筑志会 2017年 忘年会

忘年会が、12月9日(土)、いつもの神田。花羽にて開かれた。出席者は、特別参加の
安永君を入れて、
24名:
飯田(上野)さん、飯田(神子)さん、大坪(森田)さん、河合(木田)さん、高鍋夫人、脇(小林)さん、牛島、太田
須河内、添田、高鍋、高本、田中(昭雄)、田中(義一)、棚田、田邊、福嶋、松浦、三宅、村上、城野、吉原、多田
+安永 24名
                           
 
まずは、関西から参加してくれた義一君の乾杯で開会!

本来の予定では、弁護士先生を招いて、相続について講義をしてもらう予定だったが、
弁護士先生が風邪を引かれて急遽取り止めになった。 代わりに 多田君、義一君、
須河内君が、勉強した事、経験、仕事上で知り得た事を、以下のように披露し、皆の会話を
盛り上げた。
1)相続税の概要 2)相続人の確定 3)財産額を確定 4)相続税額を算出 
5)相続税対策(この10年くらいで
注意すべき事) 6)その他:遺言書、分割協議書、遺留分


       

相続なんて関係ない!と言う者も居たのは事実だが、中には興味ある話や、家族の有り方などで納得できるような
話の展開で、結構有意義な機会を持てた。

以降 通常忘年会に移るのだが、初参加の安永君の挨拶から始めてもらう。

                                                       

関西では年2回集まっていたが、最近は定期的にはゆかず今年は正倉院ツアーを行った。その時、義一さんから9日の
筑志会の事を聞いて、今回は参加させてもらった。
 実は私は平成5年まで埼玉の和光とか上福岡に住んでいました。
理化学研究所に勤めておりました。
平成5年からは大阪大学に変わって、2年前に定年退職致しました。実は家が3つありまして
(お
~~っ!)大阪に月の半分はおります。月のうち1週間は母が健在なので福岡の実家に行き、後の1週間は鹿島アントラーズで
有名な鹿島におりまして、今日も鹿島から来ました。帰りは高速バスで帰りますが、昔はバスのほうが安かったのだが、
実は今は鉄道のほうが安い。(エーッ!)娘が千葉に居たのですが、今年ブラジルへ行ってしまって、それが今年のビッグイベント
でした。何で福岡や関東や大阪を行ったり来たりできるかと言うと、これはLCCのお陰で、今回も往復5,000円でした
(嘘だろ??LCC様様だな)10回乗ったら1回ただで乗れる。人生を満喫しております。 えっクラス? 1年は7組、
2年は8組で立石先生、3年が大塚先生で9組でした。


 それぞれの近況報告の前に、今年の予定を決めておこうと言う事になって、話し合った上、下記のような
 2018年の予定を決めて、それぞれの幹事が遂行してゆく事になった。 また、この公式?予定のほかにも
 合間に適時に、色々なイベントを提案して、実行して行こうと言う事になった。

 ① 次回筑志会 4月7日(土) 幹事:多田      ② 志士の会 6月23日(土) 幹事:三宅
 ③ 街歩き  10月27日(土) 幹事:牛島      ④ 筑志会・忘年会  12月1日(土) 幹事:多田



   

   


さて、近況報告と行くが、本来は弁護士先生の講義を録音しようと、レコーダーを持参したが、講義が
キャンセルになったので、そのまま 皆の近況報告を録音し、要点だけを文字に起こして以下に報告する。
   (筆者の判断で、発表してはまずそうな事柄、長々とした説明話などは 省かせてもらった)


                              

福岡に今年4回行った。兄貴が障害者で、70歳になるが、一緒に住もうと言う事で説得したが、やはり福岡が良いという頑固者でした。
住んでいる昭島市で市民連合を作り私も参加したが、出来たら直ぐ選挙でてんやわんやでした。手話を習い始めた。5月からやって、
もう直ぐ終わります。夜中に眼が覚めたら、なんか床が湿っぽい?(え~~っ!)。寝ぼけていたが、川みたいに水が流れていて、
これ三途の川かななんて思いながら起きると、老朽化による2階からの水漏れだった。このマンションで初めてで、保険で治したが2ヶ月
くらいかかった。10月に自転車で転んで、肋骨を3本折った。入院して、未だ治療中


                             

親父は海軍経理学校出身で、生きていたら93歳。私は2世としてその同窓会にずっと出席している。同窓生で93歳になる方が、
元海上自衛隊の舞鶴の総監だった人で、その関係で 先日、防防衛省に招かれて、海自のトップの幕僚長とお食事をさせてもらった。
防衛省の運動場に配備されたパック3を初めて見ました。「あのミサイルが向いている方向が、かの国ですか?」と幕僚長に尋ねると、
「その通りです」との答えでした。「危機が迫っているとお考えですか?」と尋ねると、「かの国は、めったな事はしないでしょう。
しかし、我々自衛官は、もしもの時の為に最善を尽くさねばならない」という答え、「大変なお仕事ですね」に対して、
「まだ大変な事はあります」「えっ!」「防衛予算取りです」とにこやかに笑っておられたのが、印象的でした。 
その93歳の同窓生の方はまだお元気で、我々と時々酒を酌み交わしてくれます。先日お宅にお邪魔したら、奥様が少し痴呆気味で、
息子さんが(60歳に近いのかな?)重度の身体障害者で、実際足の指しか動かない。しかも その足の指だけで、コンピューターを動かし、
自分で何年もかかって、アプリを作成し、電話に繋ぎ、自分で介護士を呼べるようにしている。驚き以外何も無かった。一緒に住んでいる
娘さんから、正に今日弁護士先生が語ってくれたはずのことを 「父は あの年でまだ母や障害児の弟の面倒を見るつもりでいる。
自分が死んだあとの、残った者の大変さなんか考えてない。皆様からも、父に少しは 終活を考えるように、それとなく言ってやって下さい。」
と真剣に訴えられた。

                             

まだ、毎日仕事に行って、毎月山登りをしてます。仕事と山登りの合間に、福岡県人会の会報の手伝いをしている。色々な記事があるのですが、
来年2月に いよいよ我々の仲間、田邊君に登場してもらう事になりました。(え~~っ!)(いょ!)先日彼にインタビューに行き色々な話
を伺いました。来年2月に記事になりますので、皆さんには是非ご覧頂きたいと思います。自分の趣味みたいなものだが、色々な人の講演
(ノーベル賞貰った人とか)を聞くのが好きで、実は聞くだけでは面白くないので、感想文などを書いている。学士会のHPにも載っているので、
興味のある方はご覧下さい。孫がやっと1歳になった。この子が50歳になったとき世の中は一体どうなっているのだろうと、ちょこっと考える
事がある。

                             

今日は相続の話などしたが、借金も相続だからね。良かったのは、タバコをやめた!(え~~っ、今吸ってたよ!) いや中断した、
どうも人が吸っていると、、、(駄目駄目、やめなさい!)福岡に帰っても、出来るだけ中州に行かないようにしている、タバコ吸い
たくなるから。11月から吸ってなかったが、今日は2本吸ってしまった。女房からも、壁紙や部屋がヤニで汚れて、綺麗にするのに
お金がかかると文句を言われた。
以前は 犬の散歩の時にタバコを吸うのが楽しみだった。女房から言われたが、75歳までは生きて
頂戴と。
(あと8年か?)(笑)中学校の同窓会にも出ているが、この間知ったのだが、200人の同窓生のうち30人(15%)
が死んでいた。 どちらかと言うと 男の寿命のほうが短いが、何とかして長生きしたいなと思っている。

                                    

1年3組、2年5組、3年1組 4年は無し。5月に体調を悪くして、頭痛が酷くて、今グルテンフリーをしていて、メリケン粉を食べない。
あっそうか、今はメリケン粉って言わないよね。小麦粉を食べない。お米はいい、パンもお米で1週間一度自分で焼いたりしている。この間
6月に初めて参加したが、10月の街歩きは、お呼びが掛からなかったよ! (えっ、メールは?)メールも来てない。この会のメールは来た
から良いけど。3年1組に柴田と言うのいて、今日連れてくる予定だったが、用事で福岡に帰っていて来れなかった。今度連れてきます。

                              

相変わらず、好奇心旺盛で、今年は ノルディック・ウォーキングというのを始めました。主人に一緒にやろうと言ったのですが、
「俺は 毎週走っているからいい」と言われ、その後、友人と一緒に山歩きをした時、
主人が、「こうやって 歩くのもいいね」と言って、
一緒にノルディック・ウォーキングをやる事になりました。これが 今年一番嬉しかった事です。(拍手!拍手!)
今一番楽しいのは和太鼓で、
御歳の方、若い方々にも刺激を頂いております。何を食べても美味しいので、後は健康にだけ気をつけて行きたいと思います。

                               

エレクトーンの発表会のとき、同じグループで30年続けたと言う事で、ヤマハから表彰された。秋は ちょっと芸術に触れたいと思い、
京都の国立博物館に 国宝展を見に行った。
信州の仙人小屋に行って、熊や鹿の肉などを食べた。鹿の肉は意外と癖がなく美味しかった。

 

                            

こんな 変なものを今日は被ってますが、7月に悪性リンパ腫と診断された。最初は街医者で見てもらったが、ちゃんとしたとこで
検査を受けたほうが良いと言われ、大きな病院で 喉の癌だと言われ、手術で
とりましょうか?などと言っていたが、更に検査すると、
リンパ腫(血液の癌)だと言う事が分かり、転移などの心配があった。それ以来、抗癌剤治療を受けて、ほぼ終わったところ。今日は 
医者に酒飲んで良いですか?と聞くと 絶対 NO!と言われるので、何も聞かずに 忘年会に参加した。抗がん剤を続けると体力がなく
なってくる。しまいには、ペットボトルのフタも明けられなくなる。
11月に抗がん剤の投与を止めたので、暫くすると体力も戻ってくると思う。


                             

以前話していた仕事のプロジェクト(ベトナム)も、延び延びになっているので、来年も居ますので、よろしくお願いします。

                             

実は 結婚する時に、年取って介護をして欲しくて、5歳も若い嫁さんを貰ったのだが、嫁さんが今年、鬱病の症状がでて、
家で何も出来なくなり、筑志会や志士の会等を欠席していたが、今日は息子が来て
嫁さんの面倒を見てくれているので、参加できた。 
それでも 一つだけ良い事があって、会社に出かける時、嫁さんが「早く帰ってきてね」と言う様になった。新婚に戻った気分。
(お
~~っ!)男子厨房に入らず、を貫いてきた私が、厨房でせっせと料理を作っている、それが今年です。



                             

相変わらず、福岡と東京を行ったり来たりしている。寄川君と稲永くんと台湾に行ってきました。前回とは違う事をしようと言う事で、
地下鉄でウロウロした。なかなか良かった。温泉にも行ったが、地元の人が水着で入っていたので、我々はちょっと入れなかった。
地元の料理も美味しかった。夏に 初めて出雲大社に行った。そばに あだち?美術館と言うのがあって、周りの四季折々の風景も
楽しみながら、美術を鑑賞できるという、非常に良い美術館だった。
1回は行って見る価値はあると思う。福岡の家も60年経っているので、
少し改築して 古民家風にしたいなとも思っている。



                             

佐倉市民カレッジを来年2月に卒業できるようになった。(お~っ!) ただ、いままでの活動を纏めた卒論を書かねばならない。
しかしである、20人いる中で男が7人、パワーポイントなど、発表する手段の事を誰も知らない。私がちょっと知っているので、
全部私のとこに来て、大変な思いをしている。一方、私が1年半の間、企画してきた佐倉市民ハイキングが 10月23日の台風21号の
直撃を受けて駄目になった。
4年ぶりに九州に帰った。実はもともと久留米の出身で、墓参りに行ったら、知らない従兄弟とか沢山会った。
お袋は旧姓 月貫(つきぬき)と言って非常にめずらしい姓で、日本に何人いるのか分からない。来年は自分のルーツを調べてみたい。


                             

腰痛はまだまだ続いているが、今年は四国一周のバスツアーに行った。金比羅山の 確か785段だったかな? 階段が凄い。
杖ついて何とか登れたが、帰りは大変だった。東京の高尾山にもバスツアーで行った。来年は 牛島君が企画してくれるウォーキングにも
参加できるかもしれない(お~っ いいぞ!)

 
                             

牛島君に筑紫が丘をアピールしたいという事で頼まれて、福岡県人会にものを書く事になった。来年2月には出されると思う。10月に 
アブダビで 技能五輪国際大会があった。59カ国、22歳以下の1300人の選手で行われた。日本は40職種、45人の選手が出たが、
私が日本選手団長と言う事で参加した。出発前に、東宮御所で皇太子に挨拶に行き、皇太子が1時間も選手一人一人に、とても丁寧な応対を
してくれた。官邸にも挨拶に行ったが、行ったのが10月10日の選挙公示日で誰も居なかった。(笑)結果は金メダルが3個、銀メダルが2個
、銅メダルが4個、敢闘賞だったが、まだまだ満足な結果ではなかった。(団長が断腸の思い と言えよ!) 上手い!座布団1枚!


                             

3年8組の添田です。今日は 3年8組は5人くらい出席していて、大変成績がよろしい。まだ現役・常勤で仕事を続けていて、
多分来年もこのままいけると思います。日本港湾協会から功労者賞を頂いた。(すごい!)自転車は 5,000Km達成した!


                             

来年のウォーキングも色々と計画しますが、30何年振りで、久し振り バーベキューなどもしたいと思っているがどうでしょう?(よかよ!)
やれば 行きたいという人どれくらいいます?手を上げて、、、
わー ほぼ全員! 是非とも企画しますので、ご協力お願いします。
私は目が悪くなって本を読めなくなってきたが、最近図書館に なんと名作などの朗読のCDがある事に気が付いた。出来なくなった事を嘆くより、
出来る事を探したほうが良いなと感じている。もう一つは 慣れと言う事。 孫たちが6歳と3歳で
アメリカに行って、今年で2年経つ。 
その孫が なんと英検準2級を取った。8歳ですよ!何が言いたいかというと、慣れとは凄いものだという事。私も負けずに 67歳の手習い
じゃないけど、なにか始めてみたいなと思っている。


                             

相変わらず 読書三昧ですが、最近読んだ本で 皆さんご承知の橋田壽賀子。今92歳。最近もう書く事も出来なくなった、世界も見てきた、
やりたい事もやって来た、これからはどうなるか分からないが、
身寄りも居ないし、何かあったら安楽死をさせて欲しい という本がでた。
日本では ギリギリまで延命措置をして、ベッドの上で「生かされる」。それは もういいんじゃないか? 外国では一部安楽死も認められて
いるとは聞くが、日本では 尊厳死? 我々はまだ やりたい事もあるが、我々が あと10年、20年経った時、どうなんだろう?と考える。
そういう 選択肢もあってよいのかな?などと考えるこのごろです。

 
                             

昨年となんの変わりも無い 今年ですが、今日ちょっとした出来事がありました。あのテレビのニュースで話題の、逃げたお猿さんを今日見ました!
(え~~っ!!)テニスコートの隣のマンションの壁を走っていて、猿!猿!猿!と言うだけで、写真を撮ろうにもそんな暇が無いほど素早かった。
管理事務所に行って、例のお猿を見ましたと報告、それから何人かがワサワサ来ましたが、それが今年の唯一のこの1年での変わった出来事でした。



                             

来年はトレッキングの企画を、特に北信越の計画を立てますから、皆さんよろしくお願いします。今年ステレオのアンプをすべて真空管に変えた。
それに、迷信だと思っていたが、ケーブルを変えたら
確かに音が良くなった。それから、会社の本社を飯田橋に移転した。小石川後楽園の近く。
久し振りに有名企業の仕事を受注した。それは、「ポケモン株式会社」! そのポケモンの基幹システムの入れ替えを受注した。


                             

この1年何も無い1年でした。色々病気の話や、世間の事を聞きますが、「人間にとってこの世界で真に煩悶することはなにも無い」という
プラトンのせりふがあります。(お~っ!)つまり、何事も突き詰めて考えたら問題になるので、そんなことではなく、あと何年生きるか
分からんけど、もっと気楽に生きようと思っている。(カッコいい~~!)

 
                             

3年3組は今日は4人来ている。かみさんが難病認定を受けた。治療をやってきたが、やっとこのごろ安定してきた。しかし、台所など
今でも私が中心にやっている。今年お袋が92歳で亡くなって、昨日弟と会って、やっと相続などの件をすべて済ませてホッとしているところ。


                             

この10年風邪も引いたことなく、何も無い1年ですが、67歳の手習いで今年から囲碁を始めました。ボケ防止にもなると言う話なので、
やっと講義が終わったところ。フラダンスもやっているけど、仕事と重なってなかなか出来ない。


                             

今年短編集の本が出ます。1月からアマゾンで予約販売するらしい。内田康夫さんの短編も入る。 娘がようやく結婚しました。以上です。
  
近況報告 大きく変わった1年、何も変わらなかった1年、みなそれぞれで、元気に66歳67歳の人生を生きている。来年2018年も、
予定した行事だけでなく、予定外の行事、有志での集いなど、尚一層の親交を深めてゆきたい。 それにしても、神田の飲み屋で
土曜日に貸切で同窓会を開ける
なんて、本当にこの場所には世話になっている。店の名は 「花羽」と書いて みちば と読む。 
最後に 毎回お世話になっている 店長にご挨拶をしてもらった。


                              
                           これからも 宜しくお願いします。


                     来年も元気で、また会おう! 




     写真と文で綴る 筑志会 10月街歩き

10月14日土曜日、雨が予想された東京で、メンバー12名が有楽町に参集し、日比谷公園を経て、愛宕神社、
NHK博物館、東京タワー付近越え、芝増上寺までの散策を楽しんだ。
予想された雨も、傘をさした覚えが無いほど全く降らずに、天は我々に味方してくれた。

日比谷公園
筆者は東京は長いし、よく来て弁当を食べたり、会社の仲間と来たりしてたが、一般にサラリーマンの憩いの
場所として知られている日比谷公園を、今回初めて奥をめぐり、こんな所が日比谷公園内に有ったのか? と
驚くほど広い公園であるとは気が付かなかった。
こんな都会のど真ん中の喧噪の中、雨の影響も有るのだろうが、しっとり、ひっそりとした、たたずまいが来る
ものを別世界へ誘うような静けさであった。

暫く、その様子を楽しんでもらおう。

         

  

  

  

  
















  



                            出口へ向かう。 出口を出ると、そこはもうオフイスビル街。

1893 (明治26)東京市から払下げを受け、告示第六号により跡地は正式に日比谷公園と命名された。
早くも開園と同年に洋風喫茶店松本楼、和風喫茶店三橋亭(現パークセンター)、結婚式場高柳亭(現日比谷パレス)、
洋風レストラン麒麟亭(現レストランなんぶ)、植木屋などが出店し、現在もある店舗の多くが出揃っている。日露戦争
勝利すると、献木が盛んとなり、樹木が充実した。

1905 (明治38)8月、野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)が竣工、1923 (大正12)に野外大音楽堂が完成した。

園内の花や樹木を盗まれる事が多かったため、開演後、2ヶ月で深夜開放が禁止された。

開園後には、日露戦争祝賀会やほとんどの国葬などの開催場所として政府に積極的に活用された一方で、大正
デモクラシー
の中、東京市電賃上げ反対運動や普通選挙運動、シーメンス事件に対する第2次山本内閣弾劾国民大会
など、民衆による社会運動の拠点ともなった。ポーツマス条約に対する日比谷焼打事件など、暴動に発展する事件も
多々起こった。


愛宕神社へ
         
公園から一歩外へ出ると、オフイスビル街を抜け、愛宕神社へ向かう。

           ← これは何かと言うと「寺」である!  

                                               
      

                                 
高層ビルの根元とも言える場所に、古くからの蕎麦屋が未だに営業を続けている。古と新の共演。

                 
                         まず出世の石段下で記念撮影
ここに到達する前に、横道があり、石段を登らずとも神社に行ける なだらかな坂がある。
80何段かの石段に自信の無い人は、坂道を、そうでない人は石段を という幹事の声掛けに、皆う~~ん?
でも女性の「私は石段行くよ!」の一声に、全員がぞろぞろと石段の方へ。長い石段を見て、気合を入れようと、
全員の集合写真を撮る。 この石段は、出世の石段! 俺たち関係ねえや!の一声で、皆上り始める。

   あーあ疲れた!登ったぞ!

休まずに登る者、休み休み登る者、一旦休憩して登る者、悲喜こもごも。全員上りきって、
一応手を合わせる(かしわ手)。やっぱり日本人だね。 おもむろに、境内の散策を始める。

   

 
おみくじを買う人もいたが、境内を見終わって 次の目的地へ移動。

ここで愛宕神社の薀蓄を一つ、

1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。
慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。
祭礼などには下附金を賜るほど、当時の幕府の尊崇は篤いものでした。

その後江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治10年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建がなりました。
大正1291日、関東大震災に、昭和20524日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失しましたが、
昭和
339月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。
 

愛宕神社は次のようなことにご利益があります。



火に関するもの、防火、防災

·                      印刷・コンピュータ関係 (さすがオフイス街に近いだけある

·                      商売繁昌

·                      恋愛、結婚、縁結び

次は NHK 放送博物館 愛宕神社の裏側で歩いて直ぐ。

           

  古い機材の展示。   

見学前の幹事の一言、「時間があまり無いので、15-20分で玄関へ再集合!」の声に、回り切れるかな?
心配の声も。兎に角中に入って見学し始める。

  
スタジオ風景実践、天気図の使い方などを解説される。昔懐かしいジオラマ。窓から見える電球色が郷愁を誘う

 

遊び心は子供と同じ。 誰の顔か分かりますか?
体を動かすと顔が入ったまま、映像も同じように動く。技術の進歩は何処まで行く?

