筑志会 2018年           

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 写真と散文で巡る・東京 トレッキング 32年ぶりのバーベキュー
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                     2018年忘年会

  

12月1日(土)に神田花羽(みちば)にて、24名が集まり忘年会を開いた。 常任幹事の多田君が多忙の為、臨時で棚田君が幹事役を勤めた。

今回は 先ずは、全員の写真から見てもらおう。

 
                                                                    (終電)先に帰った脇さん

体調を崩した者、癌から生還した者、現役バリバリの者、余暇を楽しんでいる者、連れ合いの病気で苦労している者、
それぞれ色々あったが、皆、今年も元気で乗り切った。遠方から来てくれた安永君、田中(義一)君、そして久々の参加の
蔡さん等、指定時間の5時に皆ぴったり揃った!見よ!この団結力!

臨時幹事の開会宣言の後、酔っ払う前に、原君、吉原君から来年の 散策・街歩きプランが紹介された。

1) 1月26日(土) 吉原君提案                   2) 3月30日(土) 原君提案
   ペリー上陸の足跡と、富士山を望む三浦半島散策。       徳川家康ゆかりの社寺と駿河台を訪ねて 
                                           終わって、神田花羽で飲み会

                                  

また年間の他のスケジュールも決められた。

3)6月16日(日)
  志士の会 (幹事・三宅君) 

4)9月29日(日)
  筑志会(花羽)
  ※ 街歩き提案があれば、それをプラス。

5)12月1日(日)
  筑志会 忘年会

まだ仕事を持っている者もいるので、皆で話して土曜日ではなく日曜日に出来るだけ行う事とした。

次に遠来の義一君に音頭をお願いして乾杯。挨拶は短くと頼んだら、本当に短かった、驚き!!!
                   乾杯!

今年の楽しかった事、悲しかった事、来年の抱負など、皆から報告を聞く前に、先ずは飲む!食べる!

   

暫くすると、興に乗って、それぞれの相手と色々な話が始まった。楽しいひと時である。

   
  お互い経験した病の話か?             珍しく、村上君が飯田(神子)さんと         高本君が旧知の蔡さんと密談?
                                 じっくり話している。

   

   
     12月末に東京を離れる松浦君が 名残惜しそうに話している。                     科学技術の話か?

                        
                        驚いた事に、河合(木田)さんが天敵の田邊君が
                        木田さんの隣で、堂々としゃべっている!
                        彼も 成長したか!!!!!

参加者のコメント

棚田君

今日は121日、4K,8K開始の日で、世の中、技術が驚異的に進んでいる。我々の世代も、
ついてゆくのが難しくなってきた。
一方、先月は筑高と中学の同総会で、2度ほど福岡に帰り、暫く過した。
中学校の同総会では、当初から自然と、あの時代の博多弁そのままで話していた。
楽しかったが、街に出て驚いた。店や通りの若者が、博多弁をしゃべってない。
ほぼ、東京弁と同じ様に話している。故郷に帰って、街で故郷の言葉が聞け無いというのは
本当に寂しい。最初に言った技術の進歩にも、遅れないようについて行こうとは思っているが、
高校や中学の絆、古き良きものは忘れないようにしようと思っている。

松浦君

12月で一応仕事を終えて、広島に帰ろうと思っている。東京に来て約4年間、色々有ったが
この様な会にはすべて皆勤賞です。実は単身赴任での東京の生活はあまり楽しくなかったので、
筑志会のような集まりに参加させてもらって、良い思い出になったので、皆さんに感謝致します。
広島に帰っても、東京に子供や孫も居るので、こういう会には機会があったら来ます。
ありがとうございました。

 

田中(義一)君

関西から来ました。明日娘のところに行き、ディズニーランドに行きます。今日この辺を歩いて見ました。
この会は昔は 波留美会と言って、寄川君が行ってた店で、私と城野君と亡くなった笹原君が飲み始めたのが
発端です。最初の波留美の店も、2番目の波留美の店も 建物が取り壊されて新しくなり、うつり変わりに

寂しい感じがしました。笹原君が亡くなって5年半になります。この会は最初は笹原君が幹事で盛り上げて、
笹原君の後、多田君が大いに盛り上げてくれて今に至ります。私は関西に居ますが、皆さんもこの様な会を
今後も一層盛り立てていって欲しいと思います。

 

高鍋君

原さん、素敵な町歩きのプラン有難うございます。その中の一つ ニコライ堂は確か設計がイギリス人の
ジョサイア・コンドルだったと思います。確か原さんの大好きな東京駅は辰野金吾の設計ですよね。その
辰野金吾は ジョサイア・コンドルの一番弟子ですよね、だからニコライ堂は原さんに非常に関連がある
ところです。実は志士の会に参加したのと、私が会社を作ったのが同じ年で、14年経ちました。
会社も大きくなり、私は先月退任致しました。嬉しかった事の一つです。来年次の会社を作ろうと準備してます。
今年大阪の同総会、福岡の同総会に参加しましたが、やはり東京の会はすごいですね、結束力、集客力。
これも献身的な幹事さんのお陰だと思います。

 

村上君

この会でみんなの元気な姿を見るのが楽しみで参加している。退職後8年間なにも変わらず、読書三昧の
日々を送っております。去年橋田壽賀子の「安楽死で死なせて下さい」という本を紹介しましたが、
今日は別の作家を紹介したい。帚木蓬生という作家を知ってますか?久留米出身で、我々の3つくらい
上の人ですが、東大の仏文を出て、社会に入りその後、九大の医学部に入り今でも精神科の医者をやっている作家。

色々な社会的な面を医療から、環境から真摯な表現で、好きな作家ですが、その中でも「みたびの海峡」と
「逃亡」と言う本が好きで、皆さん機会があれば読んでみてください。

吉原君

癌んのほうは、一応「消えた」と先生はおしゃってるんで、もとに戻ったかな〜とは思うのですが、実は親父が
癌を再発させて亡くなっているので、私の場合もまた来るのかな
~という危惧もありますが、この会には出来るだけ
出ようと思ってます。今年なにをやったか?と言われるとあまりないが、女房と一緒にイギリスには行きました。
通常の日々は、女房に疎まれているので、外歩きをしようと、提案の企画を考えました
宜しくお願いします。

 

高山君

皆さんにも良い話を一つ。以前両親と一緒に住もうと博多の家を売り払ったが、親父が亡くなって甘木の家の墓に
入った。今では福岡には墓以外には何も残ってない。そこで市役所に電話して「故郷納税の返礼の
代わりに、
墓掃除をやってくれ」「東京での同総会でも、皆故郷の墓の維持に困っている」(ゴメン皆さんをだしに使いました)
と頼んだら、そんな事はやってないと断られた。仕方なしに、シルバーセンターにお願いしたら、8,000円で
年2回の墓掃除を請け負って(線香や花は実費)くれる事になって
良かったと思っていた。ところが先日市役所から
電話が有り、故郷納税の返礼の代わりに墓掃除というアイデアを採用する事になったそうだ。これで、東京へ墓を移す
必要が無くなって非常に嬉しい。この意味は、この制度により、子供・孫の世代になっても、墓はきちんと維持できる
という事。これは故郷納税の返礼の趣旨に
最も適っていると思う。

 

城野君

楽しい事は仕事の関係で まだ若い人たち(女性)と付き合える事。 まずい事は、奥さんをないがしろにして
きたので、現在、統合失調症(精神疾患)というのにかかって入院してます。改善は望めないかも知れないが、
実を言うと、ずっと年下の嫁さんをもらって、自分が年取ったら介護して貰おうと思っていたのに、自分が嫁さん
を介護せねばならなくなった。今更遅いかも知れないが、皆さん奥さんを、ないがしろにしないほうが良いですよ。

 

須河内君

5月に、家族に疎外されていた私にとって16年間唯一の同胞だった犬が死んだ。6月には車で旅行中、帯状発疹
になり苦労した。高山君のお墓の話だが、私も毎月大宰府のメモリアルパークにお参りに行っている。

