付いて来たのか分からない。



 



                    英語劇(裏に名前が書いてあった, 皆後輩))
        後列 吉弘 柳川 吉浦
        中列 塩手、蓑田、山本、楳木、大林、荒木
        前列 高木、西、浜地、田中、森川、森田

このHPに載ってない懐かしい顔が沢山るでしょう。まだ、探せば沢山あると思いますが、次回にします。
私は、3年間男子クラスだったので、写真はほとんど男子。 女性軍も懐かしい写真があれば送って
下さい。掲載します。

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 旅に出よう、あの頃へ!   

         セピア色の青春

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ひとしきり、ジャレあったら、再び隊列を整えて歩き出す。   左から渡里、三宅、柴田、城野、高本


     若き日の三郡縦走の思い出


 


今やシャンプーの使用量も激減し、厚顔のチョイワル爺さんになりつつある我々であるが、半世紀前
は大望を抱く紅顔の筑紫男(チクシガヲノコ)達であった。
これは昭和44年初夏の頃、宝満登山と
後日の宝満から三郡・若杉まで縦走したときの思い出のワンシーンである。
なにせ遠い昔の思い出
なので、多少の記憶違いもあるかもしれないが、お気づきの方はお知らせください。
 文責:高本

 
  
(左)宝満への山行は太宰府天満宮への参拝に始まる。
山行の無事を祈るともに、将来の夢の実現を祈る。
              前列左から高本、柴田、田中
              後列左から三宅、高野、笹原、松浦、渡里          

(右)参拝の後は、菅原道真を慕って京都から飛んできたという「飛梅」の前で。 
左から城野、福田、松浦、高本

 

腹が減っては山には行けぬ。何はともあれ腹ごしらえ。 同じく昼食中 左から高本、松浦、笹原、三宅
左から城野、高野、柴田、田中(前)、渡里

抜けるような快晴の中、初夏の日差しは心地よい。宝満山の中腹にある「中宮」にて。 
左から福田、城野、高本、衛藤

       

宝満の山頂を過ぎ、ここからは福岡市の西に位置する若杉山に至る三郡縦走路となる。さあ、気合を入れて
かかろう。
後方左から柴田、高本、中段左から笹原、高野、最前列左から田中、渡里、三宅、そして城野は
ここでもポーズをとる。


              

カメラマンと配列を変えてもう一枚。「ウワー!髙本やらあっち行けー!」とはしゃぐ柴田に「こいつら子供やねー」とニヒルに笑う高野。
後列左から高本、柴田、三宅、笹原。前列左から高野、松浦、田中、いつも半身の城野。

 

(左)フーッ!だいぶん歩いたけん、チョコッと小休止しようや。ウン、休もう休もう。後列左から
笹原、高本、三宅。
   中段左から渡里、松浦、高野。前列左から田中、城野。                   

(右)一休みの後、若者はまた歩きはじめる。高野リーダーを先頭に、
「♪歩こー、歩こー、僕らは―元気―ッ!!」
左から三宅、高野、柴田。

       

先走りしようとした柴田が、木の根っこにつまずいてコケる。そんなチャンスを逃す我等ではなかった。
皆がいっせいに駆け寄って、柴田に飛びつく。「コラーッ、おまえらどかんかァー」、「ヒエーッ、つぶされるー」
「ムギュー!!」と、阿鼻叫喚の大騒ぎ。
大混乱の中で笹原、三宅、松浦、渡里、城野、高本、柴田
、などが写っています。

卒業以来、大学、就職、家庭、子育て、そして定年、、、皆それぞれ色々あった。その頃は高校時代を振り
返る余裕も無かったかも知れない。 今になってあの頃の写真を紐解くと、思い出がたくさん湧いてくる、
あいつ、こいつ、あの人、この人、中には顔は十分覚えているが、名前を思い出せない友もいる、
いや沢山いる。しかし時を共有したあの頃のシーンは覚えている。
古希の時代を迎え、記憶も年月とともに薄らいでくるのも否めないだろう。
ここに懐かしい写真のページを、ランダムな表示で開設する事にした。同級生全員に楽しんで欲しい。
顔が分かるように、セピア色も、ぼけたモノクロも修正を加え、大きめの写真で掲載します。

ご無沙汰してます福嶋です。

暇してアルバムを見ていたら、高校1年の集合写真が出て来たので送ります。一年六組で担任は
竹内先生でした。入学してすぐだから懐かしい15才の時ですね。どうしても名前が出てこない奴も
いるが、同じクラスになると、殆んど覚えているものだね。蒲鉾板に焼印を押した札を自転車に付けて
通学してました。もう一枚は、高木達郎、中村純治、福嶋史憲、進藤邦輝、山根純治です。高校卒業
してから博多駅で写したものだと思います。何で集まったかわからん。
中村純治だけがネクタイをしている。??
「セピア色の青春」に追加がないので、数少ない写真から送りました。


投稿写真:飯田(上野)広美さん

遺品整理の時に出てきて、妹さんとお互いに若いね!と笑い合ったそうです
女性陣のは、鶴田、矢野、谷畑、中当さん達が沢山写った貴重な写真です。との事です。


。「修学旅行」の時に撮ったものです。

橋本さん、岩谷君、須賀内君、達に立石先生。



このページは、このままでは終わらない。更なる思い出を詰め込んでゆく予定である。それには皆の協力
が要る。これを機に、思い出のアルバムを紐解いて、懐かしい写真があれば、メールでも、写真そのもの
でも良いので編集者に送って欲しい(必ず返送します)。
出来れば、名前や解説なども歓迎する。

本当に皆に協力して欲しい。

そして、このページを 21回生の「思い出のアルバム」としたい。

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                 修学旅行と英検その他    棚田



 

          





また、送ります。 Topページへ

1年6組 集合写真・スナップ 福嶋
 2 修学旅行と、英検(ESS)その他  棚田
 3  若い日の三郡縦走の想い出  高本
 4  投稿写真・修学旅行  飯田(上野)広美
 5  古ぼけた懐かしの写真  川邉
6   新しくて懐かしい 筑紫丘近影 藤田
     
     
     


筑紫が丘近影 新しくて懐かしい

昨年 藤田君から送られた、現在の筑紫丘の写真。
在福の人は訪ねる事は出来るが、他の地域に住んでいる者たちは、そうそう訪ねる機会はない。
新しい写真だが、これを通して 昔を思い出して、懐かしく感じられたらいいね


  

            昔の新館が今も残っていた。

 

講堂が堂々と、、、、、、                 運動場は変わらないか、、、、

 

講堂側から見て、奥は昔の柔剣道場、プール(想いだせるかな?) 柔剣道場側から見る

建物は変わっても、全体の雰囲気は昔を思い出させる。 新しくて、懐かしい写真でした


川邉君から、古ぼけた写真が送られてきた。

まるで、小さな、古ぼけた古文書のような写真。何とかマシに見えるようにならないか?
と言う依頼。 う~~む!やってみよう!。





                         裏側 

           何とか、修正してみようと何度か試みた。




修正・復活技術はこれで精一杯、誰が誰か 分かるだろうか。 でも雰囲気は懐かしい。
川邉君 ありがとう。これで良いかな?