NHK博物館を出ると 裏道?を降りてゆく。人の敷地のようなところを、曲がりくねった階段で、降りてゆく。
これって東京? とつい声が出てしまうほど、日頃見慣れない風景・場所。

  

  

階段を降りきってしまうと、そこは新旧織成す、町並み。大邸宅有り、古いビルあり、古い商店有り、
時代に追いついたもの、時代から取り残されたもの、追いつくものか!と古さを頑固に保っているもの、大都会
と言うものの発展の、真の中身が見えてくる。ここは 東京タワーまで歩いて10分ほどの街。ほとんどの
東京人も、こんな中心地の町並みなんて知らないだろうと思われる。

  

             

高本君経営?のうどん屋を発見! 「出汁が醤油濃いくなか!、美味そうよ、今度入ってみようか?」
確かに写真を見ると、出汁が薄い。東京ではめずらしい。 誰か試したら、味を教えてくれ!
最近、東京メンバーで、うどん談義があった。あの真っ黒の醤油味の濃い出汁は食べれん! どこが
美味しい、ここが美味しいと談義に花が咲いたばかりだった。

   

東京タワーが見えてくる、右側に オランダ大使館。特徴的な門扉のロゴマーク。更に東京タワーへ近づく。

  

水道局管理の貯水槽(雨水溜)。この上はサッカー場になっている。高鍋夫妻は思い出の場所らしく、
サッカー場へ上って、昔を偲んでいた。二人の思い出か?子供たちの思い出か? 

  

ここにも神社。近くをはとバスが通る。 壁が菜園になっているビル。(どうやって水をやるのだろう?)
東京タワーが近づくと、「高校のときの修学旅行で来たやんね、、、、お前バスガイドのお姉さんをからかって
怒らしたやろうが、その後口も聞いてくれんかったぞ、、、、確かお茶の水の学生会館に泊まったよね。
日光からのバスが渋滞で遅れて、宿に着いたとが夜で、あの時夕食どげんしたかね?、、あん時東京
タワーに上った? 上った上った?あんた覚えとらんと?、、」 50年の時を隔てると、楽しかった記憶も
あやふやになり、過去に埋もれてしまうのか。 しかし懐かしい話が あちこちで聞こえて来ると言う事は、
その思い出が、想い起こそうとする心の希求を刺激しているのだろう。

                


などと、過去の思い出に浸っていると、立ち止まる事も東京タワーを無く通り過ぎてしまった。
今はやはり、スカイツリーか!
いやいや、もう一度 過去へ戻ってみよう。
こんな時しか、東京タワーにまつわる過去を紐解く事はない。

東京タワー正式名称は日本電波塔(にっぽんでんぱとう)

19575月、「大阪の新聞王」と呼ばれ当時は産業経済新聞社関西テレビ放送大阪放送
(ラジオ大阪)各社の社長を務めていた
前田久吉により設立。日本の「塔博士」とも称される内藤多仲
(ないとう・たちゅう)らによって設計された。

高さは333mと広報されており(海抜351m)、塔脚の間隔は88.0m。総工費約30億円、1年半(1,974,015時間/
543
日間)と延べ219,335人の人員を要して完成した。地上125m(海抜約150m)と223.55m(海抜約250m)に
展望台
を有したトラス構造の電波塔である

テレビドラマ・映画・小説[編集]

漫画・アニメ・特撮[編集]

怪獣もの[編集]

怪獣と東京タワーは縁が深い。最初に東京を襲った大怪獣はゴジラであり、実際には東京タワーを破壊していない
(第1作の公開は1954年であり、竣工すらしていない)[注釈 24]。しかしその後東京タワーを倒す怪獣が数多くなり、
特にテレビで怪獣ものが流れるようになってからは頻繁に倒されるようになった。

なお日本の怪獣映画のスターであり、最初の怪獣映画でもある初代ゴジラが東京タワーを倒したとの印象が広く浸透
している。たとえば、下記の小松左京の小説にも「型通りに」東京タワーを壊したと書かれてある。同様の例として、
清原なつの
の少女漫画作品である『ゴジラサンド日和』ではリバイバルのゴジラを見に行ったかつてのカップルを描写した
シーンでゴジラが「うりゃっ」というかけ声とともに東京タワーを叩き折っているシーンが出てくる。これらは少なくとも
「怪獣は東京タワーを破壊するもの」とのイメージが実在したことを示すものである。

その他にも『三大怪獣 地球最大の決戦』『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ FINAL WARS』『巨神兵東京に現わる
など多くの怪獣映画で東京タワーが登場し、かつ破壊されている。

そういえば、博多の岩田屋は、熊本で生まれたラドンが屋上に乗り、それを攻撃する自衛隊に破壊されたのでは
なかったかな?

閑話休題

東京タワーから離れ、芝増上寺へ裏手から近づいてゆくが、こんなところに、こんな広いところがあったなんて、
何十年も東京で暮らしていて、知ることも無かった。季節はずれなのかも知れないが、バラが咲いていた。

  

  

広い高台から下って、増上寺の通りへ降りてゆく。

           

 ←境内でJAZZコンサート   

  

山門の横に、第14回甲賀流忍者検定(初級)の看板。徳川家の菩提寺の一つである増上寺で、密偵として活躍
した甲賀忍者のの検定とは、うなずける部分もある。

薀蓄を一つ、二つ!
甲賀とは 「こうが」とは読まない。「濁音無しの、こうか」と読む。 滋賀にある甲賀市も(こうかし)と読むと地元の
人に教えられた。

増上寺

増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。
酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗
正統根本念仏道場として創建されました。

その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂と
して宗門の発展に寄与してきました。

安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が
選ばれました(天正十八年、
1590年)。家康公が当時の住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く
帰依したため、と伝えられています。


慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、
増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。


三解脱門(さんげだつもん)、経蔵、大殿の建立、三大蔵経の寄進などがあいつぎ、朝廷から存応上人へ
「普光観智国師」号の下賜と常紫衣(じょうしえ)の勅許もありました。


家康公は元和二年(1616年)増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で歿しました。 

増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、
六人の将軍の墓所が設けられています。

墓所には各公の正室と側室の墓も設けられていますが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として
知られる静寛院和宮様も含まれています。


さて、散策も終盤。予約したスペイン料理店(芝大門)に向かい、やっと長歩きの足を休めることが出来た。
昼食を注文するも、最初は何も言わなかったメンバーだが、おもむろに、ビール、ワイン と言い出し、いつもの
賑わいに入る。 ワインは ハウスワインのグラス300円、安い! 女性群もワインで乾杯。 聞くとスペインでも
有名なワインらしい。


                        

日頃はワインを飲まない筆者も、何杯も杯を重ねてしまった。 街歩きの話3分の1、後はいつもの談義。
昼食ではあるが、同窓生の集まりは、いつもの夜の飲み会のように楽しいものとなった。

   

  

10時から12時過ぎまでの短い時間であったが、上りあり、下りありで結構歩いた。いつも散策はそうなのだが、
知らない東京に会えた。幹事牛島君の綿密な裏通り下調べに大いに感謝。
次は忘年会だが、企画で先生を招いて、老いについての講演があるらしい。
それまで、皆、元気で、そして忘年会でまた飲みましょう。


                
ページトップへ


        筑紫会5月まち歩き 横須賀・横浜散策

          5月20日(土)高本君が企画発起人となり筑紫会精鋭6名が横須賀、横浜を散策。
          心地よい季節の早起き!、歴史遺産を見学して横浜を高齢者精鋭は足がつりそうになりながら
           も歩きました。 紀行文は田辺君、道中記は福嶋君の2編、
                     

福嶋:かみさんが紀行文と道中記という形でまとめてくれました。内助の功に感謝です。

紀行文 田邊
5 月20 日(土曜日)に筑志会の精鋭で横須賀及び横浜の散策に行ってきました。メンバーは、発起人の高本さんを
初めとして吉原、福嶋、添田、松浦、田邊の6 人です。どこが精鋭だという批判はあろうかと思いますが、1~ 2 名
は足がつりそうになりながらもよく頑張って歩きました。

            

 京浜急行の横須賀中央駅の東口改札口に集合したあと、すぐに三笠公園に保存されている戦艦「三笠」の見学に
行きました。「三笠」は、皆さんご存じのように日ロ戦争の日本海海戦における連合艦隊の旗艦ですが、イギリスの
「ヴィクトリー」、アメリカの「コンスティチューション」とともに、自国の独立を守るための重要な海戦において大勝利
をおさめた戦艦として世界三大記念艦とされています。また、戦艦ながら日本の重要文化財に指定されています。
連合艦隊は東郷平八郎司令長官の指揮の下、敵前旋回という大胆な戦略で、当時世界最強と言われていたロシア
のバルチック艦隊を撃破しました。

  

 司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲」にも詳しく書かれています。当時日本海軍は日ロ戦争に備えた軍拡として
「六六艦隊計画(戦艦6 隻、装甲巡洋艦6 隻)」を進めており、「三笠」は最後の戦艦としてイギリスに発注したものです。
イギリスやロシアの戦艦は、アジアにまで来るには遠距離を航海する必要があり、燃料の石炭を2,000 トン搭載出来る
仕様となっていましたが、「三笠」はその必要は無く、700 トンで十分だったため、大砲の数を増やすことや装甲板を厚く
することが可能だったということです。そのため「三笠」は、当時の最新鋭、最強の戦艦でしたが、それだけに値段も大変
な額で、国家予算の5%に相当したようです。当時の日本の国力や信用力は極めて弱く、高橋是清がアメリカやヨーロッパ
で苦労しながら国債を発行して資金調達をしました。幸田真音の「天佑なり」を読むと、当時の国際情勢や是清がいかに
難題に取り組んだかが良くわかります。
 「三笠」ではガイドの方の説明を受けながら、東郷平八郎が艦首で日本海海戦の指揮を執った場所や長官室等を見学
しました。現在の「三笠」は、チーク材の床板やドイツのクルップ社の229 ㎜の装甲板など4 割がそのまま残っていますが、
残り6 割は後で復元したものだそうです。

                     



1 時間強の「三笠」見学を終えた後、横須賀中央駅近くの店で昼食をとりましたが、「海軍カレー」とZ旗ビールを注文
しました。カレーは、懐かしい昔の味を思い起こさせるものでした。後で領収書を見るとZ旗ビールがZ期ビールと表示
されており、店の人は間違いに気がついていないのか不思議に感じました。

             



 昼食を終えた後は電車で横浜に移動し、横浜みなとみらい21 地区にある帆船日本丸と横浜赤レンガ倉庫
を見に行くことにしました。横浜駅からは電車に乗るか歩いて行くかで意見が分かれましたが、夕食の中華料理
をおいしく食べるためには少し運動した方が良いという結論になり歩くことになりました。日本丸は外からの見学
と写真撮影だけに止め、赤レンガ倉庫に向かいましたが、赤レンガ倉庫は何かのイベントが催されており、
あまりの人の多さに年寄りグループが近寄るのは難しいと判断して素通りしました。心境としてはメインイベントの
「三笠」見学に満足して、心は既に中華料理に大きく傾いていたといったところでしょうか。

            


 この頃から足がつりそうになったメンバーがいたため、途中の自動販売機でポカリスエットを補給しました。ポカリ
の効果はてきめんで、たちどころに元気が回復したので、予定外ではありましたが、山下公園の氷川丸まで行き
ました。年をとると夜中にこむら返り等足がつりやすくなりますが、ポカリは最強の特効薬です。プロ野球の選手が
試合中に足がつったりした場合も、トレーナーの人はすぐにポカリを持って行っています。ポカリで無くてもカリウム
が入っているスポーツドリンクなら何でも良いと思います。

氷川丸付近の山下公園は、薔薇がちょうど満開で、天気も絶好の日和だったので大勢の
人で賑わっていました。

                   

めでたく3 隻の船を制覇したので、いよいよ最後の目的の中華街で、おいしいお酒と料理それに楽しい
会話を堪能しました。
 高本さんの提案で実に楽しい横須賀、横浜散策となりました。また、高本さん、吉原さん、福嶋さんには
下見までしていただきありがとうございました。心より感謝致します。
以上


道中記 福嶋
 平成29 年5 月20 日( 土)、高本企画の「横須賀散策」に6 人( 高本、田邊、添田、松浦、吉原、福嶋) が全員、
待ち合わせの11 時10 分前に京急横須賀中央駅東口に集合した。( 素晴らしい!社会人の常識かな? ) 早くに
目が覚めて眠れなかった人もいたとか?。

 目的である「海軍カレー食事」が先か「戦艦三笠見学」が先かで話した結果、食事には時間的に早いので三笠
見学を選択。爺爺( ジジイではなく、じいじ。) 一行は、屋台が立ち並ぶ町並みを歩いて三笠公園を目指す。
ここで松浦君から「何故、海軍で金曜日がカレーの日か知ってる?」と質問。「???」
「遠洋航海していると曜日感覚がなくなるから金曜日をカレーの日と決めたそうだよ。」と教えてくれた。( おお!
博学だね、と感心。) 明治時代の海軍の食事は、栄養バランスが悪く、脚気にかかる兵士が多くいたそうです。
そこでアレンジされたのが海軍カレーだったようです。

しかし、5 月とは言え暑い日だ。( あとで足に来なければ良いが。) 歩いている途中で、船を繋ぎ止める係船柱
( もやい杭) のモチーフがあちこっちにあった。曲柱型と直柱型について添田君の講義を聞いた。皆よく知っている
なあ!三笠公園の前にて東郷元帥と記念撮影。入場は、高本君の顔で一般が600 円のところ350 円となる。

 午後1 時半を過ぎたので、海軍カレーの時間です。駅前まで戻り「横須賀海軍カレー本舗」に行くと、やはり混ん
でいた。少々一階の売店で時間を過ごし待つ事15 分、二手に分かれ、ビールと海軍カレーを頂く。カレーにミルク
とサラダが付くのが定番のようです。カレーを食べながら、海外で体験した怖~い話などが話題になっていた。
( 内容は、また今度。)

 中に入ると、まず旅順開戦とバルチック艦隊の戦いのビデオを見て見学開始。司令塔で羅針盤を見ていたら
突然「これから見学ツアーが始まります。」と放送があり、皆で一緒に参加する。饒舌なベテランガイドに従って
回っていると、当時の船は石炭で動いていたそうで、「これが無くなった時はどうしたかわかりますか?」と質問され、
すかさず松浦君が「帆を立てて風で動かす。」と答え、「その通りです。よくご存知ですね!」とガイトさん。
筑高は流石です。Z 旗の話、海軍大将旗の日の丸のズレの話、東郷元帥の花押の話、天皇陛下の写真を飾る
額縁の鳳凰・桜・錨がないと飾らない話などなどを聞きつつ見学し、高本君の最後に「日本海海戦第一合戦航路図
を再確認したい。」の言葉で三笠を後にした。

 " じいじ" 一行は、次の目的地「横浜の中華街」に向かった。横浜駅で腹ごなしに歩こうとなり、ビルの地下を暫し
ウロウロしつつ、地上に出てやっと歩き始めた。( やれやれ時間がかかるバイ。) 一行は、赤レンガ倉庫への引き
込み線を公園にした道を歩いて行く。天気がよかったので気持ちよく、家族ずれや外国人の観光客が大勢いた。
小一時間ほど歩いていると、山下公園近くまで来た時、足が釣りそうになった。田邊君が「足がつると用心しない
と心臓に来ると怖いぞ。そういう時は、ポカリスエットが即効性があって良いぞ。」と教えてくれたので、早速、自販機
で購入し飲んだら少し収まって来た気がする。

そしてまず着いたのが、二隻目の「日本海丸」の前です。中の見学は?と言えば、「もういいや。」と記念撮影のみで
スルーした。

 お腹もこなれて来たので中華街東門をくぐり、吉原君が現役時代に接待とかで来たことがある「状元楼」という店に
入る。二階の円卓にて控えめな( ? ) 宴会が始まる。地ビールや何故か紹興酒が美味かった。料理は、前菜盛り合
わせに続き空芯菜や蟹爪団子、などなど。

           

 やがて三隻目の「氷川丸」が見える山下公園に到着。薔薇やツツジが綺麗に咲き誇っていて、ただの週末な
のに観光客が一杯だ。皆さん、横浜は人口密度が高いです。

 多才な田邊君の話術で色々な話題( 内緒の話) で花が咲き、2 時間弱のワイワイと楽しいひと時を過ごして解散した。
思いもかけず三隻制覇という偉業( ? ) を成し遂げて充実した1 日だった。皆さんお疲れ様。また、「志士の会」や
「牛島君の企画街歩き」などで、お会いしましょう。番外企画も歓迎です。 
 小生は、お土産の小籠包を片手に帰路についた。
( 写真 吉原・福嶋)

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      






 

 


 




ページトップへ


                      筑士会 2016年 忘年会

12月20日(土)5時半から、例年どうり 神田 花羽(みちば)で 19名の参加を得て開催された。 何故かは知らねど、
皆 若返ったような雰囲気に一瞬驚いた。 そして、近況報告が始まるや、皆の顔が生き生きとして、まるで還暦前のような
顔付きで、話す内容もすべて前向き、ポジティブで、これは単なる同郷の寄り合いでもなく、同級生の飲み会でもなく、
間違いなく「今を生きる!」我々の仲間の、集いである。お互いの報告に、「刺激を受けた」、「俺も 私も、もっと頑張ろう」等
のコメントが そこらで聞こえもした。
遠路はるばる、足を運んでくれた「義一君」、筑志会初参加の「吉原君」、関東・九州 半々の「福嶋君」、皆ここに集う。
今回、笹原夫人にも参加お誘いをしましたが、ご都合有りとのことで、欠席でした。

関東という 故郷より遠く離れた地に生活の根を下ろし、言葉も、あの博多弁を忘れそうになりがちな筑士会のメンバー達も、
こうやって集えば、「互いを心配し、お互いに励まし、近況報告の嬉しさを楽しみ、」 そして何より 知らず知らずのうちに、
あの筑高生に戻って故郷を想う、そんな年4回の集いを、我々は今後も大事にして行きたいとの意見で一致!

         この笑顔を見てくれ! 65歳前後には見えないぞ!

 


         そう言えば、還暦を迎えたとき、以前 年賀に、捻って考えたこんな言葉があった。

               初春の候、悔悟の情著しく、改悟を誓うが
              はんなりとした雰囲気の中、人生の観照を忘る。
              自分を固持し、他を固辞するも忘れ、ただ流れに添いて、、
              無情を無常の因とし、条理探究も忘れ、情理探求も忘る。
              広言でなく、巧言でもなく、忘れたものの一つでも、この1年で、、、、

     
         還暦と言う人生の節目に、こんな悔悟の想いを抱いていたものは少なくなかろう。     


   しかしである、あれから5年あまり経った今、                   巧言でなく、「今を間違いなく生きている!」

  それは、この笑顔と、更に何かを成そうという面構えが物語っている。








   


 仕事現役も、無職も、妻も、夫も、ここでは仲間であり、仕事、家族、孫、知り合い、ペット、社会、世界、
 ここでの話題は尽きぬ。
 仕事の現状、定年後の目標、夫を語り、妻を語り、貸切という場なのに、何を食べて飲んだか忘れるほど、
 ポジティブな話に花が咲いた。

  

  


来年の予定も確認され、ただの飲み会でなく、また 街歩きや小旅行、そして今度は、趣味が同じ同士の小会等、
マンネリ化とはほど遠い、新たな筑士会を企画している。年1回の志士の会と合わせて、我々関東同志は、今を生き、
来年も生き、そして ずっと生きる。 
締めは いつもどおり、応援団に代わる棚田君のエール。フレ~~!フレ~~!筑高!フレ!フレ!筑高!
                      フレ!フレ!筑高!

      遠方の同級生に、志士の会、筑士会のメンバー達の生き様が伝われば、本望である。

     直接や、このHPを経て、2017年にまた会おう! 良いお年を迎えて下さい。

ページトップへ

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      


 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      



2016年      秋の街歩き 浅草界隈
   
      2016年 10月8日(土)

108日土曜日の12時に浅草雷門に11名の男女(城野、高鍋夫妻、田邊、村上、田中、大坪、河合、添田、高本、多田)が集合。

しかし残念なことに、その時は大雨。やむなく浅草寺境内を散策し、当初予定していた、遊園地花やしきはスキップ。

その後、有名な日本手ぬぐいの「ふじ屋」に移動。ここでは見るだけで、誰も買い物をしなかった。単に雨宿りをしただけとなった。
(ふじ屋さん、ごめんなさい!)

銀座線の浅草から上野に移動して、日比谷線に乗り換えて小伝馬町へ。

 雨は少しは小ぶりになったが、まだ降っていたので、たまたま開いていたレストランでサンドイッチとビール、ココア、コーヒーなどで予定外の一次会。

喫茶店は 浅草から移動したばかりの小伝馬町。 大雨の中を歩き、まだ、そのショックが残っており、全員まだ疲れた表情。

                                                                         

  

雨がやんだので、伝馬町牢屋敷跡へ。

江戸時代の刑法には現在の懲役や禁固に類する処罰が原則として存在せず、伝馬町牢屋敷は現代における刑務所というより、未決囚を収監し死刑囚を処断する拘置所に近い性質を持った施設。

以降は、本題の日本橋七福神めぐり。

最初は寶田恵比寿神社―恵比寿神。 元々は皇居前にあった宝田村の鎮守様。恒例の「べったら市」の準備中だった。

次は、椙森神社―恵比寿神。

創建は約1千年前。田原藤太秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社。祀られている恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言うとおり商売繁盛の神さまへと変化した。

  
   寶田恵比寿神社―恵比寿神。                                           椙森神社―恵比寿神。


ここまできて、ほぼ3時、須賀内君と待ち合わせをしていたので、近くの喫茶店で合流し、本日の二次会。

                            再開後、笠間稲荷神社―寿老人に参拝。

      

江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本3大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。
寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓して下さるとのことで我々12人の老人は熱心に二礼二拍手一礼。

 次は末廣神社―毘沙門天。

この辺りはもともとの遊女町葭(よし)原(吉原)とは知らなかった。末廣神社はその氏神様として信仰を集めていたらしい。


                     

ここで有名な、岩井つづら店(ここは当日休業日、故に見るだけ)に寄り道。

岩井つづら店のすぐそば松島神社(大鳥神社)―大黒神へ。

明暦の大火(1657年)以前、周囲は歓楽街で人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭(よし)町の芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の
参拝によりたいへん賑わったらしいが、祀られている大国神は、ビルの中。



             

さて次は、本日の七福神でもっとも有名な水天宮―弁財天。

安産・子授のお宮として超有名な水天宮。その成り立ちは、九州久留米藩の有馬公が文政元年(1818年)
久留米から分霊して屋敷内にお祀りしたのが始まり。ということでわれらが筑高生にも近い関係。

水天宮は1年ほど前に全面改築。でも、本殿は木造で非常にきれいだった。

大雨の中を歩いた疲れが見えた全員だったが、人形町での七福神詣りで、徐々に笑顔が出て来て、水天宮では 「大雨浅草の悲劇」を忘れた
ような笑顔!!!