福岡の市内が一望出来る。タバコを吸っていると女房から「ボーッと生きてんじゃないよ!」と叱られるが、
同胞の犬が死んでからタバコが増えた。今は数少ない楽しみの一つ。来年は東南アジアを7カ国くらい訪ねて見よう
と思っている。

 

太田君

趣味は釣りと映画と音楽鑑賞。その中で 映画の話をすると、今年19本のロードショウに行きました。その中
でも最高は、先週見た ボヘミアン・ラプソディー(1970年代のクイーン)。是非 シニア割引で
1, 100円
絶対見てください。それと私の従兄弟の息子(曽根麻央)がJAZZ トランペッター、
ピアノの二刀流で
メジャーデビューしました。これからのJAZZ界を担って行く逸材と言われていますので、
応援してます。
最後に、今年糖尿病で入院し、改善はしましたが、この血糖値を測る機材を持ち歩いて、チェックしながら、
大いに飲もうと思ってます。

 
飯田(神子)さん、

平々凡々の生活ですが、懐いていてくれた孫が12歳になり、最近よそよそしくなった。まだ幼稚園の孫が居るので、
孫の実感をまだ味わえると思ってます。9月の大風で、隣の空き地の、うちとの境にある万年塀(コンクリートの板
で出来た塀)が倒れた。何とか持ち主を探したが、倒れた塀を廃棄物として処理するのに60万円、新たに建てると
100万以上かかると言うことで驚いた。幸いうちは保険に入っていたので、助かったが、皆さん 保険も大事ですよ。

 

脇(小林)さん、

松浦君が居なくなるのがすごく寂しい。私は意外と個人の名前を言う女なんです!若いときはすごくハンサムだった。
私は高校教師を定年で辞める時に、そのまま ズルッと高校に残ったのではっきりとは退職はしてませんでした。
2年前学校の方針が気に入らないとファックスで退職願いを出しました。貴乃花がファックスで協会を退職したように
、人に会って話すと心変わりをするかもしれない弱虫なので。やはり辞める時は、気高く美しく辞めたほうが良いと
思います。

 

蔡さん

アンニョンハセヨ! 私みたいな者がこの会に参加しても良いのか迷うほど、すばらしい会だと思います。
自分の国でも同窓会は参加したことが無く、人生初めて同窓会に参加しています。主人が家で皆様の事を
彼はこうだ、彼女はこうだと話しているので、皆様の個人情報?は何故かよく知ってます。主人はいつも皆様の事を、
ネットにHPに載せる為に一生懸命やっているようです。これからも宜しくお願いします。

 

河合(木田)さん、

今年7月の暑い時に引っ越しました。落ち着きましたか、と聞かれてもほったらかしだから、、、家と言うのは
考えていたようには建たないなと思いました。2世帯住宅で、自分のコンセプトどおりにはいかない。出したものは
片付けるというコンセプトが年取ったら面倒で、、家が少し古くなってきたら自分の住み易い家になるのだろうなと
思ってます。

 

高鍋夫人(笠)さん、

過去の事を忘れてしまう良い性格だと思うのですが、今年一番大きな出来事は先ほど主人から報告があったように、
自分で作った会社を退任した事です。リーマンショックの時など大変だっただろうなと思いますが、そういうのを
乗り越えて、いつかは退任する時は来るのだろうと思っていたのでしょうが、いざ時が来て見ると自然に受け入れら
れたようです。ゆっくりすればよいのに、主人はじっとしていられない性格で、精力的に家の掃除とか、庭の手入れとか、
アンプの修理とか鉄道模型の修理とか すべてやってます。さっき濡れ落ち葉になるなんて言ってましたが、主婦の座が
危うくなるほど、精力的に家をきれいにしてくれてます。福岡の同窓会に参加して、主人がじゃんけん大会で優勝して
商品を貰いました。その日の帰りの新幹線で空けてみたら、なんと西鉄グランドホテルのディナー券でした。
期限が1月末までなので、また福岡に帰ろうと思ってます。

 

飯田(上野)さん、

今の笠さんの話を聞いて、主婦の座を脅かされてみたいなと思いました。今年最大の出来事は、卒業して初めて
福岡の同窓会に行ってきました。誰が誰だか分からずに、東京のこの会の見知った人たちが居なかったら、

会場を間違えたのかと思うほどでした。街歩きは直前にぎっくり腰になって参加できず残念でした。
次回はそんな事が無いように、慎重に慎重にやってゆくつもりです。

高本君

ケンタッキーに居る長女のところに行って来ました。何でこの帽子をかぶっているかと言うと、キーンズファーム
という競走馬を育てたり、売ったりしている牧場で、そこで買いました。帰りにシカゴから帰る時に、空港で係官に
呼び止められ、1万ドル以上持ち出してないかと聞かれました。持ってないと答えたのですが、
よく考えたら帽子に
馬の絵がかいてあり、競走馬のセリがあるときには世界の大富豪が、ジャンボ機5機くらいで集まるらしい。
福岡の同窓会の折、同窓生と武雄温泉に行って来て、入り口の楼門の十二支のうちの四つを見てきました。
皆さん覚えているかな 2
-3年前原君の案内で東京駅を観て来た時に、駅のドームに十二支のうちの八支しか無かった。
これで武雄の四支と東京駅の八支、全部で十二支を観た事になりました。また名古屋に行って、徳川美術館に行き、
源氏物語絵巻の本物を観て来ました。

 

三宅君

筑紫郡那珂川町が、10月から福岡県那珂川市になりました。普通は合併などして、市制になるのですが、那珂川は
博多南駅のお陰で、自身で人口が増えて市になったという珍しいケースらしいです。筑紫郡と言うのは歴史が有り、
市内の春吉のあたりから筑紫野の里だったと言うことです。筑紫の名を残して欲しいと役所に筑紫那珂川市と名付けて
しいと提案したのですが、ダメでした。もう一つ、佐倉市国際文化大学と言う市民大学に行く事になり、奥さんも
行こうかな、と言ってくれているので、少しは仲良くなれるかな、という寿ぐ話です。

 

安永君

鹿島臨海鉄道という田舎路線を使って参加しました。鹿島サッカースタジアム駅と言うのがあります。今日は鹿島
アントラーズとサガントスのJ1最終節で、サガントスが負けるとJ2降格。 大勢の人が降りる駅で、この会参加
の為、悔しい思いをして降りずに東京まで来ました。でも諦めきれず秋葉原のネットカフェ(初めて入ったのですが)
で2時から4時まで試合を見てきました。結果は0−0、サガントスはJ1に残れることになりました。我が鹿島
アントラーズは3位で勿論残れます。まあアントラーズの為に、この様な田舎を離れられずにいます。

 

福嶋君

今年1年、同級生達に よく遊んでもらいました。大阪の同窓会の正倉院展にも行って、皆様にお世話になりました。
今度記事にしましたのでHPに載せてもらいます。福岡の実家をリフォームして古民家風にしたのですが、
予算が大幅に外れて、今後は遊びも自重しなければと思ってます。

 

山根君

1年を振り返って、良い事悪い事、大なり小なり 云々と言いますが、私の場合は中なり小なりで、大きな事は有り
ませんでした。来年も小なり小なりで行きたいと思います。太田君の話の クイーンですが、私も妻と観に行きました。
映画も素晴らしいのですが、YOU TUBEで観るのは本物で、映画のシーンと同じで、映画はよく作ってあるなと
思いました。我が青春の思い出です。

 

田邊君

笠さんの話で、旦那が退職したら、妻の座を脅かされそうと言うのが有りましたが、コメントを削除して欲しいなと
頼んでいたところです。何故かと言うと、うちの女房は私が退任したら、うちの事は半分以上は手伝ってもらうと、
虎視眈々と狙っているから。高山君の話の 朝倉の故郷納税だが、私も実家が朝倉で、あの時見に行ったが、
実家は跡形も無くなっていた。しかし朝倉の返礼品の柿は美味しい。皆さん納税は朝倉に。
2023年の技能五輪の
国際大会を日本に誘致しようと、オランダのアムステルダムに行って立候補してきました。
アムステルダム駅は、東京駅のモデルになったと言われているが、あまり似てなかった。JRの東京駅のほうが立派!