次は近くの、茶の木神社-布袋尊へ。かつて社の周りで、見事に生い茂っていた茶の木がその名の由来。だけど、今は周りはビルだらけで、
高層ビルまで立ってしまっている始末。昔の面影はまったく無い。

      
                 水天宮                                   茶の木神社

 

最後は小網神社―福禄寿・弁財天。
稲荷大神を主祭とし、540年前(文政元年1466年)に鎮座した歴史の古いお社。「福禄寿」と「弁財天」が祀られている。
5月の大祭では神社大御輿で賑う。神輿の車庫?が神社の脇にうまく収まっていた。

      

 以上で本日の見学は終了だったが、予約した夕食の時間まで時間が合ったので、人形町の通りで開かれていた人形祭りの屋台をひやかして時間を
 つぶした。

530分に人形町のシェ・アンドレ ドゥ・サクレクール(フランス家庭料理)に移動。

この店の女将は、フランス人で、1998年、東京、日本橋で外資系企業に勤務していたが、友人の紹介で人形町の蕎麦店を訪れ、
その店の若旦那と知り合い、一年後の1999年には結婚した。

そのうち、フランス料理店を開こうと、フランス料理、カフェ、ケーキなどについて、勉強を始め、そして20084月にオープンしたとのこと。

おいしい料理を食べて、ワイン、ビールをたらふく飲んで8時くらいに散会。

                                             

  ページトップへ     






                         
                        
 無事に、楽しく過ごせた一日でした。

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      



 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      


                       2016年 最初の筑志会             

先月 3月12日(土)に 神田花羽(みちば)にて 最初の筑志会が開かれた。 
編者が長く海外出張だった為、掲載が遅くなりました。すみません。

総勢 23名 女性も含め 結構集まり、色々な話題で盛り上がった。 聞き取りにくいところもあったが、皆の報告のトピックスを
順不同で掲載します。 
写真人物とトピックスは関係ありません。

       

          大坪(森田)さん   河合(木田)さん    高鍋夫人      飯田さん       篠塚さん    飯田(上野)さん













































:インフルエンザで今日やっと声が出るようになった。 この間の演奏会来て頂いてありがとう。(フルート吹いてよ!)
 こんな とこで吹くと町内中うるさい、周りの食べ物が腐るので、次回に。


: 私もインフルになった。初めて、、治らなかった 医者が息子の年代の医者。以前この会で知っ年を取ったら教育と教養が必要、
 即ち、今日行くところ(きょういく:教育)と今日用がある事(きょうよう がある:教養)、た教養養育が頭に残っていて

  納得できて、非常に役に立っている。

: 私も20年ぶりくらいにインフル!

昨日3.11の近所の防災の集まりに参加した。大震災を忘れないように。退職して丸2年。何をするか迷っていたが、最初の
 半年は前の会社の人たちと飲んだりしていたが、半年たったら それも無くなった。今は、飲み会とチャレンジ会(はいかい
 徘徊?グループ)を50人くらいで 餅つき、スポーツ
(ペタンク)準優勝、花見など、夏祭り、防災訓練、色々な企画でやってい
 る。結構忙しくなった。

:  インフルはかかった事がなくて どういうものか分からない。元気にやってます。最近プールで泳ぎを始めたが、昔泳げたはずな
  のに、何故か今は沈んでゆく!!(笑)

: インフルのはかかった事がない。主人が年金生活。ボランティアで頑張っているが、家の仕事のボランティアには気が進まないよ
  うで、、、
() 私もプールを始めたが、幸か不幸か 沈まなかった() 

:あの時みんなで宝くじ買うたろうが、当たったらみんなで世界旅行って言っていたけど、結局300円。 
 3000円のうち 2,700円を億万長者に寄付したことになる。息子が結婚できるようになった!!相手は間違いなく
女性だ った(笑)(お母さんが男みたいだもんな!笑)、(反撃)それから行くと あんた(発言者)も結婚できているもんね。
蓼食う 虫も好き 好きっち言うやろうが(大笑い)

 


  

       
      
   
  

 フルタイム雇用は終わり、東南アジアの留学生の面倒を見ているが、来週からマニラに4日間行く女性研究者と楽しく過ごす。 

:今働いているところの理事長に田邊君が来た、驚き! 去年 会社の紹介で田邊君が紹介された時、人が一杯居たので
 興味なく て見もしなかったが、名前を聞いたら 田邊?? なんと田邊君本人だった。 こんな確立は宝くじに当たる以上
に確立がないよ  うな。今は 私の上司。 ワンちゃんが腸閉塞になり大変だったが、請求書にびっくり。保険で半分出たので
良かったが 相当  な出費だったが、やはりお金には換えがたいものがある。

:相変わらず海外を走り回っている。敬老精神の無い会社だ、66歳を現役と同じように、、、、。中国人の爆買いを見て、
中国でのサイトショップで 日本製品を販売する通販の宅配までの仕事を受注して、4月に開店する。 包丁やまな板、
介護用おむつなど、生活用品が売れる。

今日が誕生日 前期高齢者になった。65歳になると いろいろな所がタダになるなる事を知った。 
前立腺がんも手術後順調。生 活には影響ない。(心配するな、お前は長生きするよ!、笑!)
 

東京と福岡を半分半分の生活。 福岡でも仲間と飲み歩いて、東京でもこうやって飲み歩いて、楽しんでます。
最近はJAZZを楽 しんでいる。東京では女房のお父さん91歳と暮らすが、男子厨房に入るべからずで来た私が 
なんと料理を作っている。人参の 短冊切りって何? という自分が、焼きサケを焦がしたり、カリカリのカレーチャーハン
を作っても、おこげは薬になってよい、 とお父さんが文句も言わずに食べてくれるのが嬉しい。

 :(小説の新作は?) いや一杯原稿はあるのだけどなかなか本にしてくれない。(笑)ギターの先生が 女性から男性に代わった。
  女性の先生は綺麗だが きつい!
男性の先生は イケメンで(恋が芽ばえた?笑い)、おおざっぱ。でもその先生のコンサート
  に行ったが さすがすごかった。

:仕事は従来どうりやっている。MSPHONEのカバーや部品を作っている。

:インドのムンバイ・ニューデリー間の貨物専用高速鉄道の見積もりを作っている。まだ受注してない。今の会社は6月までの契約
 で、仕事が取れたらインドに行く。4月に長男がやっと結婚する。

:去年、中央職業能力開発協会に理事長として入社。技能認定とかする。 自分の開発も出来てないのに、なんで他の能力開発?と
 いう疑問もあるが(あるある!!笑)、技能オリンピックなど技能検定もあり、これが山根君がやってくれている仕事。128職
 種の問題集を作ったりしているが、お酒を飲めない山根君が「酒造」部門を担当しているのが、よく分からない。(大笑)

新聞開いて 大見出しが見辛い。しゃべるだけならよいか!と安全という事の社会活動は今も続けている。お城が好きなので、
家族 で色々なところ旅行はしている。今のところ
ホームベースが千葉で、1塁ベースが福岡という生活。娘家族がアメリカの
ケンタッ キーに行って、孫二人に会えなくて寂しいが、そこのプレ・キンダーガーデン(保育園?)で面白い行事があり、
パジャマデイ、 インサイド・アウトデイ(裏返しの服)、カーリーヘアーデイ、ミスマッチデイ(てんでんバラバラの服)
など子供たちを楽しま せる行事がある。
日本でやるとPTAが煩いかな?

:前回は福岡から大浦君が来た時以来でお久し振りです。今は週3日、6月末まで働く事にしている。最近ムカッとしたのが、、、
 昔音楽で レコードとかテープ(カセット、MD)とか有りましたよね。私は レコードをもう一度 持っているMDに録音しよ
 うと MDを買いに行ったら、なんと売ってない! 車にもMDデッキが付いているのに、、、(そりゃ
古い車だな!今はレコー
 ドとCDが一体になったのがあるぞ!)

:1年ぶりです、前期高齢者になり、前職退職後、関連会社に就職しました。趣味は山登り、100名山のうち 98山まで制覇し
 た。(すごい!)100を目指す為に、階段を登ったり頑張っている。女房は山登りはしないが、最後の2山だけは一緒に登りた
 いと思っている。
実は田中君と同じで、(義一じゃないよ!)私も小説を書きたいと思っていた。なかなか想像力、創作力を発揮
 できず、この5年で2作作ったが、物になってない。今は福岡県人会の会報などに携わっている。

:今本を書きたいという話しがあったが、うん十年前は私もそういう思いがあったが、今はなんの才能もないということが分かった
 ので、諦めました。インド出張の前日に女房からインフルエンザになったとメール。あわてて医者に行って調べたらインフルには
 感染してない事が分かった。そこで予防注射をしてくれ!と頼んだら「お前はバカか!」といわれた。 予防注射は何ヶ月も前か
ら打ってないと抗体が効かないらしい。同窓生の話だが、先々週 新潟から出てきた朔夫妻と我々二人で飯を食った。彼は 仕事 
をやめて、福岡へ帰るという話をしていた。


出身のなかがわ町が5万人を越えて市になると言う事で、やっと群民と言われないようになった。(笑)

去年8月から 小さな保険会社に勤めるようになって、初めて自分で保険商品を開発した。葬儀の費用なども含んだ初めての商品だ
 が、結局自分の為に作ったような商品(笑)


:笹原君の奥様から連絡あり、孫が生まれるので、今回は欠席と言う事。笹原が生きていたら さぞかし喜んだことだろう。

久し振りの皆の話を聞いていたら、もう終了の時間になってしまった。
春の散策や旅行の計画など話して 散会になった。 






ページトップへ




      筑志会 2015年度 忘年会        2015年 12月19日(土) 

筑志会2015年 忘年会が 神田 花羽(みちば)で20名を迎え開かれた。
今回は 報告を記録に取っておらず、皆の話を逐一伝えることは出来ないが、初参加の松浦君をはじめ、久し振りの大石(五郎丸)君、
福岡からの参加?福嶋君など、皆さんが近況を含め色々な話をしてくれた。 青木(大串)さんからの みかんの差し入れや、恒例の
鳩谷君からの 明太子の差し入れなどがあり、常連の高本君が 風邪を引いたとお休み、「何やってんだろうね?」と皆の反響、村上君、
田邊君、山根君、三宅君、も用事でお休み、女性群も多くが日程が合わずに不参加、 しかしそれでも20名とは、全員が集まれば30名
くらいになるのではないかという勢い。 
高鍋君から 金沢合コン?の報告、幹事多田くんから、来年度の筑志会の大まかな予定の提案などあった。
また、義一君が「これだけ何回も会っているのに、前回大坪(森田)さんと話をして、なんと同じ中学の出身だと言うことが分かった!
今まで気が付かんやった!」」と発言あり、大坪さんは 「私はあなたば、知っとったけど、あなたは私を知らんやったと?」と逆襲。
筆者(棚田)も待鳥君と中学の話をしていたら、なんと同じ中学の出身だと判明、これだけ何回も会っているのに、、、
久し振り懐かしい中学の話をしました。皆の意見で、これから名簿や自己紹介の時は 出身中学を明らかにしたほうが 良か!
と言うことで 大いに盛り上がりました。
今回は 写真にて雰囲気だけを報告します。久し振りの人は 写真ば ちょっと大きくしたけん!











いつもの常套句だが、皆さん健康寿命を延ばして、何時までも楽しく語り合える事を目標に精進してゆきましょう。
2015年 幹事さんも含め 1年間ご苦労様でした。

来年も、皆 元気な姿で会おう! よいお年を!

ページトップへ




神楽坂散策 古くて新しい街       2015年 10月24日(土)

筑志会の有志メンバーと、故笹原君の奥様、特別ゲスト蔡美京さん(前回登場した韓国伝統舞踊の先生)で、
東京神楽坂を散策した。編者の思うままに、東京文化散策記を作成した。一部下見を幹事としてくれた福嶋君の
下見レポートの文章・写真も引用させてもらった

写真修正する時間が無く、そのまま載せた。一部見づらい部分もあるが、ご勘弁を。

                    神楽坂

現在の飯田橋駅を背にして登る坂一帯に広がる、大正時代に栄えた花街で、山の手銀座とも呼ばれ、林芙美子の小説
などにも登場する。 交通網が発達してなかった大正時代、「電車が無いから山の手の人たちは、大概歩いて神楽坂の
通りに繰り出した」と田山花袋が回顧している。かつては明治時代に尾崎紅葉や泉鏡花等が住み、毘沙門天天善国寺、
若宮八幡、赤城神社など多くの寺社が散在する。後述するが、この寺社もコンクリート造りが多く、新旧交じり合った景観が
独特の景観をかもし出している。現在は 表通りは現代的に整備され、老舗も含めて多くのレストラン(西洋料理も多い)
がひしめいているが、ちょっと裏通りに入ると、住宅街ではあるが昔を感じさせる板塀などがあり、その住宅のそこここが
レストランや料亭になっている特異な街割である。他の東京の繁華街とは、ちょっと趣の違った街である。

10時に飯田橋駅に参集して、出発した。 神楽坂と言うだけあって、坂、坂、上り坂!

     

                

 
                 
                          
登りきって その坂が 軽子坂という名だと発見。 更に神楽坂が新宿区だと言う事も知った。
どちらに向かうか、地図を見ながら、、まだ更に坂があるのか?と心配になる。年取ったかな?

軽子坂から更に進み、和菓子と化粧品(こすめ)という妙な取り合わせの「まかないこすめ」にて準備中の店内を覗いて
いると、金沢美人の店員さんがやって来て立ち話するも、店内には入れず、幹事が更に執拗に話しかけるが、適当に
かわされて、やむなく、あきらめる。先を急ぐため、金沢美人に後ろ髪を引かれつつ先へ進む。 同行の同級生美人が
何人もいるのに、若いしなやかな美人に気を引かれるのは、男性軍が年取った証拠か? 老いても、、は通用せず!!!

まかないこすめ makanai 曰く、にっぽんの女性は 「和」の natural cosmetics で もっと美しくなる
のだそうである。 確かに我々最後の団塊の世代に少し馴染めない、最近の過剰表現的、西洋式化粧(濃い、付けまつげ、
光る口紅等々)の対照にある、あの昔の日本女性のしっとりとした薄化粧のたおやかさは、もう手の届かない回顧の産物に
成ったのかも知れない。(編集者独白)

     

「神楽坂最大の横丁」本多横丁へと曲がり、一路毘沙門天善國寺を目指して、右左の路地を覗きながら進む。路地も
普通の路地ではなく、一見普通の住宅地のわき道に見えるが、住宅のそこここが 料亭や小粋なレストランになって
いて、神楽坂の奥の深さを感じさせる。 しかし、しかしである、やはり上り坂だった。 坂道には これも他の東京には
無いような新しい老舗?、小粋な店が点在し、上り坂で息を切らせそうな我々の眼を楽しませてくれた。

   


  

  

                         毘沙門天に到着

  

   

毘沙門天は、狛犬でなく狛虎であることに気づく。 境内では学生 制作の小品を売るバザーが行われており、蔡さんは
早速バザーの小品の品定め。猫面で写真撮影? そういえば 神楽坂はで有名らしい。後に訪れる色々な場所にも 
多くのの置物や肖像が見られた。 お参りの人数も多く、賑わっていた。 毘沙門天へ来る 道すがら、 我々と同様に 
グループで神楽坂散策する人々が多く、外国人も多く見られた。 後で皆で笑ったのだが、近辺の色々な場所を散策した
ので結果として  この毘沙門天の前を 4-5回行ったり来たりしたことになる。 その為か、神楽坂がこの毘沙門天を
中心に広がっているような錯覚をする。 それも、旅の楽しさか。

                               毘沙門天
サンスクリット語(インドの古語)では「ビシュラバナ」と表記し、この音写が「ビシャモン」である。言葉としては「全てを聞く」
という意味を表す。古来よりインドで信仰されてきた財宝の神である。仏教では四天王の一人に数えられ、須弥山
(しゅみせん)の中腹に住み、夜叉、羅刹を率いて北方守護を司る。法華経には「仏法と帰依する衆生を守護する」とある。
左手に宝塔を捧げ、右手に矛を持ち、甲冑で身を固め憤怒の表情で知られ、七福神の一人に数えられている。


                 
                             猫より 我々は 虎だよ!
---------------------------------------------------------------------------------------------------
若宮八幡神社を訪ねた。 
マンション、民家の中に忽然と現れ、写真で見るとうり、神殿の下が駐車場(高級車)、隣のマンションと一体化して、
社務所はマンションにある一室の様子。 等価交換方式で建てたか? 神殿の造りも木材ではなく、コンクリート打ちの
柱、等々、伝統なのか、近代なのか、判然としない。東京と言う都会の波に 押しつぶされた様子ではなく、自ら都会の
波に同化して変貌を遂げた日本の伝統、と言った感じが否めない。 神楽坂も都会であった。
我等が故郷 博多の都会の中の寺社も ここまでは、、、、、、と改めて、東京
の多様性を再認識した。寺社の匠の大浦君は なんと言うだろ
ゲスト蔡さんにとっての カルチャーショックだったらしい!(カルチャーショックについては後述する)

  

ここから戦国武将の居城趾に建つ静かな寺「光照寺」を訪ねる途中で、彫刻家具ギャラリー「良工房」に立ち寄り、
阿部民平君を思い出しながら散策。光照寺で参拝したあとは、急ぎ昼食を予約した「千」へ向う。
かくれんぼ横丁にあるこの店は、狭い路地を通り抜ける途中にあり、まさに神楽坂だと思わせる「迷」路地にあった。
まずは、木工の「良工房」

  

  

木の温かみを感じ いいね!と作品を見回った皆が、??? 値段票を見て ゼロが一桁多い!!!
真ん中のテーブルなど 100万を越える。 作品を見ても分かるとおり、角が無く、曲線をモチーフに制作されているように
感じた。 一品、一品の 微妙な曲線美に 匠の技が感じられる。価格も「巧み」の産物か?

次に 光照寺。

牛込城址。 戦国武将の居城址に建つ浄土宗の静かな寺。戦国時代、寺院一帯にはこの地の領主 北条氏の家臣
だった牛込氏の居城があった。 光照寺は 浄土宗増上寺の末寺。 天保2年(1645)に神田から移転した。

山門?を入る前には、粋なSHOPと足湯がある 按摩(あんま)屋があり、腰を悪くして杖をついたた三宅君に 
「ここで休んでゆけ!」 と言ったら、「もう すべての治療法は試したから 今更、、、、」 でも まだまだ元気。

  

そして山門?を入る。
広がった本堂前に 井戸もあり、個人住宅もあり、また遠くに見えるマンションを指して 飯田(上野)広美さんが、
あれ、私の今住んでいるマンションよ!  ええっ!! あんなに高いの(高さ、値段)?? 三井が建てた?
土台の柱は大丈夫かな??? (冗談、冗談) 下の写真には写っていない!

  

 

井戸を何度も汲み上げて、やっと水が出た。そんなに冷たくない。 昔 スイカを入れて冷やしたりしてた
なと昔話。 誰かが 飲めるとや? よ~く見ると 井戸には 「飲用不可」 の警告。 やはり 都会だ

ここの お墓の近辺に 一箇所だけ黄色の花が咲き なんと 蜂や蝶が群がっていた。 そうか 都会では 蜜を集める
良質の花が少ないので、こういうところでも 蜂は必死で蜜を集めているのかな、と皆で感心する。
花鳥草木不得意な筆者にとっても、殺風景な都会での、ひと時の癒しであった。

   


腹が減っては戦(いくさ)が出来ぬと、昼食に いくさ! と言うことになった。
毘沙門天に戻り、急ぎ昼食を予約した「千」へ向う。が!途中の道で 面白い店を見つけた。

            

右の写真を見て欲しい。肉寿司 と書いた看板がある。 肉寿司?
食べたこと無い。霜降りの上質の肉の薄切りをネタにして、握った寿司だろうか? 腹が減って
予約の店に急がねばならぬが、歩調を緩めて考えてしまった。                   

                              閑話休題

兎に角 予約した店 「千」へ急ぐ。 かくれんぼ横丁にあるこの店は、狭い路地を通り抜ける途中にあり、まさに神楽坂
だと思わせる「迷」路地にあった。案内が無ければたどり着くのは難しい。幹事もよく見つけてくれたと感心。
店の2階へ上がる。(右下の写真は 1階の風景、この店は 予約制らしい)

  

   

    

久し振りの 純日本食。味にうるさい?筆者も、軽いビールで喉を潤した後、口に運んだ時、一品一品が丁寧に
作ってあり、材料本来の味を生かし、下味の旨みが喉を通る直前に味わえる、穏やかな、そして控えめな味付けを
感じて満足であった。 知らない人が多い笹原君の奥様の紹介と、皆で自己紹介で始まった昼食も、木田さんの
話や、大坪さんの話などに同調して 話が弾む。以後 皆、話に夢中になり、食後のコーヒーも忘れて 2時間くらい
くつろいだ。

お断り:筆者は 飲む、食べる、話すに夢中になり、料理の写真を撮ることを忘れてしまった。
     下の写真は 下調べの時の写真。内容はほぼ一緒。美味しかった。

          

この項の最初に書いたが、この店も迷路のような路地にある。 他の古い東京の街や、深川、月島、浅草なども
路地の街である。 路地と言うのは 大勢の人が流れ込んで 所狭しと生活する東京の文化なのかも知れない。
下町には、人一人が通れるような路地の両側に 長屋が並び、隣近所の声や音と共に生活し、毎日顔を合わせ、
助け合い、喧嘩もし、そして毎日が流れる。 東京は 関西や 他の地方と比べて 人と人の距離が遠い、冷たい
とよく言われるが、それは他県から流れ込んで、成功を目指そうとする人たちから受ける印象であり、地元の東京人
の下町は、距離が短く、人情味溢れ、隣近所が家族のような付き合いを今でも続けている。 
路地を挟んだ 東京の表と裏の顔かも知れない。 話を戻します。

店を出て、全員の集合写真を撮ることになった。 その理由は、「これから まだ散策を続けるが、疲れて帰りたい人、
もう歩けない人、道に迷う人、等々出るかもしれないので、ここらで全員の写真を撮っておいたほうがよか!」
と最後だけ博多弁。 路地を通る多くの人に迷惑にならないように 少し広いところに移動して撮った。

          


ここから またゆっくりと 風呂敷屋、相馬屋源四郎商店、赤城神社、下駄屋、日本で唯一の不二家ペコちゃん焼き
へと向かう。

                                 風呂敷屋(やまとなでしこ)
ここの風呂敷の一部は 撥水性で大きなものは、突然の雨に、頭にかぶり、緊急の傘になり、災害時は
袋状にして「水」を運搬できると言うことだ。しかし通気性はあるらしい。水を入れてギユッと絞り込むと、水は滲み出て
くるらしい。蘇れ日本の良き伝統、風呂敷よ!