 

原君

今年の6月に スパッと会社を辞めました。会社に居る時は、こげな事やって、、と怒られるような事を、
退職後出来ると思っていた、昔やっていた事は簡単に出来るtろ思っていたが、鉄道模型制作で、ハンダゴテが
うまく出来ない、プールで平泳ぎ、クロールなど 筑紫が丘のプールでやっていた事が、今は もどき しか
出来ない。
これはショック!水泳教室に入った。20人うち男は2人。女性はそんなに若くは無いが、女性の水着を見たのも
久し振り、しかし女性の前で上手く泳げなくて惨め! 学んだ事は、女性は水に浮く。男性は沈む。俺もサラリーマン
人生で、上手く泳げないで沈んだ人生だったかな。来年は衰えてゆく自分と抗いながら生きてゆこうと思います

 

添田君

今災害復旧計画をやって、壊れた港の復旧に取り組んでいて、おそらく3年くらいかかるので、3年は現役でいれるな、という嬉しい報告です。


  参加者24人の元気な近況写真(敬称略にさせてもらった)


 棚田        松浦       田中(義)      高鍋       吉原       高山       村上       城野

  須河内        太田       飯田(神子 )    河合(木田)    高鍋(笠)   脇(小林)     高本      飯田(上野)

  福嶋       安永       山根        原       添田        田邊        三宅         蔡

2年後には 古希を迎える我々だが、幾つになってもこの絆は変わらない。
来年も 企画が色々有り、楽しく過す時間は多い。元気に集う為にも、元気で過してくれ。 良いお年を!

               そして、また会おう!    
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            写真と散文で巡る・東京 トレッキング

        西郷(せご)どんの ゆかりの地  10月27日(土)
 
前日の予報は午前中雨であった。翌早朝は、怪しい空模様であったが、それでも弾む心に促されて、電車を乗り
継ぎ集合場所へ急いだ。高架を走る車窓から見える空は、意外と明るく、一部陽も射していた。その分、バッグ
に入れた折り畳みの傘が悔やまれて、少し重く感じた。

指定駅に着き、エスカレーターで1階集合場所へ急ごうと思って気が付いたが、意外と人が少ない。都心の駅は
この時間でもいつも混在していて、階段でも肩で押し合うほどの、込みようである。ふっと思い返して、今日が
土曜日である事に気が付いた。長年の通勤習性が身に付いた私には、土曜日の10時という時間帯が、何か新しい
風景のように感じられ、苦笑しつつも集合場所のコンコースへ急いだ。もう2-3人が早々と集まっており、久し振り
の友の顔も見えた。挨拶もそこそこに渡された今日の予定コース説明を見入っているうちに、何人かが続けて集まった。
来る友の顔に映す光の明るさが、外が晴れてきた事を告げていた。

10時には14人が揃い、幹事のコース説明後、出発、まずは近くの島津公爵邸に向かう。

  


五反田の駅を出て、陸橋を越える時のふと見上げた空は、予報を裏切って正に秋晴れに近い。

陸橋を降りて裏道に入る。この辺は定年前の会社が有ったとこで、知っているはずだが、この様な裏道は歩いた事が無く、
初めてのようでつい首を回らせてしまう。路地の日陰に入ると少し寒いかなと思ったが、歩いていると意外と暑い、
寒い予報だったので厚着が恨まれる。周りの仲間も上着を脱ぎ始めた。空は、正に秋晴れと言っても良いだろう。 
見上げるビルの窓に、「イスラム」の文字。そういえば、先ほどの陸橋ですれ違ったカップルも中国語を話していた。

この町も、ついに海外からの波が押し寄せているのかと、感慨深いものがあった。

この東京だけでなく、日本全土どこでも、海外からの高波を防げるほどの防波堤は見当たらず、低く侵食する波でさえも、
流せ去る水路もなく、響きの悪い「国際都市」という安っぽいレッテルだけが、そこらじゅうにベタベタ貼られている
気がする。

前方で幹事が立ち止まって、左手を指して説明している。左手を見るとマンションや住宅の後ろに、こんもりとした木々
が見える。どうやらそこが目指す島津公爵邸らしい。左手に曲がり、ゆるい坂道を、少し汗ばんだ体を引きずって上って
行くと左手に「清泉女子大」の看板が見えた、そこが入り口らしい。大学の中に島津公爵邸があるのか、島津公爵邸の中に
大学があるのか定かではないが、大学では学園祭をやっていて、訪れる客も我々のような公爵邸見学者と大学祭参加者と
2
種類あるようだ。
 

入り口を入る前に、幹事の事前説明を聞くために集まり、はぐれた時の集合時間を決めて入り口に向かう。女子大生が
テントで島津邸の説明を含む 大学祭のパンフレットを一部100円で売っていたので買う。考えてみれば、女子大生の年代は、
我々世代にとっては、子供の年代でもなく、孫の年代でもない縁遠い年代である。使う言葉も、はしゃぐ雰囲気も未知の
ものである。彼女等より下の年代は、小学生まで、例えば「有名人に会う」「感動した事」「嬉しい事」を総じてヤバイ!
ヤバイ!と言う。君たちの言葉のほうがヤバイよ!と言うのは、今や時代遅れか。

閑話休題

話は逸れたが、道は逸れずに進んでゆこう。

  

                          

上り坂の入り口に、何か由緒有りそうな井戸がある。結構高台に位置するこの場所にそぐわない井戸には、何の説明も
書いてない。つい通り過ぎてしまう。鬱蒼と木々に囲まれた坂道を上ると西洋式の建物が見え、なにやらハイヤーなど
来ていて、立ち並ぶ人達のものものしさが伝わってくる。ハイヤーに乗り込んで出て行く人に、立ち並ぶ人が深く頭を
下げる。最近こういう場面に出会った事が無いので、少しは緊張したが、立ち並ぶ人に聞いてみると、鹿児島県知事
三反薗氏が来訪されていたらしい。覚えている人も居るだろうが、テレビ朝日の政治記者で、1990年代のニュース
ステーションのキャスターを務めた、あの彼である。資料によると、鹿児島指宿生まれの九州男児、早稲田を出て、
中曽根、小泉などの歴代首相のサミットに同行取材していたらしい。鹿児島とは言え、やはり九州男児なので、
親近感もある。2016年7月から県知事を務めているらしい。

いつもは開いてない正面玄関が、今日は知事来訪の為開いていて、
そこから入っても良いと言う事なので、堂々?と入る。

  

  

  

中は紅い毛氈を連ねて、白壁と古く光る木材の対照が、時代を感じさせる。女子大も使っているらしく、
創始者の写真などが飾ってある。入り口を入って、ふと振り返って見上げると、ステンドグラスに、あの 
マルに十の字の薩摩家紋が見て取れた。小さなチャベルもあり、古さの中に荘厳とは言わないまでも、
よき時代の落ち着きがある。武家社会から一変して、西洋建築の突然と言うくらいの有り様に囲まれて、
明治の人たちは何を夢想していたのであろうか。思えば我々も、コンクリートジャングルで働いてきた世代だが、
こんな、よき時代の落ち着きに何故か心をホッとさせられるのは、日本人だからなのか、それとも歳を取って
しまったのか、ふと考えさせられてしまった。もう少し内部と一部裏手を見てもらおう。

   

庭に出ると、横でチアーガールの練習が行われていて、そちらに目をとられる御仁も居たが、そんなに広く
ない庭から振り返ると、バルコニーを配した立派な建物である事が、再認識された。

記念に皆で写真。(クリック不要)

  

予定通り入り口に再集合して、次の目的地 味の素博物館へ向かう。高輪まで裏手の通りを歩いたので、東京とは
思えないような風景にも出会う。途中の門柱にふと目を向けると、「木綿」
という文字が目に飛び込んできた。もめんと読むのか、
きわたと読むのか分からないが、珍しい。


豆知識:清泉女子大内島津公爵邸
東五反田一帯は島津家が所有していたので島津山と呼ばれている。江戸後期には仙台藩伊達家の下屋敷があり、
明治初期から1944(昭和19)年まで島津家が所有した。1879(明治12)年、国父様と呼ばれた島津久光の長男で、
薩摩藩最後の藩主忠義の上京の為、本地に和風の本邸を建設。その跡を継いだ忠重は、日本近代建築の父と言われる
コンドルに洋風新邸宅の設計を依頼。。1917(大正6)年完成後、大正天皇・皇后も行幸。レンガ造り
2階建て地下1階のルネッサンス様式の外観。なお、忠重の妹の娘が香淳皇后(昭和天皇の皇后、97歳で亡くなった)。

さあ、道を進もう。

           

何処をどう歩いたのか、方向感覚が無くなる迷路のような小道を、高輪プリンスホテルに向かって歩く。

やっとの事でたどり着いた、味の素博物館は普通のビルである。ガラス張りの入り口を入ると、違った世界が見えてきた。

         

入館名札を貰い、まずは2階の小博物館に上る。まずは、味の素の歴史の紹介ビデオから始まり、順路には、昭和初期から
東京オリンピック以降の、家庭の台所のセットが陳列して有り、背面には、その当時の懐かしいグッズや小物などが陳列して
あり、懐かしさがこみ上げてきた。正に我々も、謂わば「味の素世代」と言っても過言ではない同時代を、味の素も生きてきた事
になる。

  

 

 

そう言えば、あの頃は皆味の素を使っていた。味噌汁にも、漬物の醤油にも、卵かけご飯にも、何でもかけた覚えがある。
ある意味では、新しい食文化の始まりであったかも知れない。野間の交差点にあったラーメン屋「一幸」の親父も、麺を湯から
あげる前に、大きな赤い味の素の缶から小スプーン1杯をどんぶりのスープに入れて、おもむろに麺を移し、少し麺を箸で数度
持ち上げる様にして、ほぐして(味の素を行き渡らせて)いたのを覚えている。満福さんのチキンラーメンと共に、日本の新しい
食文化の礎を造ったのかも知れない。 しかし、美味しいからと言って、チキンラーメンに味の素を入れて食べ過ぎると、

                  
こうなる!


                     

                     これも博物館の展示物である。 コオナルト・ザ・ピンチ

 以下の写真も、見るに値する  

 

左は江戸時代の寿司である。 握りも大きく、鮎などは1匹そのままネタにしている。
右は、ウナギの蒲焼である。昔はまるのまま串に刺し焼いていたようだ。となりにおいてある、蒲(がま)の穂に似ている事から、
蒲(がま)焼きと呼ばれ、それが 蒲(かば)焼になったようだ。

1階に降りると、そこは図書館になっていて、ありとあらゆる「食の本」がおいてある。いやいや食だけでなく、酒、コーヒーなど
つい手にとって見たい本ばかりである。中でも読めるし、貸し出しもしている。本の種類のバライティーさに、心密かに、「これは
良い時間つぶしの秘密の場所が見つかった」とほくそ笑みながら、図書館を後にした。

                

帰り際、奥の裏庭を除く。写真は、庭を愛でる筑高生というところか。
庭の向こうの赤い屋根の家は、昔あのピーターが住んでいたと言う。今の若い世代にピーターと言っても分からないだろうが。

       

 

豆知識:味の素 食とくらしの小さな博物館
江戸時代は信州飯田藩本田家の下屋敷。明治になって、西郷隆盛の従兄弟で日清・日露戦争で日本を勝利に導いた元帥大山巌(1842−1916)
が屋敷を建てた後、同じ薩摩出身の仁礼海軍中将が所有。1920(大正9)年頃、味の素創業者2代目鈴木三郎助が購入し、和風の新宅を建てた。
現在の「味の素グループ高輪研修センター」は鈴木邸を取り壊したあと、2004(平成16)年に完成。
なお大山巌は、西南の役の前に、1ヶ月にわたり西郷を説得するも失敗。戦いでは、西郷終焉の地、城山を、攻城砲隊司令長官として総攻撃した。


味の素博物館をあとにして、またぞろ歩き始める。今日はいつになく歩いたような気がする。土が少ない東京都内には、花を育てよう
と思っても、ベランダしかないような場合が多い。横手のベランダに美しい花が、都会の喧噪を和らげるように咲き誇っていた。
高輪プリンスホテル(旧館)の横を通り抜け、暫く行くと公園のようなところで、幼稚園の運動会をやっていた。自分の子供たちの
幼稚園の運動会を思い出そうとして、浮かんだ風景は孫の運動会であった。長い年月を感じてしまった。 
突然女の子が飛び出してきて、姿を見ると金髪にしている。??? そうか、今日はハローウィンだった。それで変装をしているのだろう。

  

                        

そこから程なく、次の目的地 東禅寺に着いた。
ここは、豆知識を最初に、後は風景を楽しんでもらおう。

豆知識東禅寺
臨済宗妙心寺派、宇和島伊達藩などの菩提寺でもある。かつては品川の海岸近くにあったが、沖合いが埋め立てられて現在の様になった。
1859(安政)年から1865年まで日本初のイギリス公使館が当寺に置かれ、公使ラザフォード・オールコックスが駐在したが、二度にわたり
侍に襲撃された。1865年オールコックス解任後、ハリーパークスが公使に任命され、グラバーの紹介で、島津久光や西郷隆盛らと
薩摩で会見した。(9月3日の大河ドラマで放映)

 

  

  

                

都会の喧噪をよそに、ひっそりとした佇まいで、こんなところにイギリス人公使が住んでいたとは、想像し難い枯れた
密やかさを湛えている。ましてや、キリスト教信徒であろうイギリス人が、仏教の寺に住まうと言うのは、どのような心境で
あったろうか。当時イギリス人が住んでいた頃の寺の様子を知りたいものだ。インド・東南アジアで植民地化を推し進めて
いたイギリスにとって、荘厳さを湛えた仏教に代表される東方の日本という国は、一種御し難い国であったのだろうか。

等と、思いを残しながら、最終目的地 勝海舟・西郷隆盛会見の地(田町駅)へ向かう。
またまた、入り組んだ細い径で(上記最後の写真を参照)、曲がりくねった径のいたるところに、せめぎ合うように家家が経っている。
見るからに、朽ち果てそうな家から、改修した家、狭い車庫にBMBなどの高級車が鎮座して、この径をどうやって入ってきたのか、
運転技術は相当なものだ等と思いながら進むと、前方で仲間が「かえる、ガマガエル!」と叫んでいる。

         

見えるだろうか?写真の真ん中辺、大きなガマガエルが身を隠している。こんな都会の真ん中、しかしこの辺は都会の近代化
からは離れた土地柄である為か、こんな大きなガマガエルが堂々と生きている、生命力とは大したものだ。

ここから 田町駅までが遠かった。皆に遅れまいと急ぐのだが、周りの風景に気をとられていると遅れてしまう。
かの有名な四十七士の墓がある「泉岳寺」も横目で見ながら(写真)、ひたすら歩いて、国道15号線(第一京浜)に出た。
車はひっきりなしに通る、大動脈の一つである。 途中変な看板を掲げたビルがあった。「財界二世学院」、この辺は昔から
知っているつもりだったが、こんな看板は覚えがない。もう三世の時代だが、三世はこの学園に入れないのだろうか、等と考え
ながら歩いたら、また遅れてしまった。

  
                       泉岳寺  

     
                 昔憧れた東京タワーが申し訳無さそうに顔をのぞかせた。   
                
やっと着いた。 目的地である。本当の最終目的地は、イタリアレストランでの冷たいビールなのだが、、、

             

 