                     


                           赤城神社

  

   

赤い鳥居をくぐると、広めの参道。境内のはずなのに参道の両側は一般の民家。階段を上がると、左手に小さな
能楽堂のようなものがあり、狛犬に迎えられ正面が神殿。 この神殿右側のマンションと繋がっていて、現代建築で
正面と脇は総ガラス張り、中が素通しで見える。結婚式をやっていた。神殿の中も 厳かさではなく、明るいホテルの
ロビーのような感じを受けた。100円を賽銭箱に入れ二拝二拍手一拝にて参拝。ガラスの内部は 結婚式の
参列者にお払いをやっていた。 狛犬のところへ戻ると、ゲストの蔡さんが、なにやら難しそうな顔をして田中君と
話し込んでいる。 皆も参列者群、訪問者群に紛れてそこかしこ。 暫くして 参道を戻り始めた。

                        カルチャーショックの話

後に聞いたが、蔡さんはこの散策でカルチャーショックを受けたらしい。何十年も日本に住んでいるのに、、、
田中君ともその話をしていたらしい。 最初の若宮八幡や赤城神社で、参道に一般民家があり、神殿はコンクリート造り、
神殿の下に駐車場、隣のマンションと一体型、ガラス張りの神殿、結婚氏のお払いをしている後ろから、来訪者が後ろ
から、お払いをしているところ越しに奥の方に向けて参拝している、、、、厳かを尊ぶはずの日本人の宗教観が分から
なくなった。と言うことらしい。 田中君は 日本は宗教教育もないし、そこまで一般人が宗教そのものに感心がない等々
を説明してくれたらしい。私も 今の日本は 宗教が「習慣化」していて、生まれた時は神社、結婚式はキリスト教、
死んだら仏教(お寺)なので、特に神道と仏教は日本人の中に習慣として深く根付いている、、等々を説明した。

日本人の私でさえ 少し奇異な感じを持った寺社群であったが、普通の寺社を見慣れている蔡さんにとっては、もっと
奇異に映ったことだろう。 近代的な街である東京の、宗教と言うより、「伝統」のあり方を再認識させられた。
やはり ここでも大浦匠の顔が浮かんだ、、、

                            閑話休題

再び鳥居を抜け右手に曲がると、そこはお目当てのパン屋 亀井堂。 ここのクリームパンは絶品。クリームと言うより
カスタードプリンのような絶妙のクリームが パン一杯に入っていて、ボリューム感もあり、一個食べると腹が膨れる。
普通 我々の幼少時、ジャムパンやクリームパンは真ん中だけしかジャムやクリームが入ってなく、端っこはパンのみ。
それを 全体でジャムパン、クリームパンを味わいたいので、食べる前に 真ん中のジャムやクリームをパン全体に
押し広げて、それから食べた覚えがある。食いしん坊の筆者だけ? しかしここのクリームパンは 溢れんばかりの
クリームが入っていて、かぶりつくと クリームが溢れ出るほどである。一個のパンを満喫した。

  皆たくさんパンを買っていたな~~~。

隣は 猫の郵便局という雑貨屋。 やはりここでも 猫! 我々は 虎!

  


パンで満足して、通りに戻り、相馬屋へ行く。


                          相馬屋源四郎商店

一見普通の文房具屋(そう言えば最近町の文房具屋がなくなったな~~) しかし 神楽坂で最も歴史のある老舗。
先ほど行った光照寺に残る記載によると、約350年前 初代は紙漉き(かみすき)から始まったらしい。その後
和紙問屋になり、相馬屋の和紙は 徳川家、宮内庁のご用達でもあった。 明治以降、西洋紙が伝わり、ふとしたことで
尾崎紅葉に助言をもらって作られたのが、日本初の「原稿用紙」。以降、相馬屋の原稿用紙は、北原白秋、坪内逍遥、
石川啄木など、多くの作家に愛用されている。 その他、夏目漱石、森田草平、野坂昭如など著名な作家が使った原稿
用紙が現存している。 店内に展示してある。

    

更に 飯田橋駅のほうへ向かうと 昔ながらの 下駄屋。名前忘れた。傘やバッグも売っている。値段は高い!!

  

そして 行程最後の 不二家(ペコちゃん焼き) 

  

ペコちゃんの顔を焼いたペコちゃん焼き、日本でここだけ!と書いてあるが、日本でここだけ、という事は
世界でここだけ????  珍しいらしく 買うのに10人くらい並んで待っている。 奥様へのお土産と、
意を決した三宅君が一人買う気で列に並ぶ。 その間 他のものは 外で待ちながら歓談。

通りを渡れば JR飯田橋駅。 午後4時前。 朝10時からの散策も 終わりが来たようだ。
飯田橋駅前で 皆で写真(高鍋君は用事があり、先に帰った。写真は蔡さん撮影)

          

少し疲れた気もしたが、楽しかった散策の興奮で名残が惜しい。
東京に長く住みながら、まだまだ知らない街がたくさんあり、それぞれの風俗・文化を 押し付けずに
そっと守っている。 それを友と一緒に見て感じて回る散策は この上なく楽しい。
これも 下見を2回もしてくれた幹事さんたちのお陰。 本当にありがとう。
笹原君の奥様も これからも遠慮なしにこういう機会に参加したいと言ってくれたし、ゲストの蔡さんも
日本の知らない文化に触れて楽しかったと感想を述べた。それを我々同窓生が共有出来たのも、
このような企画のお陰であると思う。 また機会を見つけて 日本を散策しよう。 お疲れ様でした。。

読み返してみると 筆者の私的な散策記のような感があるが、お許しあれ。 楽しんで共有してくれれば
締め切りを急かされた作家のように、頑張って報告した甲斐もある。
重ねて 幹事さんありがとう。                                    (棚田 記)


 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      



 
 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      






筑志会 2015年3月の集い      3月21日(土)春分の日 神田 花羽(みちば)にて


3月の21日(土)春分の日、女性軍も増え 18名が 休日にも関わらず 5時半に参集した。

幹事挨拶から始まり、乾杯でしばらく歓談。そして それぞれの近況報告が始まった。
今回の本題は 博多(福岡)とこちら関東での感じる違いなどをテーマにしようと思っていたが、各自からそれ以外にも興味深い
話が相次ぎ、話が盛り上がった。 各自の報告を 概略を報告します。 相変わらず ヤジも多く 実際には楽しい会でした。

尚 編集者多忙のため 記載が遅くなった事をお詫び致します。



多田君
退職して1年ちょっと、今年の目標が3つあり、1つは 一日2回以上外出、2つ目は一日5,000歩以上歩く、3つ目は地域に密着して地域活動に貢献する。特に地域活動は進んでいて、正月など半分くらいは近所の人達と地域活動と称して飲んでいた。先日40年前の先輩(上司で今会社の社長)から久し振り連絡あり、新橋で飲んだら、年賀状にあるように「隠居みたいな生活するな、うちの会社に来い!建物やビルの管理をしろ」と言われた。給料もえーっ!と言うほど良く、びっくりしたが、腰痛もあるし3時間もかかる通勤に耐えられるか?と慎重に考え、結局お断りしたら、「こんな良い話を断るなんて お前馬鹿か!」と叱られた。 よい初夢でした。




高鍋君

引退した話は前回話したが、65歳になって初めて分かった事がある。クラウドビジネスを始めた(IBMと連携してビデオをアップロード)、そこで試しに自分のビデオを撮る事になったら、しゃべる段になって頭が真っ白、1分近くのコメントだが、こうして皆の前で気楽にしゃべっているのと違い、人の書いた文章を ああいう場でちゃんとしゃべるのがこんなに難しいのかと思った。役者やアナウサーは偉い! しかもプロが使用したビデオ機器が なんとキャノンの一眼レフカメラ。 そのほうが画質もよく、プロ使用に耐えられる、と言う事を知って感動した。




高山君

娘がお産で帰って来ていて、自分の誕生日の3日違いで生まれた(女の子)。女房が片手が耳の後ろまで十分に届かないと言う事で 今は私がもっぱら子供のお風呂担当。もうすぐ娘も孫も帰るので、風呂に入れてやるのが後数日、なんか寂しい気もする。実は私の長男もアメリカ・シカゴで生まれて、両親や親族も ハワイくらいまでだったら行くが、シカゴは遠すぎると誰も手伝いが無く しかもアメリカの産院は2-3日で退院(医療費がべらぼうに高いせいもある)なので、女房と二人で四苦八苦した。そうやって3人も育てたので、30年前の事もちゃんと覚えていて、今回も 一回も泣かすことなく風呂に入れてやれた。




田中(義)君

昨日関西から来て、弟や娘5人と楽しく食事をした。今日は 母のところ(ホーム)へ行って来た。いつも筑志会に合わせて東京へ来る。初孫が9ヶ月(男の子)。今家に来ていて、お風呂に入れたりしている。高山君と違って、1日目、2日目は 泣かれた! 4日目くらいから泣かなくなった。女房も私も疲労困憊。だから今日は皆さんとこうやって歓談できて、ホッとしている。




棚田君

昨日遅く上海から帰ってきての参加です。 中国のPM2.5は最近話題にならないが、と言うか慣れっこになっている感がある。居た間も 最高警戒値は 100なのに 中国政府の発表は 90. ところがアメリカ大使館が自分で計測して発表した数値が 160. これだけ 汚染度の警戒の曖昧さが存在する。前回も1週間蘇州に居たが、私が喉が腫れて喘息気味になり、同行の社員も鼻の奥が腫れて、苦労した。 来月は また中国に行くが そのあとタイに出張なので、少しホッとしている。今日の本題である 博多と関東の違い と言うのを誰もしゃべっとらんが、実は昨日も 帰りの便が取れずに 上海・福岡(1時間)、福岡・東京(2時間)の乗り継ぎで帰ってきた。国際線から国内線への乗り継ぎのとき 空港で「筑豊ラーメン」を食べた。 いつも東京で食べる 博多ラーメン、豚骨ラーメンがまずくて(ちゃーらん)、久し振りの故郷のラーメンの味に涙がでた。最近 福岡の福嶋くんが 博多レポートを掲載してくれ、それを中国や外国で見ると、やっぱり博多に帰りたいな、と言う気になる。 東京に来て長いが、年とともに故郷の良さが再発見され、帰りたいなとは思うが、今は4人の孫が可愛いので、離れるつもりは無いが、孫たちが中学生くらいになれば、もうあまり ジイジには寄りつかなくなるだろうから、そのときは博多に帰っても良いかなと思っている。




田中(秋)君

変わり映えのしない日常。今年女房の父が85歳で亡くなった。昨年暮れからの入院などで、バタバタしてい、1月の ダイアナ・ロスのチケットを取っていたのに行けなくて残念。懐かしいでしょう ダイアナ・ロスなんて。最近ギターの先生を代えました。合奏中心になったので。新しい先生は 以前私があこがれていた先生で、長年待っていた初恋の人に会ったような、、、、(ここでいつものヤジ)。 可愛い先生ですが 教え方がすごく厳しい。(やっぱり女か!)
月に2回だが 毎回毎回 目からうろこ、、のような感じで 今は練習に励んでいる。




原君

福岡の話ね。一つは 中西かずひさ という一人芝居の俳優がおる。筑紫ヶ丘の2年後輩。国鉄時代の後輩が彼と仲が良かったらしく、一度見に行ってくれと、チケットもくれずにパンフレットだけ渡してくれた。 見に行ったが、筑紫ヶ丘らしく 正統派でな無いと思うが結構面白い。最初に見たのは、特攻隊の兵隊が 出撃する前にピアノを弾かせてもらう芝居で、面白くて 以来ずっと女房とも注目している。良かったら見に行ってくれれば良い、筑紫が丘やけんね。インターネットで調べればわかる。親父は今自分の歳 65歳で亡くなったが、なくなる前に本籍を移す話などをしたとき、しばらく本籍は九州に置いておくと言った時の親父の嬉しそうな顔が忘れられない。迷ってはいるが、親父が死んだとき何度も本籍地の田川まで足を運んだ覚えがあり、今は東京に移そうかと考えている。自分が死んだとき 周りの者が楽かな。




添田君

先月 あと1年は常勤で働けると社長に言われ、何とか仕事は続けられる。福岡の話だが、お袋と体が悪い妹が 築100年くらいの家に住んでいる。今の本籍地の話だが、本籍はまだ福岡。子供は息子が一人いるのだが、4年前に親父が死んだ時、すべてお袋へ と言う事で、事なきを得たが、今は本籍地をどうしようかと悩んでいる。今は 出来るだけ仕事は続けたいなと思い 毎日頑張っている現況です。




三宅君

6月27日 志士の会 お忘れなく。旅行などの予定を入れないように! 筑志会という名前は、ちょっと脳が無いなと思っていた。筑紫ヶ丘と 志士の会を縮めただけ??? (笑い) 私は年1回の志士の会を幹事でやっているが、この筑士会も非常に大事だと思っている。生きている人たちの為に この会の活動は大事だと考え 嬉しく思っている。  今週の月曜日 台湾から帰ってきた。さくら市の市民カレッジ(老人大学?)、えっ 死人カレッジ? 違う 市民カレッジ! その仲間に台湾出身の女性が居て台湾に行こうじゃないかと誘われ17人で行って来た。(台湾女性 幾つ???)(動機がどきどきするような人!)台湾(九州くらい)を4泊5日で一周してきた。腰痛もあったが だましだまし何とかこなしてきた。楽しかった。




高本君

8組の高本です。3年前に長女が兵庫の三田に引越し、息子がドイツ、次女が家を出て東京都内に一人住まいしたのも3年前 (奥さんは いつ出てゆくと?)(それは 何とか繋ぎ止めている)どういう具合か 3年経って長女が千葉県八千代市に引越しが決まり、 息子も3年間の務めを終えて(フランクフルトの刑務所?)、この31日にに帰ってくる。この春は 離散?した家族が久し振りに集うと言う事が実現する。孫も卒園して今年1年生、キャンプに連れて行ったり一緒に工作をやったりしようと楽しみ。ここ4-5日は 孫たちの為に 燻製を作ったり、模型飛行機を作ったりで 隣の人から最近忙しそうですね と言われている。




福嶋君

(おっ久し振り、時間は気にせんでよか!)

久し振りです。博多弁でしゃべろうと思うバッテン、40年もこちらに居たら なかなか博多弁ば ようしゃべれんようになった。博多で 無理やり博多弁をしゃべると、「なんか違う!」と言われる。自分でも分からんところが違うのか、以前親父にも「なんか 気取った博多弁ばしゃべりよる」と言われた。 去年3月にこの会に参加して以来 この1年で自分の周りが大きく変わった。母が倒れて介護のつもりで会社を辞めて福岡に帰ったが介護するまもなく 去年の11月10日(高倉健の死んだ日と同じ)に亡くなった。90歳だったので天命かとも思うが、死ぬ前まで 買いものに付き合っても、息子に介護の迷惑をかけたら悪か、なるべく普通に振舞って、体調も悪かったろうが、そんな事も微塵も見せずに。 大正生まれの意地みたいなものがあり、介護に帰ったほうが戸惑ってしまった。やはり母親は偉大です。

会社辞めて帰ったときも、同級生のありがたさを感じた。例えば ハローワークに行くときも 田所さんが 「こげんせないかん! ここに停めたら混むけん こっちに停めらんといかん、こうやって2階に言って こげんして、、、、」と細かく教えてくれた。すごい!皆 飲み会に誘ってくれたり、帰ってきた高本君とか三宅君とかと再会できたり、やはり同級生はありがたかった。母親も帰ってきたとき 周りに知とる人もおらんけん、心配してくれていたが、なんか同級生と頻繁に出かけるけん安心したと言っていた。母親が死んでからも 20回くらい誘われて、結構楽しんでいる。

帰ってから 東京との違いもいいとこ悪いとこも感じるところはあるが、博多に帰ってきた者を暖かく迎えるという同級生の懐の広い精神は偉大で嬉しいなと思う。博多のメンバーも マンネリ化を打破したいと思っているようだが、私もその補佐という意味でここ数回HPに博多レポートを書かせてもらった。今後は行ったり来たりの生活が続くと思うが、男は割りと帰郷の念が強い、女は割り切り方がすごいと思うが、まだ先のことは決めてない。




山根君

最近出席率が悪く!初参加?の山根です。(こっちに住んどうと?)(笑)前の会社退職して、今は厚労省の外郭団体に勤めていて、今年一杯かなと思っていたらなんと延長になりまして、やはり仕事ぶりがいいのかな?(おーっ拍手、信じられんな!笑)言われたときは、通勤(1時間半)、など規則正しい生活と、外部との刺激などで、ボケ防止になる反面、もうきついな~~という思いと交錯していたが、最後は 女房の一言「働いたら~~!」 これで決まり。全然考える余地なし!(笑、笑)お陰で 女房と過ごす時間が増えた、テレビも「ボケ防止」「健康番組」こればっか!女房の父が亡くなったが、こういっちゃ何だが、世話を焼かせずに亡くなった。やはり回りに世話を焼かせず死ぬって事はいい事だなと感じた。とは 言うものの、再会は良いけど徘徊はやらないようにしましょうね。




飯田さん

2月に結婚40周年(拍手拍手) これ以上年取ったら寒いとこは無理と言う事で、今回は東北花巻に行って わんこ蕎麦を食べてきた。31杯 主人は100杯食べた!(え~~っ!) 55歳で免許を取って、ゴールドを維持していたが、先日事故をやってしまった。夜に、いつものスーパーの狭い駐車場に いつもは後ろから入れるところを 前から入れたらお隣に 少しガツン!。(普通前から入れたほうが楽なはずなのに? 笑) 周りの人が気にして、右左と誘導してくれたら また 少しガツン!(笑) 知らなかったですが、保険って2回やると 2度の事故と判断され 6等級も下がる。それに運が悪い事に、当てた車に痴呆の老人が乗っていたので、一応検査と言う事で 病院へ。人身事故?
大変でした。



飯田(上野)さん、
上野です(確か今は飯田さんだよね?)(はい、今は飯田です、まだ飯田です)(笑)
主人が一日中家に居りますので いつまで飯田が続くか、、、、(笑)
アメリカでは 田舎に居たが、今は便利だと思い飯田橋(都会の真ん中)に住んでおり、主人が、家を拠点に スポーツジムに行ったり、犬の散歩に行ったり 出たり入ったりでなかなか世話が焼けます(笑)主人は仕事を止めた訳ではなく、本人は「充電期間」と申して居りますが、その為に家事の分担もしにくく中途半端な状態で、早くこの状態を解消しなければと思い悩んでおります。アメリカからの引越しのダンボールも 徐々に片付けてはいるのですが、だんだんと基準点が低くなり、まあこの辺でよいか!と言う具合で何とか普通に生活しております。




大坪(森田)さん、

今晩は 初めて出席する森田です。誘ってくれてありがとうございます。毎回は無理かもしれないが 来れるときは来たいと思います。私もまだ大坪です。この話はこれ以上すると長くなるので止めておきます。娘が銀座でお店を出して、前回の時も皆さんで来ていただいて、ありがとうございます。無事1周年を向かえ 快調です。今日もやっておりますので、時間が無い人も是非時間を作って足を運んでください。(笑)ただ 娘の希望としては もっと若い人に来て欲しいらしく (皆大笑い)、息子さんたちにも宜しくお願いします。1年前からフルートを再開し、6月に発表会の予定が9月に延びたのですが、楽しくやっております。 (タレント業は?)タレント業は 更新料がかかると言う事なので ちょっと考えてます(笑い)毎年更新料がかかります。




河合(木田)さん

木田です、そしてまだ河合です。(笑) これでも40年以上経っているのですよ、如何に私が忍耐強いか分かるでしょう? 早い話が、前回より3ヶ月しか経っとらんけん、変化なかないっちゃんね。(少しはあるやろう?) まあ 若干と言えば 老けたかな~と言う事(笑)前回も言ったけど 今は犬の介護をやってます。皆さん 孫のオムツを変えてとかいろいろ言ってますが、私は犬のオムツを代えてます(笑)夜中に3回くらい起されて、犬の体位を変えてます。 ほら赤ちゃんが生まれたとき 夜中に何度も起されて、、、あれと同じちゃんね。そやけん、犬の介護保険があれば、「要介護」はもらえるはず。ちょっと違う話と言えば、去年主人の親がなくなって これで親は全員居なくなったと言う事。家が残り 古いので住むにもちょっと、、と言う事で 今住宅展示場などを見ている。みなさん 何処が良かろうか? (竹中は止めたほうがよか? 笑 竹中は個人住宅やっとらん! 笑) しかし65歳で また家を建てるとか考えると億劫になってくる。皆さんそうじゃなか? なんか 気力的にもこんな事を考えるのは今回が最後かなと思っています。




高鍋婦人

皆さんのお言葉を借りると まだ高鍋です。(笑) 前回の田邊さんのお話の 教育、教養のお話を聞いてから、毎日主人が 今日の用は(教養)、今日行くところは(教育)と聞いてきます。(笑)結構プレッシャー(笑) でも 相変わらず やりたい事が次から次から出てきて、いろいろなものにチャレンジ。この間は 初めて敷居が高かった俳句の会に出席しました、あのNHKの、、、(NHKは 徘徊と言うのでは? 笑笑)皆さんに先んじて徘徊してます!(笑)。びっくりしたのは 参加者のうち私が一番年下かな?と思える事。隣の隣の男性なんか 書くときに こう手がブルブル震えて、、、、、でもびっくりしたのが句を書き写すとき(4句) 皆さんそれは早い、私なんかついてゆけない。あんなに沢山字を書いたの久し振りで、遅れて皆さんに申し訳ないと思うくらいでした。

料理するのが楽しくて、いろいろやってますが、前回ここ花羽(みちば)でお鍋を食べて、あまりお鍋が好きでない主人がおいしそうに食べていたので、店の人にお出汁の作り方を教わったりして、家では 花羽鍋と称して主人と二人で楽しんでます。(おい高鍋 お前は幸せで、生き延びるよ! 笑笑)前回はここでは最後はうどんだったのですが、家ではご飯を入れてオジヤにして楽しいで居ます。今日は しょうがの利いた別のお鍋なので、まだ食べてないですが、また家で再現して 花羽鍋2号して楽しみたいと思います。元気だけが取り得の私は、こんな幹事で過ごしています。(高鍋 お前絶対長生きするよ!)