勝海舟と西郷隆盛会見の地である(薩摩藩江戸屋敷)
江戸城無血開城については、解説するまでもないだろう。江戸城総攻撃3月15日の前日13・14日に、両名が会見して、総攻撃が
取り止めになった。4月11日 徳川慶喜は寛永寺から水戸へ移り、江戸城無血開城。9月8日(西暦10月23日)明治と改元。
場所が、三菱自動車本社の前の歩道で、ひっきりなしに人が往来するので、幹事の説明もそこそこに、待ちに待ったイタリアレストランへ
自然と歩きが早くなる。

駅前のレストランにたどり着いたら、なんと中は女性で一杯!ワイワイガヤガヤ。 そろそろと予約した席へ移動し、落ち着いたところで、
まずビール!乾杯!五臓六腑に沁みわたるとは、正にこの事!我々も2席に分かれて、負けずに、いつもどおりワイワイガヤガヤ。
楽しい時を過した。

 

時が過ぎるは早い。ビール・ワインなどで話が弾んだが、そろそろお開き。
前回もそうだが、幹事牛島君のルートの下調べなど入念な準備で、ほぼ予定通りにトレッキングが終了した。
牛島幹事に感謝・感謝。

皆で、レストランの外で写真。
我々は、昭和・平成そして来年から新元号と 3つの時代を生きることになる。12月には忘年会があるが、
新元号の元でも、まだまだこの友情を深めよう。
参加者:福嶋君、太田君、藤田君、村上君、牛島君、原君、高本君、吉原君、棚田君、
     河合(木戸)さん、大坪(森田)さん、高鍋君、松浦君
添田君 14名



また会おう、そして歩いて、語ろう。


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 写真と散文で巡る・東京 トレッキング 32年ぶりのバーベキュー
 筑士会4月7日  ページトップへ



        32年振りの バーベキュー !      
             筑志会で32年振りの野外バーベキューが催された。

まずは、懐かしい 32年前の写真を見てみよう!誰が誰か分かるかな???
写っている子供たちも、今や人の親! 月日が経つのは早いものだ。 今後の我々は、子供よりも 孫たちの参加を
期待せねばならない。
今回は BQグリルを借りたが、当時は 石で竃(かまど)を作り、直接鉄板で料理したようだ。


     
                          奥多摩の秋川にて(32年前)

32年前のあの感動をもう一度!と言う高本君の提案で、幹事、高本、添田、棚田、飯田さんが何回も下見をして、 5月26日(土)に奥多摩の
川井キャンプ場に決めた。機材だけ借りて、食材は自分たちで調達。晴れにも恵まれ、、BQグリルを中心に車座になって、美味しい肉を堪能した。
この日は孫たちの運動会や、月末の仕事の予定が入ったりで、参加者は少なかったが、自然の中で美味しい空気と美味しいBQを楽しんだ。

写真が少ないのは、編者が食べる事にかまけて、撮るのを忘れていた!!!! (許せ!)

参加者は(男性は敬称略) :高本、添田、松浦、多田、飯田(神子)さん、脇(小林)さん、棚田夫妻、棚田の娘一家
(夫婦と 小6、4歳の二人の孫)の12名。

              

棚田の娘、奥さん、飯田さんら女性陣が食材を準備してくれ、男性陣はグリルを用意し、火を起こしたら後は輪になって飲み続け?

            

今回は、孫たちにも教える意味で、棚田の義理の息子も手伝って、飯盒(はんごう)でご飯を炊いた。旨かった!
一方焼きソバも作ったが、直ぐ売り切れ!


   

途中の中休みで、棚田は30年ぶりだが、自分の道具で、孫に釣りを教える。成果は 棚田一匹、孫一匹。孫は
自分で釣った魚をBQで焼いて食べた。(と言うか、食べさせた)。4歳の孫は、はしゃいで、川の中にドボン!!

       

他のものは、食べて飲む事に集中? 一方 生意気盛りの小6が 脇さん(高校の英語教師)と緊張しながらも
語り合い、それを周りの大人も楽しんで、和気藹々の雰囲気だった。

    

                   片付けては、黙々と食べ飲む!そして話に花が咲く!

楽しすぎて、時間を忘れ、予定(機材返却)の時間を1時間も過ぎて、皆で片付け。余韻を楽しむ時間も無かった。
この思い出は、我々の頭に確かに残るし、次なるBQも、もっと参加者を仰いで、盛大にやろうとと言うことで、
お開きになった。

      

      また企画して、楽しい時間を過しましょう!




 写真と散文で巡る・東京 トレッキング 32年ぶりのバーベキュー
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                 筑志会 4月7日 2018年  東京神田 花羽(みちば)にて               


これが、2018年の最初の筑志会になった。大阪から東君が参加してくれ、盛大に開催された。今回は報告記と言うことで、各人の近況報告を中心に纏めてみましたが、青字は筆者注釈。(  )の中は 本人以外のヤジ、コメントなど。男性は敬称略で失礼。

               



                               関西から参加してくれた 東君

久し振りの邂逅であったが、皆元気そうで盛会になった。集合写真には 高山君が写ってないのは、用事で途中退席した。 
皆の報告をまず楽しんで頂きます。皆は開口一番、変わりは無い、と言うのが多かったが、そんな事はない!色々と面白い報告が聞けたので、
それを、先に記載します。

まずは、幹事から仰せつかった乾杯の音頭で 原君からスタート。

乾杯の音頭を頼まれましたが、正月にある会で乾杯の音頭を頼まれましたが、挨拶無しで乾杯しますと言ったら、

非常に好評で、近年まれに見る原君のヒット商品だとのお褒め言葉が頭に残っておりますね、それでは挨拶なしに

 乾杯!  (いや〜〜 挨拶とスカートは短いほうが良いね!)(拍手!)

それでは、それでは本編に移って、報告したい人はおるやろうけど、まずは関西からはるばる参加してくれた、東君(3年9組)に最初の報告をしてもらおうか。

(東)

先週の関西の同窓会に高鍋君が参加してくれて、今日私が東京に来るということで、お招きに預かりました。

関西は平均年2回同窓会をやって、川辺君にご足労かけてますが、それ以外に 京都や色々なところに行ったりしてます。個人的な事を言いますと、私は元々 鹿児島の徳之島の出身でして、3年間は下宿をして学校へ行ってまして(えーっ!)、よくHPで皆さんが久し振り故郷(博多)に帰って、、、などと言われますが、羨ましいなと、私は帰ると言うと、徳之島になりますし、運賃が7万6千円ほどかかります。まあ両親もいなくなったので、そんなに帰ることは無いですが。大学は福岡大学の薬学部をでて、今でも現役の薬剤師として働いており、自分のやりたい時まで出来るので、まあ70歳くらいまではやろうかな、と思っています。私と同じように こちらの皆さんも、関西に来る機会があれば、関西の同窓会にも参加して頂ければ嬉しいです。

質問:徳之島から、なんで筑紫が丘に入ったと?そげん築高が良かったと?(笑)
答え:正直言うと、筑紫が丘など、全く知らんかった。鹿児島におると、進学校といえば鶴丸高校ですが
   もう少し都会に行きたかった。 兄が第一薬科大学におったので、親に頼んで、兄と一緒に住むという条件で、
   筑紫が丘中学に(3年で)入り、担任の先生が 筑高OBだったので、「お前 筑紫が丘に行け」
と言われて、
   そのまま筑紫が丘高校に入ったという次第です。

徳之島から 出て来て 福岡で下宿して筑紫が丘に通ったなんて始めて聞いて、皆 へえ〜〜!と言う顔で聞いていた。
こげな人も おったちゃね!
 次は早めに退席せねばならない 高山君に報告してもらおうか。

高山)
ご無沙汰してます。幸か不幸か、またフルタイムの仕事に戻ってしまったので、プライベートと仕事とバタバタしていて、今日も後10分くらいすると抜けますが、丁度ちょっとだけ時間があったので、皆さんの元気な姿を見たいなと思って寄ってみました。今まで勤めていた研究所に週3日、あと青森の下北の研究所の顧問もやっていて、週2日(実際行くのは月1回くらいだが、、)お陰で青森の土産には詳しくなりました。(今度持って来いよ!)