城野君
遅れて申し訳ない。会社関係で4月の6日から東京ビッグサイトで高機能フイルム展がありますが、それにうちの会社が出展する事になり、最近は土日無しで忙しい毎日です。プライベートで 大きく変わったのは、福岡の家を売る事に決めた事。市役所から 木や枝が はみ出しているとか、草がぼうぼうで困るとか、うるさく言ってくるので、その度に帰って処置したら 費用も時間も大変だし、中学時代の友人が買ってくれると言ったので、売る事に決めた。親も居ないし、家もないしと言う事でもう福岡に帰らないと言う事になったのが 大きな変化。個人的は 女房も ここに居たら 「まだ城野です と言うと思う」(笑) (お前結婚して何年や?) えっ 何年かな 35年くらい? でも、うちには こわいよ~~!(笑)

 
と言う事で 話に盛り上がり、お開きとなって、実は集合写真を撮るのを忘れてました。
上記記載の皆の元気な顔で 報告とさせて頂きます。

今年は、どこか外でのピクニックやバーベキュー、名所訪問、等々 普通の飲み会でない集いも アイデアが沢山寄せられ、幹事の
高本君が 洗濯 いや 選択に迷っている状況。

年々 参集者の数も増え、女性参加も増え、年も増え、そして想い出も増やそうと、我ら同窓生で、健康寿命を延ばすこれからです。

ページトップへ また 会いましょう。

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      



 筑志会 2014年 12月 納会・忘年会      神田 花羽(みちば)にて



2014年12月20日 土曜日 神田 花羽(みちば)にて、16名の参加を得て 盛大な会が催された。
いつに無く 女性の参加も大勢あり、歓談に花咲いた。

来年2015年は 前期高齢者になる人も多く、今回のテーマは 「健康寿命を延ばすため、現役を退いてから 老後に
何をしたいか」 を中心に、年取ってからの 夫婦のあり方などを 大いに語り、飲みあった。

話題の中心を決めていたので、近況報告は少しにして、大いに語ってもらったので、メンバーの了解を得て、今回は
一人一人の 報告を すべて掲載することにした。 筑志会の参加メンバーも その時を思い出し、また他の同窓生も
筑志会での 一部始終を堪能して頂きたい。

尚、断っておきますが、いつものように、発言途中の「ヤジ」は 沢山あったが、それには 文中で「答えた様に」盛り込んで
あります。 同窓生だから「ヤジ」が無いわけはない! しかし 今回は 一人一人の 発言内容を重視して、すべてを
盛り込んだ。 決して 静かな会だった訳ではないので、そのおつもりで、、、、

以下 発言順で掲載します。

                         幹事 多田君からスタート

                          

今日は足元悪い中、16名揃いました。嬉しいです。これからもずっと続けて行きますので、宜しくお願いします。
毎年 一人減り、2人減り 寂しい話ですが、私は最後まで生き残るつもりですが、この会を継続させるために
皆頑張って生きてゆきましょう。棚田君が提唱してくれた 健康寿命も後7年か 10年あるかもしれないが、
あと10年あると言う人も居るし、もう十年しかないのか と言う人もいると思うが、とにかく有意義な人生を
送ってゆきましょうよ。 
まだ働いている人もいるし、もう卒業した人も居るけど、みな高校の仲間だし、みな同じような考えを持っている
のではないかと思う。家族も大事、友も大事、地域も大事、 大体男は 女性に比べて脳が弱いので、みんな
頑張って生きてゆきましょう。私には2人の息子が居るが 21歳と23歳になりました。皆さんもうお孫さんも
いる人も居ると思うが、私はまだ。家族の絆を大事に、後10年位したら孫の話が出来る仲間入りが出来ると思う。


                               高山君

                         

11月の会は マレーシアに出張で出れなくて失礼。私はずっと高校の頃から、マラッカ海峡を見たくて、今回は
マラッカに泊まって、40数年ぶりに夢が叶いました。混雑しているマラッカ海峡を見ていると、1511年かな、
ポルトガルが マラッカに何故城を作ったかが良く分かりました。退職したら何をやるかというテーマですが、
私は退職したら何かをやろうという、だいそれた考えは全く持ってなくて、私はずっと仕事と趣味が一緒だった
ような気がする。今は パーマネントの仕事だが、再来年の春には パートタイムのようになり、学生の面倒を見る
ことになると思う。私は 教えることが好きで、学生の面倒を見るが、この学生一人前になれるのかなと思って
いた学生が、国際会議などで立派に講演をしているのを見ると 教師冥利に尽きる。本当は 南の島で、カヌーを傍
において、海にすぐ出れるようなところで、本を書き、そう言う生活を80歳くらいまで送って、日本に帰ってくる
というのが夢。何で80歳かと言うと、私の父が91歳で、母が89歳で まだまだピンピンして、危ないから
止めろと言っても今でも車の運転をしている。そういった意味で、私には長生きのDNAが流れていると思う。

 
                              飯田さん

                         

先週エレクトーンの演奏会があり、仲間といっしょにミュージカルの曲を弾いた。ヤマハにも若い人のクラスと
じっちゃん、ばあちゃんのクラスがあり、私たちは
じっちゃん、ばあちゃんのクラスで、初心者もいるのですが、
私たちはベテランという事で、トリで演奏して すごく気持ちよかった。同じ仲間と うん十年一緒にやってきたので、
このまま続けて行きたいなと思っている。先ほどの高山さんの話ではないですが、私実は55歳で免許を取ったのです。
なにせ どれがブレーキが どれがアクセルかわからない状態で、とにかく先生の言うとおりにやって、なんと1回で
パスしました。このままずっと車の運転できたらいいなと思ってます。

                          
                               高鍋君

                         

上野さん 無事ご帰国おめでとうございます。今年 いろいろな事があって、一番大きかったのは、心臓をやったの。
不整脈で、心臓にカテーテルと電線入れて心臓を焼いた。今年の4月だったが、それから体調がすごく良くなった。
老後になにをするかの話だが、会社を作ったのが、ここに参加するようになった10年前。それで 実は今年、
引退しました。会長になりました。老後何をやるかだけど、走る、そして今年はスキーをやる。夏に水泳。これが老後の
楽しみ。 この同窓会での旅行の話だけど、前回の台湾旅行楽しかった。 いま考えているのは、例えばインドの
ウダイプールから車で2時間のところに インドのジャイナ教の寺院があって、大理石の精緻な造りで、タージマハール
よりよっぽど綺麗。そしてウダイプールの湖の真ん中に、これまた大理石で出来た美しいホテルがある。 そこに泊まる
のはどうだろう。そういうのを考えて、65歳の前期高齢者ツアーを考えている。是非また一緒に行きましょう。

                               高本君

                       

自由な生活になって4年、非常に気ままに暮らしている。高山君に言われて、第九を聴いてきた。プロのすばらしい歌で
誰が来ていたと思う? カーペンターズ ???(大工)。
冗談はそれくらいにして、定年後の薀蓄を垂れようかなと思っている。 まず、奥さんから煙たがられる。だから、
リビングで、飯!風呂!寝る!などと言うのをやめて、自分の部屋で、やりたい事、好きなことをやる。それが大事かな。
そしてそれを社会に関連させて、多田君が言ったように地域などで活躍する。 もう一つは 私が勘違いしていたこと。
女房がね、愚痴こぼすんですよ。それで若い頃は、こうしたら良いとか 相談に乗ってた。でもそれが勘違いだった。
女性は相談しているのではなく、ただ聞いてもらいたいだけなんですね。旦那に向かって話しているのと、壁に向かって
話しているのと同じで、決して
アドバイスしようなんて思っちゃいけない。 適当に ふんふん とか ああ、ああ、とか、
そうなんだ とか 相槌だけ打っていれば良い。そうすれば 女房はルンルンです。以前は相談に乗ってアドバイス
していたから、「あなただって、そうじゃない!」とか
絶対喧嘩になる。それを避けるために壁に徹する。女性はちゃんと
答えは持っている。
それと、もう一つは 大事なことは「笑う」 朝歯を磨く時にでも 口角を上げてニカッと笑ってみる。
やりすぎると般若になるけど、、、イルカのように、いつもニコニコしていれば健康になる。



                             高鍋(婦人)

                         


高本さんから 非常に「意味深い?」お話を頂いて、何を言えばよいか分からないが、あつかましいとは思うけど、
自分で年を取ったという思いが無いく 年を取ったというイメージが湧かない。私の元来の性格は 単純なところで 
何にでも好奇心を持ってやってみたいと思うところがある。 低いけどアンテナを張り巡らして、自分が出来そうだな
と思う事は、なんでもやるようにしている。仕事をやめてから専修大学の社会人教育学科で勉強したのですが、役に
立っているかどうか分からないが、そこで知り合った仲間と今でも色々なことをやれているのが一つの財産。地元の
英会話クラスの新しい仲間とも交流があり、楽しく生活している。日常生活では 主人の運転手をしている。 
本来で有れば引退しているところだけど、朝から晩まで土曜も日曜も働いている主人に、何かをしてあげられないかな
と思ったら、運転手くらいなら出来ると思っている。良いカッコしいと思われるかもしれないが 本心です。
それくらいしか やってあげれる事がないので。
生涯の仕事だと思っているのは、障害がある人たちのプール活動の
お手伝い。自分が年をとってもずっと続けて行きたいと思っている。後に続く人を育てたいと思っている。
もう一つは 
家をリフォームして、それで月
1回の料理教室に通っている。そこで 「私は料理を作ることが好きなんだな」と
自分を再発見した。子育てをしているときは、それなりにやっていた事が、いまや夫婦二人になって 作っていると、
改めて料理が好きなんだと分かって、非常に嬉しく思っている。

最後に 前回田邊さんが、年を取ったら教育と教養が必要、即ち、今日行くところきょういく:教育)と
今日用がある事(きょうよう がある:教養)、と言ったのがすごく頭に残っていて、お腹にストンと落ちたように
理解できた。 これを思いながら今後も生きてゆこうと思っている。


                               城野君

                          

今は 自分たちの会社で何とかやっている。リタイアしたら何をしたいかだけど、67歳でリタイアするつもり。
リタイアしたら 「歩きたい」。で会社を辞めて今の会社を興すまで
2年位あったのだが、そのとき良く歩いた。
一日40数キロも歩いた。中性脂肪も
ガクンと落ちて、非常に健康によい。タバコをやめた方が良いとの意見も有るが、
残念ながら 私は死ぬまでタバコをやめる気は全くありません。親父も
100歳まで生きたが、最後までタバコを吸っていた。
 リタイアしたら、東海道を歩きたいね、京都まで。前回は平塚まで歩いた。ぶらぶらではなく、結構一生懸命歩いた。
そのうち 食べながら歩くようになる。コンビニでパンでも買って、食べながら歩く。一日
50キロは歩ける。昔の人は 
一日 12里から
15里歩いたらしい、48キロから60キロ。お江戸日本橋七つ発ち、、、、で毎日、日没まで歩く。
それが私のリタイア後やりたいこと。


                               田中(義一)君

                           

今関西に住んでいて、月1回 千葉のお袋のホームに尋ねるようにしている。弟も千葉の近くに住んでいる。今日も実は
お袋のところに行ってきたのだが、朝 東京駅の大丸で、
美味しい弁当を買って お袋のところに行き、その弁当を
お袋が食べて、私がホームの昼食を食べる、というようにしている。今お袋は
89歳、まだ56年は生きて欲しいと思う。
私は、大学を出て3年間関西の芦屋に居て、ゼネコンに勤め、その後東京に来て35年。娘は二人東京に居る。それで我々
夫婦が関西の芦屋の庶民的なところに住んでいる。
東京で35年もいると、言葉も東京弁に慣れて、関西では 関西弁を
しゃべらないが、こういう会に出ると とたんに博多弁が出る。そげなかんじです。
夫婦二人になって、奥さんは強いの
ですが、私も料理教室に通って今年で
3年目。自分でも嫌いじゃない。今は週2回 私が料理を作っているが、なんせ
レパートリーが少ないので、文句言われないように苦労している。 少し料理の「コツ」が分かってきたようにおもうし、
レシピでもあれば 何とか出来るようになった。
仕事は 定年後嘱託で勤めたが、1年は雇用保険で暮らし、いまはパート
の仕事をしている。
要は女房にとって、自分が家に居ない事が一番良いらしくて、外に出て働くという事の大事さが、
つくづく感じられる。ずっと家に居ると、かえって、女房とのコミニケーションが全く無くなる。
週に3日 マンションの
管理人をやっている(経理処理なんかも手伝っている:EXCELで)。管理人をやっていると、住民の人生模様がよく
見えるようになる。色々貰ったりしているけど、こちらからも お土産等を持っていって、一応貸し借りなしでやっている。
 
またカルチャーセンターに通って、お城、城郭などの勉強もしている。だから 結構スケジュールが詰まっている。
今年は初めて 初孫が生まれた。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                                 
  

  


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                                  村上君

                            

今の義一の話を聞いたら、私は なんも しゃべれんごとなった。退職して3年経ったが、何をしようかと色々考えたきた。
堺や太一の 黄金の
10年を呼んだら、われわれも 団塊世代の端くれだが、日本の社会を今のように作り上げたのが
団塊世代だということと これからも団塊世代が日本を作ってゆくという事が書いてあった。 団塊世代は 知恵もあり、
時間もある。それじゃ 自分はなにするべ?と思ったが、自分の好きなことをやればよいと思った。そう思って
3年も経ってしまった。今年は じゃ ボランティアーをやろうと福島まで行った。しかし 福島あたりのホテルや旅館は 
東電や三菱がすべて押さえていて、泊まるところが無く 目的を果たせなかった。それで今は相変わらず 図書館通いをして
自然科学の本などを読み漁っている。
でも最近は 古典にも興味が出てきて 平家物語などを読んでいる。
ただ いつまでも
ロマンは捨てないでおこうと思っている。


                                   棚田君

                             

定年後 今の会社で顧問として海外事業立ち上げで楽にやってきたけど、一応2年で中国、韓国、タイの拠点を立ち上げて、
今年から本格的にやらねばならなくなった。
会社で 海外事業部を正式に立ち上げ、部下も付けてくれて、部長兼任で
若手の育成にも注力して欲しいといわれ、昔の現役の忙しい時代に戻ったような有様。社長に「敬老精神がないですよ」
と言ったら、
50歳の社長から、まだまだお若いといなされた。83歳の会長から 幾つになったと尋ねられて、前期高齢者の
64ですと答えたら、俺は83歳でも今だ会長として働いておる、お前も長く働け! とこれまた いなされてしまった。
元部下達と飲むと、その年で必要とされるのは幸せだから贅沢言っちゃいけないと、お説教されてしまった。尾ひれで
「私が 止まってじっとしていたら死んでしまう魚のように、常に動いていなければ、我慢できない人だから、、、」と 
けなされたのか、褒められたのか 分からない事を言われた。 海外の仕事で 年取ってくると 長く飛行機に乗るのが
辛くなる。
さっき城野も言ったように、私もタバコをやめるつもりが無いので、例えば 7時間もかかるタイまで 
禁煙で飛行機に乗るのは苦痛になってきた。昔は 香港でわざと用事を作って、
4時間+3時間で やっていたのだが、
今はそんな贅沢も出来ない。
引退後は何がしたいかだけど、ちょっと休んでいるけど 今だ剣道もやっていて、
それに
音楽演奏(JAZZ)もいまだにバンド組んでコンサートなんかやっている。 これらを引退後は思う存分やり
たいなと思っている。 夢かもしれないが、自分の部屋を完全防音にして、好きなJAZZをガンガン鳴らして、
それらのプロたちと「競演?」するような楽しみをやってみたいと思っている。そういう事を通じて、地域の人たちとも
交流し、
また自分の家で 近所の子供たちを集めて「英会話教室」などもやってみたいなと思っている。


                                  篠塚さん

                              

36組(理科系)の篠塚です。今年2月に脚を手術して治ったのだが、悪いほうをかばっていた良いほうの脚が少し
変形して、今は東京女子医大にリハビリに行っている。
普通はこれくらいの変形では問題ないのだが、
歩き方が悪いといわれて、今は歩き方の練習をしてます。歩くことが好きだったのに、今は思うように歩けないのが
一番辛い。
仕事もしなければいけないので、仕事とリハビリで頑張ってます。老後に何をしたいか、、、ピアノをしたり、
好きなことをやろうとは思っているが、今は娘と来年小学校の孫と一緒に暮らしていて、娘が父親役、私が母親役で
忙しいので、好きなことは孫がある程度大きくなるまで、出来そうにない。

 

                                   河合(木田)さん

                               

3週間前に飯田さんの帰国会で色々話したので、話すことがあまり無い。この3週間で色々な事が起こる訳もないし。
だからちょっと気になること、お願いがある。 こういう高校時代の席では、こういうしゃべり方したら いかんちゃんね。
高校時代に戻りたかけん、同級生やけん誰にも敬語も使わんけん それでよかろう。 それに幹事が横暴で、
なんで会費だっちゃ、男と女と分けると? 次回からは同等に取っていただきたい。それ
お願い。私も脚を手術しました。
軽かったけど。主人の父親も介護しました。父が亡くなって、やっと やれやれと思ったら、なんと犬が介護が必要になった。
これ人間と同じ。食事から下の世話まで、大変です。
もう一つ 老後? 主婦は老後も同じ事をやってます。
男性諸君! みなさん一言っておきます。色々老後の話をしとったバッテン、それに一つ足りんのがある。「家事」!!!

だーれも家事やら ゆーとらんめーが! なんか好きな事とか、趣味とか、ゆーとったけど、ほら 誰も食べないかんやろ!
それ生活の基盤やけん それ誰のお陰ね!
男子厨房に入るべからず なんて言うのは古い!今は違う。皆さん家事を忘れん
ように。
それに、高本さん? 奥さんにただ話させとけば良い分けないよ、壁に話しているわけではないよ、みんながみんな
そうじゃないよ! というのが 私それやられると イラっとするもん。あんた、まともに聞いとらんめーが! 
って胸倉つかんで、、、、
そう言いたくなる。 喧嘩になるくらいが わりと真剣なんよ、夫婦としては、うちの場合は。
だから、皆さんの奥さんが皆同じ立場だと思わんように注意してください。

 

                                    飯田(上野)さん

                                

929日にアメリカから帰国して、1011月、12月 と もう年も終わらんとする時に主人はずっと家におります、
、、本人は浪人中だと言っておりますが、仕官するつもりがあるのか、仕官先があるのか全く分からず、おまけに先日
ぎっくり腰になって、唯一の仕事の 犬の散歩も出来なくなり、、ただ3食きっちりと食べます。これはもう大変です。
犬は2匹アメリカに連れて行ったのですが、残念ながら1匹死んで、残りの1匹だけを連れて帰ってきました。 
主人は犬を抱き上げたときに、腰をひねったらしく、散歩も出来ず、部屋に籠もっておりますが、お腹が空くと
必ず出てきます。昼はなんだ? 夜はなんだ? で、私は老後を考えている暇はありません。引越し荷物の整理もまだ
終わってなく、
主人の世話に追われ、まだまだ新しい生活など考えられない今日この頃です。アメリカ中西部の生活は、
別のアメリカを見たような気がします。今までは大きな都市に駐在していたのが 今回は田舎町で ミシシッピー川の傍
の小さな町で、日本人は私達だけ。皆私たちを知っているのに、私たちは誰も知らない。 小さな町なので、皆知り合いで、
別れた夫婦が近くに住んでいるという そんな町。皆親切だったので、それなりに
楽しいこと、辛いことがあったけど、
ただ犯罪に遇わなかったことだけが幸いでした。
秋は 狩(狩猟)のシーズンで、家では犬猫を可愛がる人たちも、
鹿とかを狩って、家に鹿の首を飾ったりしていたので、犬猫は可愛がる動物、鹿などは狩りというゲームをする
動物と理解
するようにした。内陸部なので 魚を食べるなんて とんでもない話。食べるのは 養殖したナマズくらい。ナマズも
ブリキ缶の中の油に 丸のまま入れて揚げて食べるという、そう言うところです。 
アメリカ人が知らないアメリカかも知れない。

 

                                   待鳥君

                               

今年の5月に合気道の稽古で骨折して、左脚の指を骨折して全治3ヶ月で、前回は来れなかったが、
今回は動けるようになったので、忘れられないように やって来ました。
65歳になったので退職したけれど、
合気道を30年以上やってきたので、教育と教養を大事に過ごしております。今後は、今5段は取っているけど、
6段を目指して頑張ってゆこうと考えております。もう働く気は全然無いので、これからは この会に是非とも
参加しようと思ってます。今後とも宜しくお願いします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     
    
 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                                 田中(昭)君

                              

父親が90歳まで生きたので、今64歳の私も 寿命が延びているので、95歳くらいまでは生きるのかな 
とは思ってます。女房が9歳年下なので、自分のほうが先に行くまで面倒を見てもらいたいと思っているが、
仲が良いと思いませんか? そうでもないか。
私の仕事は自由業で定年が無いもので、ずっと昔から定年の感じで、
逆に皆さんに 定年後の話を聞きたいくらい。本の話ですが、なんかバカ売れして 次から次へと依頼が来て、、、、
 っとなれば良いなと思ってます。次回作を書いてくれという依頼はあるのだが、それは 出版社からではなく 
読者から来ることが多い。あれの続きを書くというのは、
900枚くらいになるので、今はエネルギーがあるかどうか、
 今は色々書いているが、
最初に勤めた翻訳会社で 面白い人が沢山居て、陸軍中野学校卒業の人とか、東大の細胞、
全共闘の人とか、いろいろな人が居た。 まあ何かを書き続けてゆきますが、司馬遼太郎みたいに 書いているうちに
ポツッと亡くなるような そんな生き方が良いのかなと
思っている。


                                     添田君
                               

どういうわけだか知らないが トリですよ、私が。 話すことが取りとめないようになるが、仕事は 合い変わらず
電力と防衛省と国土交通省の仕事をしている。あと東京都の
オリンピックに向けての海岸線の仕事をしている。
趣味は ひたすら自転車で走ること。今年は おそらく5,500Kmくらい走ったかな。だから、土曜日と日曜日は
ほとんど家に居ないので、女房に飯を作ってくれなどとは、決して言いません。家事の話をすると、食事を自分で
作ったときは、作り終えた時には、すべて回りが片付いている状態で作るので、女房からは文句は出ません。
そんな感じではあるが、自分の部屋は全くめちゃくちゃで、本を置くところが無く、横に積んだり、立てに置いたりして、
足の踏み場も無い状態。
部屋にいることが少なくて、外に出て あちこち移動すると言う事を楽しんでいる。
決して女房と行動を一緒にすることはない。たぶんペースが違うので、一緒にサイクリングしよう などとは決して
言いません。ただ飯を食べるときに 今日の報告をしたりして、決してぶつからないようにしている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

楽しいときは 瞬く間に過ぎてしまう。
今年は ただの飲み会だけでなく、皆で外に出たり、出来れば、旅行に行ったり、企画が沢山。
また 色々なゲストを招いて、世間の事をもっと沢山知って、健康寿命を延ばしてゆく約束で、お開きとなった。
また会える日を楽しみに、


店のマスターに数枚写してもらったのだが、なぜかどれも右端の多田君が入ってない。 ごめんなさい!




ページトップへ

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      


 帰国祝い - 飯田廣美さんを囲んで              11月29日  東京赤坂茶屋にて

11月29日に アメリカから帰国した飯田廣美さんを囲んで、帰国祝いをした。
参加者は (敬称略) 添田、高本、棚田、三宅、飯田(真)、篠塚、高鍋(奥様)、河合、田邊、多田 の11名。
なんと 昼間の膳を囲んで 「アルコール 一切抜き」の 初めての集まりになった。
アルコールが入ってなく、皆真面目に 飯田さんのアメリカ話や、田邊君と木田さんのバトル?を神妙に聞いていた。

 飯田廣美さん

   

   

    

飯田廣美さん
5年半 アメリカのアーカンソーの田舎町に居た。何も無い田舎町で、動物や生き物が家の周りに沢山居て、街が小さく、
例えば、別れた夫婦が 同じ街中で平気で暮らしているようなところ。 黒人は50%くらい居るが、黒人との付き合いは
無かった。 ニューヨークには毎年1回 人とネオンを見に行く。 南部のほうも尋ねてみたりした。 ゴルフはやらないが
テニスをやっていたが インドアーコートまで 家から80Kmもある。そんなところに住んでいた。

  

  

皆さんの報告

神宮のイチョウが綺麗だった。料理は好きだが、女房に嫌がられている。

孫の入院や退院、息子夫婦が一緒に通院、9月に帰っていった。 大変だった。息子の嫁が 「アクティブなお父さんが
家にいると大変だね」 と一言。

市民カレッジに通っている。

夫は入院、一人で、子供じゃないので、、、 仕事を辞めて4年 料理クラスや仲間との付き合いなどで やっと生活の
リズムが持てるようになった。

年4回は福岡に帰っている。子供が来年関東に来る。

人工股関節の手術をした。左右のバランスのため リハビリをしていた。杖をついていたが、リハビリのお陰で
杖無しでも歩けるようになった。 仕事もしているし、孫のお迎えが大変。

この間、田邊君と天敵 河合(木田)さんが 夫婦の有り方についてバトル!!!
旦那の退職後、妻が困るのは夫が原因の事が多い(夫源病?)、 よせば良いのに、言いくるめられて、あえなく撃沈?

閑話休題

最後まで会社では頑張ったが退職後 地域活動に精を出している。カレンダーが埋まってしまうくらい忙しい。

夫源病 勉強になった。教育と教養は必要。女房との距離感が難しい

海外出張を繰り返している

外反母趾で最新の手術をした。今は歩ける。手術は通いでやったが、手術代よりタクシー代のほうが高かった。
今は 犬がいるから家にいるが、「犬の介護」で大変。

アルコール抜きの同窓会は どうなることかと心配だった。

40年前 ネットの無い時代に中近東カタールに居た。駐在の6割が 腰痛で帰国。

などなど、アルコール抜きでも 楽しい同窓会となった。

  

 


盛会で楽しい会だった。お開きの後幾人かは帰ったが、近くの喫茶店で2次会で 更なる交友を深めた。

 

また 会いましょう。 次回の筑志会は12月20日(土)、女性陣も含めて 多数参加を期待します。ページトップへ





  筑志会  新しい名称へ変更      2014年 9月19日(金) 神田 花羽(みちば)にて



 告示 : 今までの 波留美の会 を事情により名称を変更し 筑志会として新たにスタートすることになりました。

寄川君、亡くなった笹原君、田中義一君、城野君 など初期のメンバーにより始められた 波留美の会ですが、長年
ここまで 場所:波留美 でやってきましたが、種々の事情により継続が出来なくなり、関東地区のメンバーの総意に
より 新たな場所 神田 花羽(みちば と読みます)にて 名称を変更し 新たなスタートを切ることになりました。
場所は もっと良いところがあれば、全員で柔軟に考えてゆくことにしました。

新名称については、色々な案があり決めかねておりましたが、3つの名称に絞り、あとは投票にて筑志会と決まりました。
やはり 遠い関東に居ると、筑紫が丘の「筑」の字が懐かしく、また志士の会や 亡くなった笹原君の「志を受け継ぐ」と
言う意味において 「志」の字を入れ、何々の会の 「の」を取り去って 「筑志会」となりました。

運営については、志!

我々も そこそこ歳を取ってきて、年金生活者も今後増えてくるので、今までのようにただ飲んで過ごすというだけでなく、
皆と会うことにより 

1.「健康寿命を延ばす」事を目的として、実際の体の老いや、精神の老いを防ぎ、その為に、
2.飲み会ばかりでなく、散策や展覧会や、イベント参加などの機会を増やし、
3.女性の参加も促し、
4.ゲストなども受け入れて、我々の知らない外の世界の刺激も享受し、
5.年金問題、社会問題、国際問題など テーマを決めて論議し、
6.笹原君の意思を受け継ぎ、いつまでも 仲間で会える 健康寿命長いの同期会にする。

という会で新たにスタートすることになりました。

皆様に 上記をお知らせします。



 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      



 福岡から大浦君 東京訪問   2014年 10月3日 神田 花羽(みちば)


秋の気配が感じられる 10月3日 福岡の大浦君が東京に来られました。
神田 花羽(みちば)で、集まったのは 高本君、川庄君、高山君、高鍋君、高鍋夫人、添田君、原君、多田君。

おおいに盛り上がり、我が筑高魂と堅い絆を彷彿させる楽しい宴会でした。
偉大なるシューベルトの芸術性、福岡の歴史的存在価値、話題があまりに高尚!会話の途中高鍋君からは、
この26日大阪での同窓会に参加する旨や、高山君とでノーベル賞受賞時の賞金や着ていく服装とか、・・・。
アッと言うまに2時間半



おおいに盛り上がった、久しぶりの再会でした。

大浦君 また東京に来るときは、俺たちに声ばかけんね!

波留美の会  2014年 7月19日(土)              東京神田 波留美にて

今回は 皆さん所用が多く、参加人数が少なく 関西から参加の田中(義)君、それに城野君、高本君、原君、高鍋君、
棚田君の6名に加え、特別ゲストの(以前参加した) 韓国舞踊の先生 蔡美京さんの7名で 歓談した。
少ない人数だけに、話が弾み 5時前の開会から最後は10時前まで 長時間にわたり 歓談を楽しんだ。
特に 紅一点の蔡さんが 韓国人であるので、話題も国際的、歴史的、文化的と多岐にわたり、大いに盛り上がった。

今回は参加者の写真より、いつにない盛り上がった会話の いくつかをかいつまんで紹介し、読者に楽しんで頂く。
おそらく 思いを同じにする同窓生は 話題の背景に想いを馳せて下さい。

また 歓談中 高鍋君から 衝撃の告白?があり、この話題を中心に話が多岐に広がった様子をお楽しみ頂きたい。
高鍋君の話は、中ごろに出てきます。 お楽しみに。
しばらくは この波留美会の話題に耳を傾けて下さい。

==========================================

関西は東京に比べ暑い! という話題で、まずは乾杯!
紅一点の蔡さんを中心に会話が始まった。

関西の義一君から 阪急 芦屋の山側で イノシシが今でも出ると言う話題から、あーあ 牡丹鍋で一杯やりたいという
話になった。 (蔡さんに ぼたん鍋の説明、豚と一緒だけど、ちょっと臭いから味噌などを入れる、、、)
蔡さんの え~っ! と言う顔に、更に 馬肉は食べたことある? 蔡さん !!!????
皆が必死で説明。 東京の森下の さくら鍋はちょっと醬油からいが旨い、背油の馬油は女性の肌に良い、、、、

紫煙にむせたのを機に、タバコの話題になり、
喫煙者:タバコを吸う人と、酒を飲む人が 一番税金を払っている!!
非喫煙者:タバコ税は国に入ると思っていたが、実は以前のある国策会社?の年金にも当てられているとの発言に、
一同え~っつ!  ここで タバコ税の内訳の話しで ひとしきり、、、、

ここで マスターが 蔡さんが持ってきた、韓国の親戚が作った 1年もののキムチを出してくれた。
皆 辛いけど旨いと つまみ始める。
これ発酵しているの? そうです。 4年ものになると 黒くなるけど、豚キムチなどに良く合う。
メンバーの一人が 「納豆とキムチをご飯に混ぜて食べると最高! 卵を入れると更に贅沢!で旨い」の発言に、
今度は 蔡さんが え~~っつ!

そういえば福岡ではあまり納豆食ったことなかったな。 
そんなことなかぞ! 納豆とおきゅーとを自転車で売りに来よったぞ!
それは 市民の話だろう、郡民は知らんぞ! 納豆は 一番が茨城の水戸、実は2番が熊本、、薀蓄をひとしきり、、
ここで 蔡さんに 市民と郡民の違いを説明?
郡民側から、米軍基地や、自衛隊、花火大会など誇りを説明、市民は実は貧乏人の集まり、、、これが大うけ。

義一君の発言に、「この人は われわれの先生で 馬車と言う人の息子で 教え子がわれわれの同級生」と説明
「え~っ 馬車って あの馬が引っ張るあれですか?」 「そうそう 馬車がいて、カバがいて まるで動物園みたいやろ!」
ここで、棚田君が カバの絵が描いてある扇子を披露、「どこで見つけたとや!」 と大うけ。

ここで、築高の校区外地域にあった 東住吉の話になり (お前 越境入学や?)
「東住吉中学校の時、不良が多くて、番長が刃物を持って先生を追い掛け回しよった」
「運動部も 番長が仕切っていて、部員も木刀で殴られた」
「それで お前も柄が悪かとや?」
「そういえば 先生が離婚調停で奥さんを刺した事件もあったな!」
「まるで、ヤクザやな」
「そういう時代だったんだ」
などと、当時の教育現場や、少年時代の あの大変で それでいて楽しかった話題に及んだ。

「韓国は今 進学ブームで 大学に入るのが大変なんでしょう?」
「高校入試以降は自動的に上に行く人も多いが、いい大学を出ても ごく一部の人しか エリートになれない。
 エリート以外の人は、大学を出ていても、給料が労働者と同じくらい安い人もいる。それでも政府は大学教育に
 力を注いでいて、ソウルでは 大学入試の 英語のヒアリングのテストがある時は、飛行機の発着が禁止されていて、
 それほど国は大学教育に力を入れている」
「韓国の経済も同じような状況だと思う。 ごく一部の企業が 大きく世界と戦っているが、その他はたいしたことが無い。
 人材不足もあるだろうし、層が薄いと思う。 儲けるという構造が日本とはだいぶ違うのかな?」
「韓国では 下のほうの企業に入った人は なかなか 上の企業に行くチャンスが無い」
「まるで、俺のゴルフの バンカーみたいだな」

ここで 高鍋君が韓国・光州の有名なお寺を訪ねた話で 蔡さんと盛り上がり、、、突然の告白を始めた。
(これは 世に公開されている事なので、本人の承諾なしに掲載します)

============================================

お前たち 知らんやろうが、俺んちに釣鐘があったと おぼえとーや? 小さな釣鐘だったけど、実はあれは
韓国の国宝級の鐘だったんだ。(みんな ぽか~~ん!) 俺の実家の爺さんが坊主で、当時 朝鮮総督府の総督
を勤めていた、斉藤 実(まこと)と仲が良くて、ある時 総督が「お前にやるよ」と言って 釣鐘をくれたらしい。
それは ずっと俺の実家に飾って(つるして)あった。 20年前くらいだったか、それが韓国の国宝級のものだと分かって、
(日本でいうと平安時代のものらしい)。 俺も勧めたのだが、母が生きているうちに 韓国に返還しようと言う事になった。 
母が韓国政府と交渉して、「一切保証金は求めない、運搬費と保険は韓国もち」と言う条件で返還することになった。
今もソウルに展示されていて、日本人が返還してきた記事や、母の名前も説明されていて、その時の写真も展示されている。
本にもなっているが、全部ハングルで書いてあるので全く分からん。「今度持ってきて 蔡さんに訳してもらえ」 
「俺がお前の家によく遊びに行っていたとき あったとや?」 あった、あった、返還までずっと実家にあった。

すごい話やろ!

「これは タイムリーな日韓友好の話で、ホームページの 主掲載はこれで決まりだな」

という 正に日韓友好の話でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
知識の泉
             
斉藤 実      
さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858122安政51027 - 1936昭和11年)226
は、
日本海軍軍人政治家階級海軍大将位階従一位勲等大勲位。功級は功二級爵位子爵
出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。
は泉水(せんすい)。

海軍大臣第一次西園寺第二次桂第二次西園寺第三次桂第一次山本5内閣でつとめた後、ジュネーブ海軍軍縮会議
主席全権を挟んで
朝鮮総督2期つとめた。五・一五事件のテロ後の混迷した政局を内閣総理大臣30)として安静化させ、
当時としては長い
21か月の政権を保った。その後内大臣となって宮中にまわったが、直後にもう一つのテロ二・二六事件
壮絶な最期を遂げた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
閑話休題

韓国との輸送の話から、海運の話になった。
海運の棚田君、航空の高本君、商船大出身の高鍋君、鉄道の原君、、、大論争?

そういえば、日本郵船に 徳川さんという役員がいて よく酒を屋台で一緒に飲んだ。
彼は 何代目か忘れたが 徳川将軍の直系で、まるで立ち振る舞いがお殿様。
先輩から、「お前!徳川さんに逆らったら、切捨て御免!で 切られるぞ!」と脅かされた。
徳川さんから聞いた話で、「いつか徳川家の総帥として 徳川家の葬式に出て挨拶したが、なんせ
徳川には 慶喜だの 何だのと 難しい名前が多い、少し酔っていたので、挨拶で 亡くなった
人の名前を間違えてひんしゅくを買ったよ! ワッハッハッハ!」 
ある時 会議で 主導的な意見を言われたので、冗談で「御意!」と言ったら、あごを引いて「ウム!」、、、
今は徳川天領の管理の仕事をされていると思う。

そういえば スケートの 織田信成も 織田信長の直系だったっけ?
彼の ライバルに 明智うんぬんが 現れたらおもしろかろうな? そりゃやりすぎだよ。

そういえば 昔は 船に乗ると1年以上も丘に上がらずに、港々に女ありで、、、、
蔡さんがいるので、こんな話はやめようか、、、、

昔の船は在来船で、雨が降ったら荷役は無いし、港にいる時間が長かったので、船長や船員は
その間陸に上がって遊びまわっていた。 出航するとき、街に船員を探しに行って、連れて帰るのが
大変だった。今はコンテナ船が主流で 港に停泊するのが10時間以内くらいなので、船員は丘に上がる
ことも出来ないから反面かわいそうだよ。

航行中は 「船長が法律であり、神様、 船長の言うことは絶対服従」
港にいても 船の上は 治外法権で 外国。
昔は 船には絶対に女を乗せなかった。 今は奥さんを乗せて航海に出る船長もいる。
そんな ゆるい規律だから 韓国のフェリーの船長は逃げたのか?
等々の話が長く続いた。

韓国との古代の文化交流の話、高句麗、新羅、百済の話、、、白村江の戦い(蔡さんが知らなかった)
防塁の話、その中に家が会ったとかとか、 福岡は韓国(朝鮮)に一番近いから
昔から文化の共有が深い。

韓国人が日本語をしゃべるときのなまりと、博多の人間のなまりが似ている。たとえば、
先生(せんせい)を しぇんしぇい という。同じだよ。

韓国人が 先生と言うとき しぇんしぇい というよ、、、蔡さんが大笑い。

同じウラルアルタイ語系なので 文法が一緒、発音形態が一緒、単語を置き換えれば 
日本語も韓国語も自由に交換できる。

南方系、朝鮮系、北方系の日本人の起源、、、等々

英語の話、、、、トンボ(先生)さんの話、英語の先生が英会話が出来なかった話、、

蔡さんが New Yorkにいて ジョンレノンのダコタハウスの横に住んでいた話から発展して、
ビートルズの名所旧跡の話、何でポールが 70歳も超えて 3時間もぶっとうしでコンサート出来るの?
セントラルパークで芝生で寝転んで本を読んだときの
幸せな気分、、、「お前に似合わんよ!」

卒業の時の謝恩会の話、おらは死んじまっただ~~~!

最近の穴あきジーパンの話、 俺たちの小さいときは ズボンに穴が開いていたら恥ずかしかった。 
しかも 親がその穴につぎあてをして、、、恥ずかしかった。

新幹線での修学旅行、御茶ノ水の学生会館で 誰かが酒を飲んで怒られた話、、、

アジアの歴史の話、民族の話、、、、、、、、、、

4時間以上の話をすべて挙げれば枚挙にいとまが無いので、この辺にしておきます。
いつに無く 文化と教養の香りがする波留美会で、ほんなこと 楽しかった!




ページトップへ

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      







  2014年 5月 福岡 田所さん 東京訪問  

            2014年 5月10日(土) 東京八重洲 木村屋本店にて

福岡から 田所さんが東京に来られました。 波留美会 有志メンバーで歓迎会を開きました。
メンバーは(順不同) 、高本君、多田くん、沼田さん(わざわざ茨城からの参加)、三宅君、高鍋夫人、蔡さん(特別ゲスト)、
高山君、飯田さん、城野君、高鍋君、添田君、棚田君に田所さんを加えた 13名。

まず しょっぱな、田所さんからの思わぬお土産がありました。 築高の校章と校歌のラベルのついた焼酎!
                        これには皆驚いた。

                      

        本格焼酎 つくし (麦) 25度 西吉田酒造販売(株) 筑紫市大字和泉612
        皆で試飲したが 25度とは思えぬ あっさりした味わいでした。

   

ところで、覚えてますか?校歌を  

        ♪ 丘上吾等偲、遥々筑紫国原、思出夢遠、民族歴史荷、日本守護 ♪

隣の部屋で 大勢の若者グループが騒がしかったが、「田所さん いっらしゃい!」の乾杯で 酒宴が始まった。
なんと店には、田所さんがやっている三味線(太棹)の音楽が流れていた。

  

東京にいる我々に 故郷博多の香りを感じたいので、田所さんに 博多弁での挨拶をお願いした。

                          

話の中で 糸島の牡蠣小屋の話になり、以前の参加者 高本君の補足説明等もあり、皆よだれが出そうな表情で聞いていた。
今度は 波留美会で 一度 「糸島の牡蠣小屋ツアー」を企画しようと盛り上がった。
料理は 黒豚とリブロースのしゃぶしゃぶで、「肉が久しぶり美味しかった!」との感想もちらほら。
高鍋君が ドクターストップで、酒もタバコもダメで、ノンアルコール ビールで 終始頑張っていた。「6月の解禁が待ち遠しい!」

高校時代田所さんが属していた英検の話や、昔話で盛り上がった。 特別ゲストの蔡さんが、自分の生徒さんの韓国舞踊発表会へ
田所さんの三味線を 特別ゲストでお迎えして 日韓文化交流もどうですか?との話もあった。

会話の中で 学年の担任の先生の名前が 思い出せなくて 「いかんな!年取ると 記憶があやふやになるな」との声も、、、

久しぶりの 福岡からの来客で盛り上がった会でした。

       田所さん、また来んしゃい! いつでも歓迎するけん! 
          今度は 糸島の牡蠣小屋で会いたかね~~!


                            故郷は良いものです!