彼も公私共に忙しくて 頑張っちょる!  それでは、いつも筑志会の幹事で頑張ってくれている多田君に挨拶もらおうか、それに続いて
松浦君も報告をお願いする。

(多田

笹原君が亡くなって5年目と言う事で、お酒を送りました。送料込みで4,000円でしたが、金額ではなく気持ちだと思ったので、また皆さんからも熱いメッセージを頂きまして、実行しました。ご了承下さい(拍手)それで、皆様から預かった積立金が、4,000円を引きますと、6、410円になりますので、ま皆様と相談しながら、有効に使いたいと思ってますので、宜しくお願いします。去年、手話を1年間やったが、なかなか上達しないので、もう1年申し込んだのですが、、、、、、、、(覚えの悪いとは、撥ねられるとやろう!、(笑)昨年から福岡にも何度も帰って、身障者の兄貴を東京で私と一緒に住まわせようと説得しているのですが、私以上に頑固で、なかなか首を立てに振ってくれない。今年も説得を続けるつもりです。

 

(松浦

今三井造船に勤めていて、役1年と6ヶ月になりました。ベトナムのパワープラントに関わってますが、苦労しております。10月頃にはベトナムに行く事になるかも知れないので、いつもこの会に出る時は、「これが最後かな?」と思いながら参加しています。(緊張感を持って?) 笹原の話が出ましたが、彼とは親友と言うか、大学の時にパスポートなしで行ける所と言う事で、与論島に行った。鹿児島駅でで野宿して、船に乗って与論島に行ったり、

夏休みに酪農なんとか、、と言うアルバイトがあり、笹原と一緒に応募して、北海道に行った。彼は酪農だったが、私は西瓜つくりで、(笑)朝5時から夜8時まで まるで奴隷のようだった。帰りに一緒に万博に行き、奈良の法隆寺も訪ね、何とか門の傍で野宿した。朝起きて、誰も居ない法隆寺の佇まいをみて、往時はこんなのだったのかと感じて感動しました。そういう仲だったので、今回多田君がお酒を送るという事を聞いて、是非ともお願いしますと、こちらからお願いした次第です。


ほんなこと言うと、大概忘れとった笹原君の事を皆に思い出させてくれた多田君の友情に感謝。笹原君も向こう岸で大いに飲んでいるだろう。
また松浦君の、笹原君思い出話は、みなシ〜〜ンとして聞いとったな〜〜。
 それでは 次は高本君と飯田(廣美)さん、お願いします。

(高本)

あまり変わった事は無いのですが、去年息子が結婚して、今年2月に孫が生まれまして、、(お〜〜!)(おめでとう!)有難うございます。 毎年4回くらい福岡に帰るのですが、この間、稲永君が自転車でこけて、骨を折って、手に力が入らなかったらしいが、1ヶ月ほど入院してリハビリして、退院して、だいぶ元に戻ったらしい。杭が見えずにぶつかってこけて、3時間くらい倒れていたらしいが、そこが交番の前で、おまわりさんが変な奴が寝ている、怪しい奴だ!、、、と言う事で、助かったらしい。皆さんも気をつけましょうね。

 飯田(廣美)さん

何も変わった事は無いのですが、最近は変わった事が無い事が良い事だと思うようにしている。悲しい、辛い話題が届いたりしますが、このまま何も無ければいいかなと、テニスだけは楽しいんでおります。今日も先ほどまでテニスをしておりました。(え〜〜っ!)、いつまでコートに立てるか、皆様のお邪魔にならないように頑張りたいと思います。


私の知り合いも 先日 スマホで話しながら漕いでいた銀行員の自転車にぶつけられて、怪我をした。警察沙汰になったらしい。皆 車だけでなく自転車にも気をつけましょう。稲永君の全快を祈ります。 飯田さんも、テニスの腕は上ったでしょうな? 次は河合(木田)さんと、棚田君。

河合(木田)さん、

何も変わりも無いです。篠塚さんが来られる予定だったのですが、娘さんに急用が入り、お孫さんの面倒を見なくてはならないと言うことで、参加出来ませんでした。去年足の手術をしたそうですが、今は体力と脚力のリハビリ中だそうです。私なんかも脚力を鍛えないと、と思い階段を登ろうと思うのですが、上を見て、つい横のエスカレーターに乗ってしまいます。今度主人の実家に引っ越しますが、問題ばかりで、思ったのですが、幸と不幸は付かず離れずでやってくるという、ソクラテスの言葉ですが、その言葉を今しみじみと噛み締めております。何を言いたいかと言うと、皆さん油断をなさらないで下さい、という事です。 

棚田

勤めている会社の本社が大阪なので、用事を作って関西の会にも参加しようと思ったのですが、用事が変更になり今回は参加できませんでした。前回から生活は全く変わり無く、相変わらず海外を走り回っております。小学6年生の孫が、休みには電話してきて、「俺暇だからジイジのところ泊まりに行く」と言って来て、私のコンピューターを勝手にいじって遊んでます。今年の抱負という程ではないのですが、実は前に中国で飲んでいたら、横にいた女性が内蒙古の人で、私は外大のモンゴル語科を出てますので、モンゴル語を久し振りに喋ったのですが、一応少しは通じたみたいですが、彼女曰く「貴方のモンゴル語は非常に古い!」と言われてショック! それもそのはず、私の時代はモンゴルとの国交が無く、ビザ申請しても2年以上かかる、会話にしても、戦前のモンゴル人が喋っている、ジージー言う聞きにくいテープを聴いていたので、会話の勉強にはならなかった。孫からも ジイジはモンゴル語しゃべれる?と聞かれて、ウッと詰まってしまった。英語をはじめ、他の言語は一応色々使っているのに、自分が専攻した言語がしゃべれないというのは恥ずかしい話なので、今年は再度モンゴル語を勉強しなおそうと思っている次第です。(すばらしい!)

篠塚さんも、早く元気になって参加してくれれば、「花」が増えるのでいいのにな。 木田さんはまだ大丈夫ですよ。未だ田邊君も頭上りませんので。棚田君も 専攻言語を忘れるなんて、そげな歳でもなかろうが?  さて次は女性が3人続きます。大坪(森田)さん、脇(小林)さん、そして
飯田(神子)さんです。

大坪(森田)さん、

2年1組の森田で〜す。(3年でしょう?)ああそうだ、3年1組の森田で〜す!(大笑い、大笑い)変わった事はなくて、コンビニでパートしてます。仕事も順調で、今年はボーナスが出ませんでした。去年は出たのに。変わった事と言えば、ベランダでレタスを3株植えて、3日に一度芽が出てきますので、そうしたら外側の葉をベリッとちぎって食べます。新鮮な野菜です。花は今度スイトピーを買おうかなと思ってます。そんな庭の無いところに植木鉢を並べて、毎朝毎晩水をやる生活をしてます。フラダンスをやっていたのですが、仕事で行けずに、1ヶ月ぶりに行ったら、「仕事休んで来い!」と言われましたので、辞める事にしました。(笑)(囲碁は?)囲碁はやってます、今度初級・中級に行きます。中級だと対局が出来るので、今度 囲碁が出来る方相手して下さい。宜しくお願いします。

 

脇(小林)さん、

3年1組 脇です、、、あっ 小林です。今は脇と名乗って、ふん十ふん年になります。本年も高校の非常勤講師と家庭教師をやっております。通訳士もやっておって、豪華客船などきたらアメリカ人を案内したりしてます。

いま、スカイプを使ってフィリピン人との会話を練習していて、それがなかなか、いい男がいて(笑)(一杯おるやろう?)、それが自分で選べるんですよね(大笑い)、いい男がいると ドキドキして、あんまり毎日毎日やると相手も不快だろうなと思って、適当な頻度でやってます。今中学生も 論語を勉強していて、40にして、50にして、70にして、、、などと覚えると、私はビャービャー感激しているのですが、中学生は ポカ〜〜ンとしている次第です。(すばらしい!)

 

飯田(神子)さん、

私はコレステロールが高いのですが、いままで健康診断を受けた事がなくて、先日ひょんな事から 胃カメラを

受けることになって、皆が脅すんですね。鼻から入れたり、口から入れたり、死ぬほど辛いと。医者が 麻酔使いますか?と聞くので「ハイ」と答えたら、ガスをシュッと一吹き!途端に全然分からなくなって、はい終わりました、の声で目が醒め、全く楽でした。(えっ 自分の胃の中見てないの?) 見てない。(鼻から入れると、自分の胃の中見ながら出来るのに) 関さんに誘われて、糸島の牡蠣を食べに行きました。バケツに一杯入って、すごく美味しかったです。皆様も是非行ってみて下さい。

大坪さんは色々やっとるね!まだコンビニでタバコの銘柄間違ってない? 脇さんは英語の先生。通訳するとは凄いね。普通学校の英語の
先生は しゃべるほうはあまり得意ではないと思うが。 飯田さん、一度自分の胃の中見たほうが良いかも? 次は、男性3人。高鍋君、
東君(再度)、それに須河内君。

(高鍋)

朔君が新潟大学を退官して、福岡に終の棲家を作ったと言うので、一緒に飲みに行こうと福岡に帰ってきました。朔と武部と3人で飲んできました。3人で行った水炊き屋がめちゃめちゃ旨かった!武部は今ライブハウスで、ロバート ジョンソン(ブルース)を日本語で歌っているそうです。(え〜〜っ!)YOU TUBEにも載っているそうです。あれ、凄い!才能だね。朔の終の棲家は、平尾の平和にあって、板付の飛行機が見える高台にある、すばらしいところでした。最近 レコードプレイヤーをオーストリアのプロジェクトに変えたら、凄く音が良くなった。真空管のアンプとこのレコードプレイヤーの音を楽しんでいる。(質問! 仕事やってますか? 笑)14年経ったので、今年の5月7日に飯田橋の新オフイスに引っ越します。180坪 ワンフロアーでうちの会社でも払えるような家賃だった。(凄いな〜〜)(質問、IT関連は人材募集が大変だと聞いているが、、)そう大変ですが、リクルート会社を変えたら、良い人材が集まるようになった。先日も 東京外大のヒンディ語の学生が面接に来て、入社したらインドの子会社で働きたいと言ってきた。実は、大手が内の会社の良い人材を、高い給料で引き抜いていく事が横行して困っている。この傾向が止まらない。今はどう防ぐかが課題。でもこの傾向は2020年には終わると見ている。

 東君(再度)

私は徳之島出身だが、先ほど与論島の話が出て思い出したが、野球部の春日くんが、大学の時 ひょこっと僕の家に来て泊まって、与論島に行った。私は居なかったのだが。その他 何人かが同じように徳之島を中継して与論島を楽しんだようだ。皆さんに聞きたいのだが、2年くらいの時かな?体育の若い先生で 山崎さんと言う先生が居たの覚えてますか? 僕は下宿だったので、腹が減ると 野間の交差点の ラーメン福ちゃんに言っていたが、山崎先生に見つかって、怒られるかな?と思ったら、「俺も一緒に行く!」と言われた思い出がある。先生もどちらかと言うと 軟弱な感じだったような気がするが、「この学校 俺にはむかんわ!」と言われていて、結果2年も居ずに変わられてしまった。

 (須河内)

奇数月は福岡に帰るようにしている。人生は 犬以下の人生を歩んでいる。(?????)家では犬が優先で、例えば 犬の朝ごはんは作ってくれるが、僕のは無い!とか、犬のほうが年上で(17歳、人で言うと90歳くらい)介護状態で大事にされている。楽しみにしている海外良好も行かしてくれない。国内だったらいい。犬の葬式に間に合わないから、、、来月から3,000Kmの旅に車で出かけようと思っている(お〜〜っ!)9泊10日で東京から福岡を通って鹿児島まで行って戻ってくる。(犬も一緒?) いやいや 一人旅! 300Km毎に泊まって行くつもり。(300Km毎に 女性がおるっちゃなかや?) いやいや そんな事ではない。それは昔の話(笑)(どんな車?)トヨタのグリーンのCHR、リッター20Kmくらい走る。

武部君も人生楽しんでいるみたいやな。高鍋君、本当に人材・人員不足は非常事態だと思うよ。人のロイヤリティーは、多分に社長の人徳もあると思うが、、、ここでは議論をやめておこう。 東君 体育の山崎先生って覚えとらんがな〜〜  須河内君、船乗りは 港、港に女あり だったが、
300Km毎に女ありだと、日本では 何人になる? 犬以下の人生の男はもう持てないかもしれんな。(笑)
 次は 癌治療から生還?した 吉原君と、原君、太田君。

(吉原)

お騒がせしました(癌の治療)。一時は髪も完全に無くなったのですが、(原といっしょか? 大笑い)今はだんだん元に戻りつつある。昨年12月に抗がん剤を止めて、だんだん良くなって、薬も抜けていっていると言う感じですね。但し 5年間は 執行猶予みたいなもので、再発の恐れがあるので、月1回の検診は受けねばならない。

(体重が増えたのでは?)実は治療前も治療中も体重は全然変わらず、でも今は増えているかも知れない。(だって、前回の治療前の時と 顔色が全然違う、良くなったよ!)勝手に考えているのだが、抗がん剤で、毛細血管が減少して、手足のしびれ、心臓が弱ったり、色々な症状が出たと思うが、薬を止めたら 徐々に症状が和らいできて、今は2日に1回は 町内のジョギングなどをしている。徐々に体力も回復してきたので、実は、治療中、女房に随分と苦労をかけたので、6月の初旬に二人で海外旅行を計画している。(お〜〜っ! 拍手、拍手!)女房が庭でバラの花など植えているので、、(イギリス?) そうイギリスに計画している(再度拍手!)。(吉原君、私も引率で一緒に行きたいのですが?)一緒に行きましょうか?(拍手)(邪魔するな!)

 

体の調子を壊して、やっと回復してお酒も 元どおりにはいかないが飲める様になった。3日前 孫娘が生まれました。(拍手)我が家は 娘2人に孫娘3人という、女系家族のようなもので、昔話ですが、2番目の娘が生まれた時、盛岡に居て、女房だけ福岡の実家に返して生んだのですが、夜中にお母様から電話あって、事故かとおもってびっくりしたのですが、お母様が「誠に申し訳ありません、今度も女の子でした」と言われて、即座に答えられなかったのですが、「それはお母さんの責任ではなく 私と女房の問題で、、、、」と答えた記憶がある。3年前にも言ったが、ドイツ語を勉強していて、女房から少しは上達したの?と聞かれて、このやろうとと思い、一番簡単な5級の検定を受けたら合格した(拍手)今年はちょっと難しい4級に挑戦する。 3級になると、海外でも旅行で問題なくドイツ語が通じるようになるらしい。以前3ヶ月ほどドイツ語の夜学に通ったのだが、どんな人が勉強に来ているかと言えば、可愛いお嬢さん達、(それが目的やろう!)実は 芸大とかの音楽をやっている女学生。ドイツ語を勉強してドイツで音楽を勉強する。だから毎晩行く気になる!(不純だ!)いやいや 動機が大事で、私は二人居る皆勤賞の一人。ドイツ語の童話の本を貰った。棚田君のようにつまらないモンゴル語を勉強するより、こういう場でドイツ語を勉強するほうが絶対に良い(大笑い!)(俺もドイツ語にする!)