ページトップへ

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      


       2014年 春  波留美の会
                         2014年 3月15日(土) 神田 波留美にて


お詫びと訂正:内容に一部 個人情報に触れるような内容があり、ご指摘を受けて、訂正致しました。
今後 個人情報には気をつけながら編集して、皆さんに楽しんで頂くよう努力します。
当該者の方へは 本当に申し訳ありませんでした。


今回は 亡き笹原君のご家族と、国際的な特別ゲストお二人、笹原君の元同僚 木股さんを迎え、総勢23人という 過去最高の参加者
で盛大に執り行われた。

                          先ずは 特別ゲストの紹介

                    

                    左:オルティコバ サヨラさん (ウズベキスタン) 高山君の紹介
                    右:蔡美京(サイ ミーキョンさん 韓国) 棚田君の紹介

それでは、幹事 多田君のコメントから紹介しますが、文中 赤字「  」は、波留美会 相変らずのヤジ、青字(   )は説明
です。ヤジが多くて 各自のコメントが聞き取れないくらいの盛り上がりを見せた今回の波留美会を 楽しんで下さい。

                     

前回から3ヶ月経ったけど、このところの日本の変動には ついて行けない、消費税は上がるし、オリンピック
もあったし、「英語でしゃべらんか!」

I Dont Know I cannnot Speak English.

「スゴイスゴイ しゃべっとる」、 昨年暮れ 幹事退任を皆にお願いしたが誰も認めてくれなかった、、、
都知事選やオリンピックなど、この会での話題を提案したが、次から次へと今の日本は話題が豊富で、提案した
話題も
もう過去のものになってしまった。
身近なところは 小保方さん、、長男のお嫁さん候補だったのだが、、、
でもがっかり、、、まだまだ言いたい
ことは たくさん、今日は23人も居るので 一人のコメント短くお願いします。
 

それでは 最初に本日のメインキャスター、、、 「キャスターや無かろうが!」 ファーストレディ、、、
「ファイーストレディーやなかろうが!」 ええ、、レディーファーストで、、、「棚田 英語通訳してやれ!」
お願いします

                              
                               オルティコバ サヨラさん

下記は 彼女のコメントの英語訳

私の名前は サヨラ。ウズベキスタンのタシュケントから来ました。 日本に来て1年半、 高山さんの組織で
リサーチ等で働いています。 私は日本が好きです。 第一に 素晴らしい先生方「高山か?」、そして 
なんと言っても日本の人々がすばらしい!。 
「オーWHY?」「WHYって お前その英語しか知らんやろうが!」
WHYですか?,ウ~ン 日本人は 親切で よく働く「おー!」 そして多くの専門家(プロフェッショナル)
がいる。
だから日本で働く事に決めました。日本語はまだまだですが、今少しずつ学んでいます。
実は
今日のこのような会への参加は 思ってもいなくて、初めてで びっくりしてますが、皆さんに会えて嬉しい。
ありがとうございます。(拍手、拍手!)

続いて、韓国のゲスト!

                              
                               蔡美京(サイ ミーキョン)さん

アンニョンハセヨ!お久しぶりです。今回で2度目ですけど、皆さん益々若返っているようで、、「おー! WHY?」
実は新大久保でこの1月から韓国文化教室を開いて、(今、チラシを回してます)伝統舞踊と、伝統楽器(太鼓)と民話 
それと韓国語を教えています。 興味があるかたは 歓迎します。 「チラシにお年を召されたかた大歓迎と書いてある!」
「お前の事だよ!」
 6月にはアジア文化学会で 研究発表をします。
色々なアジアの文化を発表する場です。
今日は参加出来て嬉しいです。 ありがとうございます。

それでは、いつもの近況報告、、、、、、、

 高鍋君

「次はインドネシアからのゲストか?」
前回参加してない人も居るので、情報共有の為
昨年と同じ事を報告します。昨年8月7日に死にかけた。新幹線の宇都宮駅のホームから転落して頭を打って、右肩を右手を骨折 手術が8時間、(この間 サヨラさんへ自ら英語で再説明!、 それ何語?)頭を打って頭が良くなったんと違うか?」「どうして落ちたのか聞いてない」エーっと それは秘密 (話すと長い) 手術の2日後ICUで目が覚めた。(この後 周りがうるさくて 聞き取れない 要は九死に一生を得たということ) 11月に ポールマカートニーのコンサートに行った。「おー!!」
ミックジャガーも行った。 あの事故で死んでたら 行けなかった。彼らは俺にとっては即身仏!と言うことです。ありがとう。

「即神仏を英語で何と言うのか インスタント ブッダ! スリーピング ブッダ」ばかか お前は!

 飯田さん

次男が小学校に上がった頃からエレクトーンを始めて 30年近くなる。「スゴイ!」おんなじグループでずっとやっていて、谷中の西東京大会で優勝しました「おー!!」目が悪くなって楽譜が読めなくなってきた。両手両足を別々に動かす楽器なので、それで若返ると言うか、、、「ボケ防止?」長男のお嫁さんも それこそ国際色で、中国の方で 「おー!」親が80歳過ぎているので、、中国に帰って 今うちの爺様と二人で 孫を二人預かって、大変です。








 笹原君の次男 元基君

2回目ですけど参加させていただいて ありがとうございます。前回結婚しますと言いましたが、約束どおり
結婚しました 「おー!おめでとう」 「隣に居る奥さんいくつ?、」「女性に年を聞くか、ばか!」 えー 同級生です「おー!」 35歳になります。「えー! 奥さん35には見えない 若い!」「すごい可愛い」

ありがとうございます。





元基君の奥様

皆様 初めまして、今後とも宜しくお願いします。
「どういうプロポーズだった?」 実はプロポーズされてなくて、結婚式でプロポーズをするというイベントを計画していて、 彼は直前まで、俺はちゃんとやらないよ なんて言ってて、やってくれないのかとがっかりしてたのですが、実際始まったら
立膝ついて、花を捧げて、ずっと一緒に居ましょう!と言ってくれた。感動して泣いてしまうほど 素敵なプロポーズでした。「おー!」(拍手!)

 笹原君の奥様 律子さん

今日はお招きにあずかり、ありがとうございます。あれから随分経ちましたが、だいぶ落ち着いてきました。しかし まだ寂しく感じるときがあります。、前を向いて、楽しい事を一つでも多く見つけて生きてゆこうと思ってます。2月から活動サークルに入って頑張ってます。ありがとうございます。

「元基君 早く孫を作ってあげなさい!」(ハイ!)



     新婚さん いらっしゃ~~い!
   笹原君も あの世で 喜んでると思う。





 高本君

最近、目が悪くなって「目と脳もか!」 字が真っ直ぐ書けない。そういうことで年賀状をたくさんもらったがメールで返事して申し訳ない。最近は医者との付き合いが多く、医療事故調査委員会の話があり、医療界は蜂の巣をつついた状態で、事故調査をやれば責任を追及されるという考え方が蔓延している。私も事故や裁判の経験者だから、経験を生かして、こういう風にやったら国の制度を上手く動かせるのではないか等とお医者さん達と話している。孫が二人。 



 山根君

色々あるけど、大局で見れば「おっ!大局かよ」 ごくごく平凡な生活を楽しんでいる 「平凡と言うより、平穏と言ったほうがいいのじゃないか?」一昨年からまた勤め始めて、今年も延長してくれそう。「相手も寛容だな!」 (蔡美京さんに向かって、教室 新大久保って言いましたよね、実は会社も新大久保で、周りは韓国料理ばかりで、でも韓国料理美味しいですよね) マスターが「それじゃ今度は韓国料理作ります!」「オー!よかぞ!」
一ついえる事は、免疫力が落ちている事。 今までかかったことがなかった 扁桃腺炎にかかってしまった。初めてだった。

 田邊君

「株主総会の答弁のような話は 要らんぞ!」
もうちょっと仕事を続ける事になりそう、あと2年間くらい。「エーツ!すごいじゃないか、でも田邊がね~」いやいや 私は人格者だし、、「誰が?」(笑い笑い)2月に中国に行きました。「ゴルフに?」 いやいや PM2.5の監査にちょっと、、、
私が行った時は PM2・5が100くらいだった。普段は500くらい。孫の話が出ているが、うちは子供がまだ結婚にまでも到ってない状態。「結婚しなくても、孫は出来るぞ!」 おー怖いな、まあそうだな、私がどんなに頑張っても孫は出来ないが、、、「どういう意味だ!」 孫を見るまではまだまだ時間がかかりそう、限られた時間の中で間に合うか、、、ゴールデンウィークはオーストラリアかインドネシアあたりのPM2.5がない地域の監査を考えている「ゴルフ場の監査か!」

 田中君

孫の話がでましがた、うちも娘がまだ27歳で、彼氏はいた、それで別れて、もらったものをを全て捨てて、、、男はもらったものは ずっととっておきますよね。「そーかなー、そんなに経験豊富か?」「経験豊富でないと 小説なんか書けんけんね」 僕もポールマカートニーには行きました。72歳で水も飲まずに、3時間ぶっ通し、、、
「ミックジャガーは水飲んでた!」昔のような甘い声はなかったが、でもスゴイ。ビートルズの曲はやらないだろうだろうと思っていたら、3分の2くらいは ビートルズの懐かしい曲だった。盛りあっがた。それから本がようやく出ました。 いろいろ皆さんからの感想ありがとう、まだ未読の方は買ってください。
映画化の話もある 「えーっ!」 


 福島君

相変らず実験等を続けているが、最近はフラスコの線が見えなくなって、、「フラスコって何だっけ?」「お前ばかか!理科を勉強しとらんとか」、同じ事をずっとやっているのだが、やはり面白い。最近は 年のせいか、すこし余裕でこなせるようになって来た。前回福岡に帰ったとき、5時の便で飛び立つところ安全の問題で2時間半も待たされて、「高本のところのJALやろう!」安全第一のパイロットで、なかなか飛び立たず、携帯電話で情報調べた人が、「後の便が先に飛び立ったじゃないか!」と騒ぎだして、スチワーデスが責めまくられてかわいそうやった。まあ飛行機が落ちなかったから、今ここにいるわけで、良かったです。

 原君

話題は2つ。 暮れに二人目の孫が生まれた。正月は孫を預かったりで休みなし。しかし自分達の親もこういった苦労をしたんだろうなと言う事が しみじみ分った。
2つ目は、何を思ったか 女房が英会話を習うと言い出してもう3年、実は去年の10月にドイツのミュンヘンに一緒に行って、俺の英語が全く通じなくて、女房の英語が全て通じたのが侘しかった。それで今何やっているかと言うと、ドイツ語を勉強して、日常会話くらいできるようにとテレビやラジオやカセットを買ってきて、「ばか カセットなんかなかろうが CDやろうが!」 今度もドイツに行こうと思っているが、ホテルのチェックインくらいは今度は自分のドイツ語で出来る様にしたいと思っている。

 鳩宿君

JALで広島から来ました。JALで帰ります。「大丈夫か?」 今業界が談合問題で大変な時期ですが、仕事のほうも順調で、来年は役員をやれとも言われていて 「すごいじゃないか」、支店長になるのは断ったけど、それは 後進や部下が育たないし、自分の考えを確かめて見たいところもある。そういうことで来年も頑張って、またいつもどおり 明太子も持ってきますので 宜しくお願いします。笹原と一度10Kmマラソン一緒に走ったことある。「そーなんだ」


 三宅君

51歳の時に 会社スパッと辞めて、腰痛も有ったし、今は町内会なんか手伝っている。飲み会を作り 同じ団地内でおじさん達と知り合いになって、助け合いの精神でやっている。朝は「ご馳走さん」録画して後から見ている。 娘が(子供二人もいるが)珍しい病気になっていたが、もう今は良くなってホッとした。理解できない病気だった。 去年耐震補強工事をやった。補助金が50万出た。志士の会はの予定がまだ立ってないが6月を予定している。 この波留美会とダブるので、波留美会をスキップしても良いかと、、、、「いや~三宅が居ないと 志士の会はなくなるよ」 

 太田君

3月7日に博多に行き、翌日は佐世保に行った。自衛艦にも乗った。そして憧れの軍艦島に行った。あの忌々しい3.11の後、会社をやめ、今は年金生活。趣味は魚釣り。「彼がなんで揺れながら話しているかと言えば、いつも釣り船に乗っているから、、、」私の最大の趣味は パチンコ! 「野間のパチンコや覚えとーや?」あそこは~~~「ローカルの話、誰がもう止めろ!~~~」

 添田君

私のプロボーズの言葉だが、西の浦で夕日を見ながら、、「誰もそんな事聞いとらん、お前に似合わない、、、」
海面を金色の虹がばーっと来るんですよ、それを僕は君と歩こうかな? と言った「止めろ!合わない、はずかしか!」もう30年くらいになるんかな。 確かにいい思い出だ。
現状は寂しい話だが、飛蚊症にかかって、真っ白なところを見ると、蚊が飛んでいる。でも頑張っている。

 高山君

土曜日に開催してくれて、都合が良かった。 だから彼女(サヨラさん)も連れて来れた。普通はアメリカ人やフランス人の人だったら連れてこないが、彼女ウズベキスタンの人だし、皆さんも ウズベキスタンや中央アジアの人に触れる機会なんてないだろうから。「そうだ、そうだ!」たまたま 東工大の打ち合わせの帰りに連れてきた。 大学はまだ教授で残るのだが、本当は高本と一緒にカヤックを持って南の島に行く予定だったが、、今年はパラオに行きたい。 

 待鳥君

息子が合気道をやると言う事で 私も30年近くやって頑張ってやっと5段を取った。拍手)4段は「認可」、5段は「列す」(仲間にいれる)という違いがある。合気道を通じていろいろ学んできた。色々やりたい人もあるだろうが年取ったら太極拳がよいと思う。(後は周りがうるさくて聞き取れない、待鳥君ごめん)


 城野君

この間の大雪の日にこの辺で飲んで、えらく寒くて熱が出て、、「お前この辺で飲んだんなら、なんで波留美で飲まんとや?」病院に行ったらインフルエンザだった。3日間くらい動けなかった。仕事は、今年の4月にビッグサイトで展示会をする。高機能フィルム。それを安く作る方法「城野は理科系なんだな、、そうは見えないけど」




 

 田中(義一)君

鳩宿が広島から、私が関西から参加しているが、大体月1回はこちらに来ている。母が千葉のホームに入っているので、顔を出している。今日もホームに4時ごろまで居て、それから波留美会に来た。 病気も、今は順調に治癒している。下の娘に6月に子供が出来る予定で(初孫)、男の子らしい、6月のこの会には出れるかどうか、、、(この後 周りがうるさくて聞き取れない)次回の波留美会は725日になっているが、このときだけは棚田が幹事をやることになっている。「お前本当に 馬車馬に似てきたな~~」

 棚田君

誰か俺の写真撮ってくれ。写真班やっていると俺の写真が1枚も無い。「お前の顔、写真に入るや?」 うるさいな! 仕事は相変わらず海外の仕事が多くて、最近は中国の仕事が多く、PM2.5は本当に酷い。5m先も見えない。 PM2.5の値も 政府の発表よりも数値が本当は酷くて、それをインターネットで見ようとすると、外国人のネットは政府に監視されているので、とたんにガシャとネットが切られる。政府も世間や世界に対策を見せなければならないので、経済に影響しない中小の工場を 文句なしで爆破して、なんの保証もしてない状態。70年代の光化学スモッグの非ではない。個人的には
4人目の孫が生まれた。男の子。「カバに似とるや?」 カバカバとうるさいな~~!



  木股さん              笹原キーホルダー

笹原さんの3つくらい下で 彼にはお世話になった。 
九州には関係ないが、その縁で参加させてもらっている。今日は笹原さんの奥さん、皆さんに この「笹原キーホルダー」を作りましたので、笹原さんご家族以外は皆に買っていただき、それを病気対策に寄付します。
宜しくお願いします。


その後も 盛大な宴は続いた。

 



             ページトップへ

次回は 7月19日(土)の予定、その前に 志士の会が6月にある。
それまで 元気で、また 会って、飲んで、語り合おう。


最後に、編集者の海外出張などで掲載が遅れた事をお詫びします。

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      
2013年冬 波留美の会 忘年会
                                            2013年12月20日(金) 神田 波留美にて

お詫びと訂正:内容に一部 個人情報に触れるような内容があり、ご指摘を受けて、訂正致しました。
今後 個人情報には気をつけながら編集して、皆さんに楽しんで頂くよう努力します。
当該者の方へは 本当に申し訳ありませんでした。


師走の忙しい最中、都合が付く仲間が集まって、忘年会を開きました。  仲間が忘れないようにと、今年亡くなった笹原君の遺影
も飾られ、献酒して、その前で楽しく飲み語りました。笹原君の元同僚 入江さん木俣さんも常連として参加されました。

今回は趣向を変えて、最初に 各人の近況報告を順不同で 覚えている限り報告します。 なんせ飲んでたり、話に聞き入って、
全部覚えてないし、部分的には正確ではないかとは思いますが、コメントした人はお許し下さい。 誰がコメントしたかは書きません
ので、内容と 後段で掲載する写真と照らし合わせて考えて下さい。 コメントした人も覚えてないかも知れません、年とともに
物忘れが激しく、、、、、 まあ 楽しんで下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
血糖値が高いので少し注意をしなければならない。 息子とも パラサイトなんとか生活で元気にやっている。
仕事は技術顧問として、官公庁の仕事が多い。あと2年くらいはフルタイムで働けるので頑張ってみようと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
会社に入って27年、まだ働けるのだが、思うところ有って今年で退職しました。 世の中は 1年くらいの任期で、あんなに騒がれ
て辞めた東京都知事の退職金が1,000万円、私の退職金は27年でも 雀の涙、、、なんと不公平! 
子供2人も独立して、安心です。そんな最近です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大石が宜しくとの事です。それから 寄川が肺に陰があるということで、(結核の一種?)手術して、今は元気にやっているとの
事です。私の病気は数値が下がってきて まずます。 関西に移って1年半、8月からマンションの管理人を始めたが、年寄り
が多く(お前も年寄りやろうが!)、会計、掃除など、結構忙しくて疲れる。下の娘が5年目で始めて子供が出来て(初孫!拍手!
やはり孫は可愛い! 上の娘は36歳でまだ独身、誰かいい人紹介お願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
息子が大学受験。本当は九大に行きたかったらしいが、センター試験で???となり、結局大分大学になった。大分には3回行
っている。入学試験、入学式に行った。(親ばか!) 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
親が昨年亡くなって、福岡の家をどうするかで大変。 相続人証明を取るのにこんなに難しいとは思わなかった。本当にめんどくさい。
会社は3年目で順調で元気でやっている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
年に4-5回福岡の実家に手入れに行って、結構羽を伸ばしている。事故調査の経験を生かし、医療の安全面を考える勉強会に
ボランティアで参加している。 出版した本は色々な反響があった。田中君と高山君が本について論議を交わしていたとのこと、
興味を持って読んでもらえることが嬉しい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
女房と孫はスキーに行った。俺は同窓生の顔を見たいから波留美会に来た。 (えらい!えらい!) 路線別のコンサルで
スターフライヤーの仕事が取れた。 実は2年前から不整脈に悩まされ2度ほど気を失った事がある。7月にはある病気がが
原因で転倒し入院したが、強引に退院した。宇都宮でホームの喫煙所でタバコを吸ったら気が良くなり、ホームから転倒、頭、腕
(右腕骨折)を怪我して いつもの病院に行く為に宇都宮から横浜までタクシーを飛ばし、その間腕の腫れが酷くなって苦しかったが
手術の間に腫れが引いた。 憎まれっ子世にはばかる とは言うが、よく生き延びたのもだと つくづく思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子供や孫たちとも結構会って遊んでいる。
4番目の孫も出来た(男の子)、やはり孫は可愛い。 仕事は相変わらず海外が多く、中国のPM2.5に悩まされてはいるが、韓国
の反日は問題なく、タイでも事業が始まった。まだまだ必要としてくれる会社があることは嬉しいので、何とか頑張るつもり。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
会社の定年後、毎日が図書館通いで、外部との接触が無く悶々としている。新聞の社説等よく読むが、日本は全然変わらないという
印象を受ける。 今までやってきたゼネコンの仕事以外の世界にあこがれるが、何をやればよいのか 積極性が出てこない。
こうやって皆に会うと元気がもらえる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
労働者として(お前は経営側だろう!)、企業の健全な発展に寄与する為にあと4年半は働ける。(定年が無い監査役はいいな!
北京や武漢、広州にも行って視察をしてきた(監査に行ったのか?飲み会に行ったのか?)。二人の子供はまだ結婚してないので
孫はいない。前に笹原の息子も言っていたが、息子と一緒にゴルフをするのは コミニケーションが取れて大変良いと思う。
今日は離婚話が2件も有ったが、私の妻は外では離婚の話をしているかも知れないが、私のほうからは無い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仕事を辞めて、軽い仕事をしていたが、今はそれも辞めて 毎日が日曜日。適度なストレスが必要だなと思う今日この頃です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あと1年5ヶ月で定年になります。その後はこちらで暮らそうか故郷に帰ろうか悩んでいます。 次回は笹原さんの奥さんも
呼んであげてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

波留美のマスター・ママから
この1年ありがとう。 また来年も皆元気できんしゃい!