 (太田)

私も 娘二人と孫娘二人です。みんな女です!(笑)来週孫娘が小学校入学で、下が幼稚園年中組。実は娘が30歳で歯科衛生士をやっていて、まだ独身。誰かいい人いないかなと、、、こればっかりは難しい。今日は三宅君が地元の地域の会合を重視して、来れないと言うことで、私も同様ですが、私はこちらを重視して参加しました。(大拍手!)しかし、6月の志士の会は盛大にやってくれるものと期待しております。(大拍手!,志士の会も大変だよな、、)4年間やった佐倉市民カレッジを2月に卒業しました。佐倉市民ハイキングの代表幹事も今年やっと、後任に引き継ぐ事が出来き、ホッとして、夜中に目が覚めることが無くなりました。(笑) ボランティアは労力もコストも大変なので、今年はゆっくりと好きな映画や釣りに専念したいと思ってます。三宅君とは近所付き合いと言うことで、ちょこちょこ会って飲んだりしてます。

吉原君、お疲れ様でしたね。治療前の顔色の悪さは、本当に心配したが、良かった。体力は徐々に回復しますよ。奥様を労わってあげて下さい。
原君、その夜学紹介して下さい。私もモンゴル語捨てて、ドイツ語を勉強する。 太田君、娘さんにもその内良い事あるよ。しかし大役ご苦労様でした。三宅君も腰痛いのに色々頑張っているな。志士の会は盛大になりそうだな。次は、福嶋君、山根君、添田君、そして最後に高鍋夫人です。

(福嶋)

相変わらず、福岡と東京を往復してます。福岡では棚田君や飯田さんと牡蠣小屋で楽しい時を過しました。東京では 飯田(広美)さんとテニスを楽しいでいるのですが、最近飯田さんが上手くなってやり込められております。昨年の筑志会の後、喉にエヘン虫が付いたような感じがあり、ルゴールでも塗っておけば治るやろうと思っていたら、左の耳がなんか聞こえんようになったので医者に行った。耳管が詰まる中耳炎の一種らしくて、中耳炎なんて小学校以来なったことが無くて、鼓膜が黒くなって、耳が聞こえないという事は、歳かな?と先が思い遣られる気がして、1週間くらいで治ると思っていたら、2ヶ月もかかった。2週間経ったけど治らないと耳鼻科の医者に言ったら、耳鼻科で2週間なんて 屁でもない!2ヶ月3ヶ月は当たり前!と言われた。今は完治した。福岡の家をリフォームしていて、60数年経っているので、シロアリが怖いし、色々なところがやられていて、トイレも便器が古いので、交換していたら、最中に床がボコっと抜けて、業者から今発見できてかえって良かったですねと言われて、複雑な思いだった。2ヶ月の経ったが、まだ改修が終わってなくて、福岡に帰ったら住むとこがなくて、妹のところにお世話になっている状態。

 山根)

ご無沙汰してます。ご承知のように 去年3月に あの 田邊理事長がいる会社を退職して理事長の呪縛から逃れられて(大笑い、拍手!)、ぶらぶらしていたのですが、趣味もあまりなく、時間が無駄になるので働こうと思いハローワークに言ったのですが「年齢がね〜〜」と言われ、条件を フルタイムは嫌だ、出来れば 週2−3日、都内への通勤は嫌だ、自分が住んでいるところの2駅くらいの周辺、と絞ったが、全く無くて、一つあったのが、不動産の事務だった。窓にべたべた貼っている不動産やを想像して、高齢者優遇 とあったので、面接受けてみたが、なんと驚いた事に 面接した人が81歳で(笑、笑)、ビッキュリギョウーテン、結局雇われたのですが、後に分かったのは 仲介業者ではなく、その81歳の一家が(息子3人)が一杯持っている物件の管理会社(息子経営)で、そのオーナーの物件を仲介するのではなく、管理してゆく会社だった。皆老人で、一番若い人が 50歳そこそこのおばさんで、(笑い、笑い)、81歳の会長曰く、うちは老人ホームみたいなものだ! と言うことで、昨年8月から週3日で働いて、今のところ上手くいっている。私が入る時に前の人が辞めたのですが、その人が72歳(大笑い)、不思議にその日人が2週間に1回はまだ出てくるという不思議な会社(もっと大笑い)。私も最初はメーカー・工場に勤めていて品質とコストと納期とかやっていて、棚田君とは 遠いある外国で飲んだのですが(笑い)、そんなメーカーの仕事が嫌で、退職後、全然毛色の違う別の仕事をやってきて、先ほどの会社がまあ 定年は無いというので、これで職種は最後かなと思っている。しかし、最近新聞にも出ているが、生活保護者や子供食堂などが増えているらしい。 我々の時代のような、所謂戦後の復興時期なら分からないでもないが、これほど経済が発展して、文化も科学も発展してきた現代で、そんな事が起こるのかな?と一種不安でも有りますが、私なりに生きて行こうと思っております。(拍手)

 添田)

3年8組の添田です。今日神田駅でおりたら、偶然そこに 不良少年(老人?)がたむろしている。よく見たら、それが 3年8組の 高本、太田、福嶋で、脇さんを待っていた。会社は4月1日に 雀の涙ほどの給料ですが、お願いしますという事で、今年1年の仕事は確保できました。会社にいる筑紫が丘出身の若い人(京大の土木科)と飲んだのですが、なか川町のものを、町民だ町民だといじめてましたと古い話をしてました。(笑)、我々の時代は町民でなく、郡民、群民と差別していた(笑)。なんと延々30年以上もこんな事が続いていたと面白い話しをしました。また筑紫郡が無くなるそうで、なんと言う市になるか分からないが、これで町民だの郡民だの言われなくて済む という楽しい話でした。

 高鍋夫人

遅れて済みませんでした。先ほどの主人の話にもあったのですが、最近新聞やテレビで、人材確保の難しさが会社倒産のリスクの主な原因であると聞いてきたので心配はしていたのですが、主人はそのような心配事を私には話さないようにしているので、私はご飯を作ったりしていれば良いのかなと、主人が身を粉にして働いてくれているので、私はノホホンと好きな事をやって来れた。(お〜〜すばらしい!)今日遅れたのは、2年ほど前からやっている和太鼓のクラブの、自宅近くにある老人福祉施設での発表会で、以前は15分の演奏だったのが、好評で、今回は30分 2回でお弁当付きで、皆で出世したと喜んでました。演奏会と言うと普通は一方的なのですが、今日は皆さんの中に入って言って、バチを渡して、尻込みしている人も バチを渡されると、楽しそう叩いて、喜んでくれました。今日の演奏は今までで一番充実していて、ここで食べても凄く美味しいです。(笑)それで遅れました。そんな場所で感じたのですが、意外と女性のほうが積極的で、男性は、手が動かないなど色々理由をつけてやらない人が多いと思います。ヘルパーさんがやりましょうよ、と言ってもやらない。女性は あたし!あたし!と声や目で示して、積極的でした。(男はコミニケーションが下手なのよ、笑い)。 やっている方は皆非常に良い顔をしてました。私たちの演奏グループは下は50歳くらい、上は80歳くらいで、そんな場所は、いつか私たちもお世話になるかも知れないと言う思いがありますが、私の毎年の目標は 心も体も健康で過したいと頑張ってます。


中耳炎とは、まだ子供から成長しとらんかも知れんな(笑) なんちゅう 老人ホームのような会社かね。よかよか、定年なしで、ずっと働いたらよか! 町民も群民も無しか! なんか寂しい気もするけど、、、 そう老人ホーム訪問公演は、参加してもらう事が原則的であり、効果的。コメントでも言っていたが、そんな施設に入るより、バリバリ生きてコロッと逝ってしまう人生っていいよね。


と言うことで、近況報告は終わりますが、まずは 写真。 それから 高本君からのお知らせが有ります。

       

      

         店長

最後に 店長から挨拶が有り、何回もやっていただいて、皆様の人生の変化や生き方に感動しております。これからも宜しくお願いします、との
コメントが ありました。

それから、高本君からのお知らせ。

野外バーベキュー

皆様から ご要望が多かった 32年ぶりの野外バーベキューを5月26日に 奥多摩で開きます。皆様ごお子様、お孫さんもご一緒に
是非とも参加下さい。メールにて詳細を知らせます。(幹事 高本、添田、飯田、棚田)


と言うことで、最後に棚田君のフレーフレー筑高!のエールで締めてお開きとなった。BQや6月の志士の会でまた会おう。掲載が遅くなって申し訳ない。筆者。

 写真と散文で巡る・東京 トレッキング 32年ぶりのバーベキュー
 筑士会4月7日  ページトップへ