  


 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      



 

    2013秋 波留美の会       2013年9月21日(土) 神田 波留美にて
9月21日の土曜日、神田の波留美を貸切にて、恒例の波留美会が開かれました。
多田君、棚田君、福島君、田中(義一)君、添田君、城野君、村上君、太田君、田邊君
高山君、三宅君に加え、前回笹原君を偲ぶ
会で参加されました、笹原君の会社の同僚
木俣さんと入江さんもさ参加されました。
仕事は65歳まで大丈夫なのだが、考えるとこがあって、今年10月で退職します。来年の幹事を誰かに譲りたいのだが、、、(全員が反対、多田君は永久幹事!) 今日はバンドの練習が有って遅れて申し訳ない。相変わらず海外を走り回っています。10月27日府中音楽祭出ますので、宜しく。 写真は 近況報告順です。
ガンの話と、低額所得者なので、高額医療をやったので、昨年の市民税が4,800円だった。等々、一人3分なのに一番話が長かった、、、、
女房は今日は学会で来れなかった。今は分析の仕事で、責任が無いから、毎日が楽しい。再来週は福岡へ帰る。 1年半ぶりです。胃を悪くしたり、大腸がおかしくなったり大変でした。新作は何度も梯子を外されて苦労してますが、今年中になんとか出せると思います。
一応現役で頑張ってます。妻はひたすら元気で、息子が早く独立して欲しい。 5時から飲んでたので、ちょっと酔ってます。仕事も順調、南青山のブルーノートの傍です。 と言いながら、気分が悪くなって途中退場。 こういう会が続くのは、嬉しい。自分の培った技術を役に立てないか考えて、図書館に行って本をたくさん読んでいる。
2月末で退職して、何をやろうか考えている。皆の前向きな話を聞いてうらやましい。先月生まれた孫の世話にかかりっきり。その孫を可愛がると、上のお姉ちゃんが妬いて反抗的になって、ジイジ ダメ!と言われている。 前回の時、笹原の奥さんと子供さんを車(社用車)で送って、色々と話した。今は盆栽に凝っている。女房、子供はいう事聞かないが、盆栽はちゃんと世話してやると、可愛く育つからいい。 波留美会、志士の会、はずっとご無沙汰している。自分が抱えてる大学院生がちゃんとなるまで、大学は辞められない。87歳の母が心臓弁の手術をした。
前回はカミサンとの約束で、ハワイに行ってたので笹原君の会には出れなかった。後でホームページを見て、笹原の家庭での違う姿を知ってびっくりした。カミサンはフラダンスで忙しくて相手にしてくれない。 今回も笹原さんの奥さんを誘ったのだが、まだ気持ちが落ち着かないと言うことで、今回は参加されなかったが、次男が結婚するので、それで気分も変わるかもしれない。 笹原さんのマラソンの応援団でした。仕事は厳しかったが、普段は楽しい人でした。
相変わらずのマスターとママ 会計報告、、、忘年会も宜しく 幹事交代は認めない
 

全員写真は室内で撮りました。 いつもありがとう、オリンピックまで皆で頑張りましょう! 幹事は多田さんが良いね。波留美を宜しく

居酒屋 波留美

東京都中央区日本橋室町4-6-9
小西ビル1階
電話:03-3243-8383
安部 元成
ほんとに、波留美を末永く宜しくねページトップへ

2013春 波留美の会  2013年3月16日  神田新装波留美
2013年3月16日
恒例の波留美の会を催しました


今回は特別に蔡美京さんという
韓国伝統舞踊の先生も参加されました
韓国の伝統舞踊や民話などの文化を
教えておられる方です

韓国と日本の古代史にまで話が弾み
とても楽しく有意義な時間でした
右の美人は蔡美京さん
棚田君のJAZZ演奏のファンでもあるとか

今回は即席の韓国語講座とあいなり
いろいろな言葉を教えてもらいました

さっそく使ってみよう・・・
最後は
いつものように筑髙校歌と
フレーフレーチッコウ!
で締めくくりました

次回は6月21日(金曜日)です

その前に
5月25日は新橋で志士の会です

ページトップへ (編集者の都合で掲載が大変遅くなりました。ゴメン)
 2012春 波留美の会  2012年3月16日  神田新装波留美
今年は春の訪れが遅い!

しかし
梅も開ききらぬ弥生16日
筑紫丘21回生の青壮年16名は
春の宴を催しました

今回は、遠く仙台から
浦山君・川邊君を迎え
いつものように盛り上がりました

心は春爛漫!!

波留美新装祝いに贈られた花
遠く仙台から馳せ参じた
浦山君(左)・川邊君(右)

浦山君は仙台で被災しましたが
災害支援に携わった川邊君と
偶然連絡が取れたそうです
禍をも出会いに変える筑高生魂
ここにあり!!

お二人は仙台在住で
最終の新幹線で帰途につきました

次回も待ってるよ・・・・

秋は自然が寂しく
春は人の心が淋しいとは
板付の文学者の弁

出会う人もいれば去る人もまた・・

田中(義)君(上)は
30年以上の古いなじみでしたが
4月から兵庫で暮らします
元気で、また会おう

ページトップへ



 波留美の会 浅草ウォーク  2011年11月6日  両国浅草界隈

10時に両国駅に集まった10名の志士たち
これよりいざ出陣!
時々ぱらつく小雨さえ
下町風情を掻き立てます
波留美の会番外編
浅草ウォーク


2011年11月6日、両国駅に集合した10名の志士たち
あいにくの小雨にもかかわらず
歴史ゆかしき下町を満喫しました

参加したのは、篠塚、笹原、多田、棚田、城野
田中(義)、高山、村上夫妻、高本

最後は神谷バーで電気ブラン
志士達の迫力に負けて
天気も次第に回復し
楽しい一日となりました

笹原幹事、多田副幹事、ありがとう

先ずは、本所松坂吉良屋敷へ討ち入り
今は公園になって屋敷の一部だけが昔の面影を残しています
悪者の代表のように言われる吉良上野介も
地元では名君と言われており、その素顔は温和でした

芥川文学碑、勝海舟生誕の地、小林一茶旧居などをたどると
狭い路地に昔ながらの市場が並ぶ一角を発見
好奇心旺盛な志士たちは、思わず「何ン売っとーと?」と覗き込む

1657年の振袖大火犠牲者供養のために建立された回向院
大相撲の始まりはここでの奉納相撲だったとか
境内の一角には、相撲にまつわる碑や土俵跡も

東京近辺に住んでいるのに
こんな下町散策は初めてだネー
コースは笹原幹事があらかじめ下見をして設定・・・さすが名幹事!

ぐるりと回って旧安田庭園へ
元禄年間につくられた庭園には海水が引き込まれています
東京都に寄付されて、現在は区立公園

ウーン! 見事な庭園!
これくらいの庭があれば言うことないのにねェ
池と植栽とのバランスに、思わずうっとり

安田庭園の斜め向かいは横網町公園
関東大震災や東京大空襲の犠牲者が祀られる公園は
美しい花壇に花が絶えません

横網町公園の一角に展示されている災害の遺物
大砲のようなものは鉄管の一部
その横には、なぜか魚雷の残骸も・・・

横網町公園あたりは大日本ビールの工場があったとか
震災による火災の熱でグニャリと曲がった鉄筋
「太か鉄筋ば使うとるねえ」と建築関係者

再び隅田川のほとりを歩く
歩道はよく整備されているが、端の方には段ボール住宅群も
あのブルーシートの張り方は、キャンプの参考になるねー(学者氏)

隅田川に浮かぶ屋形船も江戸情緒を掻き立てます
いつか屋形船でやるのもいいねえ―
幹事さん、計画してよー!

そぞろ歩いて最終目的地の神谷バーに到着
やっとありつけたビールと遅めの昼食に
食欲旺盛な志士たちは大いに盛り上がります

バーとは言っても食堂のような作りの広い店内
いくら騒いでも文句は出ません
いやー、楽しい一日でした!

喉を潤し腹も満たした志士たちは
浅草寺の仲見世通りを冷やかしながら解散
次回も幹事さんの秘策を楽しみにしています!!!
 波留美の会  2011年9月22日  東京神田 新装「波留美」
 美しかった中秋の名月も過ぎ
秋の夜風を感じる9月22日
年に4度の逢瀬を楽しむ
往年の美男美女15名
いつものように神田は「波留美」で
思う存分しゃべりまくり
楽しいひと時を過ごしました

みんなが主役の 顔 顔 顔・・・
ストレスなんかないもんね!

しゃべりすぎてアゴが外れそうな面々

何がなにして何とやら・・・
フン フン ・・・

髭の殿下の福嶋君は夫婦で参加
隣の二人も幸せそう

この煮込み ウマかーっ!
波留美のママもうれしそう
ページトップへ
飛び入りドタ参の添田君
間に合ってよかったね


11月から福岡に住まいを移す秋山さん
今度は福岡で会おうね

いつも〆は店の前での記念撮影
次回は11月6日の浅草ウォークだよ
 波留美の会  2011年6月10日  東京神田 新装「波留美」
狭くて(以前の店もそうだが?)腰が痛くなったが
それだけに緊密感が湧いて逆によかったかな。

飯田さんが居た時は
結構話が盛り上がっていたが
美女が帰られたあとは
心なしかおとなしく盛り上がっていたようだ。
城野君は早くから来て飲んでいたらしく
6時の時点で顔が真っ赤。
  こちら側は、福島原発の話題から
放射能の話、民主、自民の政治の話など
高尚な話で盛り上がった。

皆、それぞれの道を自分なりに進んでいるようで
そんな仲間と遠慮なしに飲んで話せる場は
本当に素晴らしい
最後はいつものように店の前に集合!

数人で2次会と称して
波留美で引き続き飲んだが
話題が中国の話になり
国情、民族の違いなどで盛り上がった


レポーター兼写真班長
棚田君でした
2010年 波留美の会 忘年会   2010年12月17日 東京神田 「波留美」

いつものように“乾杯”で始まる
2010年12月17日
恒例の波留美忘年会を開催

今年の締めくくりは
初参加の秋山(古賀)さん
久しぶりの飯田さん
お二人の女性を交え
人生節目の1年を語り合いました

大いに語る田中君、聞き入る飯田さん秋山さん

作家デビューを果たした田中君と

川庄・高木・福嶋君
20ウン年続いた波留美も
12月いっぱいで閉店となります

しばらくは佐賀に帰ってゆっくりするけど
神田界隈でぜひ再開したいと意気込むママ

新装開店を待っています
60年も生きてくれば
人並みの悩みや心配もあるのが当然

だけど、旧友が顔を合わせ語り合うと
不思議に元気になってきます

お互いに、いい「気」を交換しあえば
ポジティブに生きることができそうです

初めての方も待ってますよ!

多田副幹事と田中君

常連の城野・村上君、久しぶりの山崎君

いい事あった? ウン、いっぱい!

台北、良かったね。 ホーンと楽しかった。

3人で何を悪だくみ? ナ・イ・ショ!

紳士淑女は話の息もピッタリ

来年も健康で会おう!  ヨッシャ!
16名が参加し、最後までおおいに盛り上がった還暦の忘年会でした。

今年は還暦志士の会、還暦同窓会、台北旅行
などなど、大いに盛り上がった1年でした。

それぞれにお世話してくれた方々に感謝!

還暦になっても東京のど真ん中でも
博多弁が飛び交うのが「波留美の会」!

心は常に ”少年少女”です。

2010年春 波留美の会    2010年3月19日 東京神田 「波留美」
2010年初の波留美の会

春は名のみの風の寒さや・・・・
花冷えの3月19日
神田に集う12人の仲間たち

初顔の立薗君と大野君を迎え
いつものように盛り上がりました

大野、小島、田辺

多田、福嶋、立薗、笹原

田辺、田中、三宅
再会と旅立ちの春

事業を始めた城野君
定年を機に故郷に帰る小島君
大野君は奥さんの実家のある鹿児島へ
立薗君はお嬢さんの卒業式に宮崎から

次回はホームページを見るよ・・・
とは、小島君の弁

新しい何かが始まりそうな予感!


田中、三宅、城野

大石(半顔)、田中、三宅

高本、大野、小島

立薗、高木、笹原

田辺、大石(今度は全顔)
年に4度じゃ足りぬとばかりに
話が止まらない・・・

春には鎌倉方面でのイベントも企画しよう
オーケー! 参加するよ!

健康的に野外活動も欠かさない面々

いつまでも皆で酒を楽しむために

今年の予定:6/18、9/17、12/17

小島、田辺

最後の締めはいつものように

楽しい時間は
いつもあっという間

刹那々々に思い出がよみがえり
希望の広がりを実感する

店は狭いが門戸は広い波留美の会

早くも次回が待ち遠しい・・・

大浦君歓迎会 銀座銭形にて  2009年10月9日

仲良し夫婦の大浦夫妻と高鍋さん(左)
歓迎!大浦夫妻

10月9日、福岡から大浦君が上京しました
宴会好きな仲間が
この機会を見逃すはずはありません

「笠さん、隣のクラスやったね」
「えっ、私覚えてないけど・・」

波留美の会番外編として
久しぶりの再会を楽しみました

福岡と東京の幹事がそろってパチリ

高校時代から変わらぬ棚田君の豪快な笑顔

田中君と婦唱夫随の高鍋夫妻

田辺、篠塚、高鍋夫妻、大浦夫人の各氏

原、田辺、篠塚、田中 君

皆で勢ぞろい

ひげの殿下の福嶋君と高本
2009年秋 波留美の会    2009年9月25日 東京神田 「波留美」
秋深し
隣も酒を飲む人ぞ!



上弦の月が美しい9月25日
心地良い夜風に誘われて
居酒屋「波留美」に集まった元筑高生

3名の女性の参加を得
不景気な世相をよそに
大いに盛り上がったひと時でし


 
 ウマかぁー!  
 志士の会幹事の三宅君(左)は
 腰の痛みに耐えながら!・・・

 新婚生活も板についてきた福嶋君(中)

 いつも端正な高木君(右)は
 柏崎から駆けつけ・・・・


 あと1年でみんな還暦だなぁー!と
 感慨深げな田中義一君(左)

 この夏は忙しかったと高本
 定年を指折り数えて・・・(中)

 だれか俺と一緒にイタリアに行かん?
 塩野七海にぞっこんです!!
 大石君(右)


次男(30.5歳)、婚活のお手伝いしなくっちゃ
飯田(神子)さん (左)

「孫がとっても可愛くって・・」
今にも目に入れてしまいそうな鶴(篠塚)さん
(中)

山歩きが楽しい・・・
南アルプスも縦走したと沖(俣野)さん(右)


惚れた者の弱みって、やっぱあるねえー
監査に忙しい田辺君(左)

みんな、健康でいつまでもうまい酒を飲もうね
いつも快調の多田君(中)



次回は江ノ島ウォークに頑張るぞー!!
タバコがやめられない城野君(中)



前回はトイレに行った隙に
記念撮影が済んでしまった田中君
今回は露出十分!



美男美女の勢ぞろい(って書いといてね)??
誰のこと??
そりゃあ私(僕)のことでしょ!?




遅れて悪い悪い!!
なんのなんの
波留美の会が続くのも
笹原幹事(中)のおかげです


年に4度の盛り上がり
みんな楽しみにしています

2009年春 波留美の会    2009年3月19日 東京神田 「波留美」
春や春、夜風も肌に心地よい弥生の一夜、宴会好きの筑紫がヲノコが「波留美」に集いました。

総勢10名、新婚さんあり、新爺さんあり、勤め帰りあり、遠路はるばるの参加ありで、いつものようにそれぞれ勝手な話と、うまい酒肴に時の経つのも忘れて盛り上がったひと時でした。
久しぶりの参加となった
角君。

昨年初めより体調を崩し、しばらく療養の日々を過ごしましたが、このところめっきり調子が良くなったとのこと。
体調に気をつけながらも、元気な姿を見せてくれました。

東京に単身赴任でしたが、念願かなってこの春から名古屋で家族と共に暮らせるようになりました。
自称、「病気の博物館」と自慢げな多田君。

これまでに実に様々な体調不良を経験しましたが、万病に効くという熱帯植物のジュースに出会い、健康を回復したと笑顔を見せます。

そういえば体がスリムになったよね。


席上、志士の会の三宅永代幹事から「今年の志士の会は、諸般の事情から5月下旬に執り行う」との御宣託がなされ、一同恭しく承りました。

ということで、次回[志士の会]
期日は、4月中にお知らせします。
波留美の会 忘年会   2007年12月26日 東京神田 「波留美」


波留美の会 2007,12

年の瀬も押し迫った1226日、好例の波留美の会が行われました。

いつものメンバー10名に加え、今回は多田君の知り合いの飛び入りさん2名があり、今年の出来事や楽しい思い出話に花が咲きました。

各自の現況

大石君:都庁を早期退職し、今は自由の身です。八戸にて第2の人生を始めようかと考えていますが、奥さんに「あんな寒い所はいや」と言われて困っています。

田中君:あと3年で定年、どうしよう!!定年後は娘のオペラを楽しもうかな。

田邊君:今は「コンプライアンス」が厳しく問われているけど、法令に則っているだけでは不十分なんだよ。でも、皆でうまい酒が飲めれば「そんなのカンケーネー!」。

角君:単身赴任も大変ですが、こうやって皆と集まれるのはすごくいいね。

城野君:事務所が東大赤門の近くに変わって、ちょっと不便になったなあ。ああ、東大が俺のインテリジェンスを求めている!

山崎君:今日は5時から来て待ってたんだぞー!おお、皆に会いたかった。「大和」はなかなか進水できんねー。

多田君:今年は何かと人の相談に乗ることが多かったけど、いい1年だったなあ。(ほのぼの)

福嶋君:相変わらずアウトドアでもがんばっています。このところ、週末がメッチャ楽しいんだよなあ!

笹原君:年に3回以上はマラソン大会に出場しています。今度、皆で江ノ島を歩いて温泉に入って盛り上がる会をやろう!(賛成、賛成・・・)

高本:今年は「始め良ければすべて良し!」。10年分の運をチャージしておきました。

・・・ということで、皆それぞれにすてきな1年を過ごしたようです。

2008年も、皆にとってすばらしい1年でありますよう!!

*写真は、波留美の前で全員集合。  と、波留美のマスターと福嶋君(二人の髭を合わせれば、顔中髭だらけ)

takamotoページトップへ

秋の夜長の「波留美会」   2007年10月9日 東京神田 「波留美」
 
 暑かった今年の夏もひと段落した10月9日、久しぶりに神田「波留美」に集いました。
 自分や家族の生活が少しずつ変化する歳となりましたが、悲喜交々ならぬ「嬉々交々」の話題で
 早めの秋の夜を楽しみました。
 今回参加できなかった近隣の皆さん、次回はぜひ一緒に楽しみましょう!



若々しい髪の山崎君

ひたむきに飲む田中・
城野君


紅一点の入り江さん・
大石・田中君


幸せいっぱい髭の殿下
福嶋君



なんだか幸せそうな3人組 


笹原君と職場仲間の入り江さんツーショット!!


いつも仲良しの2人、田邊・福嶋君 何かうれしそう


ひゃーっ、久しぶりやねーっ! 


ムフフッ  上善水の如し酒もまた然り。多田君


 わおー! 悟りの境地っ!!  城野君

波留美の会(2006年忘年会編) & 山根さん帰国祝い
2006年12月17日(水)
 冬の嵐の昨日とは打って変わり、20年ぶりに20度を超えるぽかぽか陽気の中、波留美の忘年会が開かれました。
 今年は常連組み10名に新規参加者3名(山根、飯田、中村)が加わり、楽しい忘年会になりました。

後列:城野・山根・多田・笹原(一)・村上
中列:田中(義)・田邊・飯田(眞)・太田
前列:中村(純)・福嶋・角・大石

村上さん先日は「黒部ダム」の投稿ご苦労様でした。現在建設工事ジョイントベンチャーで頑張っています。

城野さんは茨城勤務から解き放たれ、現在は品川のMレイヨンで頑張っています。

角さんは家族を名古屋に残したまま、単身赴任でミレア保険グループで頑張っています。

山根さん6年間のPオニア海外赴任お疲れ様でした。今後は国内の地で頑張ってください。

多田さんの会社は1年前M&Aで合併再編成しました。そんな中、頑張っています。

太田さんはTD不動産で頑張っています。勤務先は京橋です。

大石さんはT庁勤務です。義一さんはT工務店で頑張っています。

笹原さんの会社は再編成され、現在鎌倉工場で頑張っています。飯田さん紅一点での参加ご苦労様でした。

中村は「第2の人生は自由業だ」と張り切っています。田邊さんはS製鐵でリスク管理をしています。

福島さんはT製薬会社で頑張っています。今回は福岡での勝手忘年会にも出没する予定です。
波留美の会(特別開催編)
2005年10月1日(土)

左より笹原・三宅・中村・田中(義)・角

波留美のマスターと笹原
10月1日(土)東京国際フォーラムで会合があり、久し振りに上京しました。
これを機会に、ホームページで拝見した「波留美」に是非行きたいと想い、笹原さんに開催をお願い致しました。

本来「波留美」は土、日と休みなのですが、笹原さんの開店お願いで、マスターは快く店を開いてくれました。「マスターありがとう!
笹原さん、田中(義)さん、角さんの常連組はもちろんのこと、志士の会の永久幹事三宅さんも初参加をしてくれました。「なつかしか~

多田さんは生憎、会社のM&A真っ只中で不参加でしたが、電話をくれて久々長話をしました。
東京は19年過ごした第二の故郷です。
昼休みに、なつかしの「日比谷公園」を一人寂しく歩いて見ました。都会の中で緑に触れ、ほっとしたひと時を過ごさせて貰いました。「ほのぼの感を感じちゃった

久しぶりの東京には、戸惑うことも多かったです。
羽田からの切符の買い方、路線の選び方、改札の入り方等です。地下鉄は「東京メトロ」と呼ばれ、私の知らない路線が4路線もありました。目的地への行き方に戸惑っていると、案内嬢から3通りの路線を紹介されました。結局、私の知っている一番遠回りの路線を選択してしまいました。
皆さんありがとう。同窓生は、やっぱり良かばい!」 記:中村

日比谷公園
ページトップへ
波留美会で一杯(東京)
9月7日

波留美会の第1回目は今年の四月、桜見の会を笹原さんの主催にて始まり、今回が残暑気払いにて第2回目です。

全員8名は7時過ぎには集まり、写真にもある博多料理を肴に杯が進み、お盆の開催された筑紫が丘会の近況報告に耳を傾けつつ全員の杯はさらに進みました。又笹原さんより「働きやすい会社2005」をテーマーに勉強会も行われる中、村上さん中心にさらに杯は進む。

最後に台風・地震と立て続けにくる災害にも負けずにがんばる博多の皆さまへ乾杯し全員帰途へと着きましたが、途中3名が銀座方面へ行ったとの事。
波留美の紹介   
赤ちょうちんと本日のメニュー
千代田区神田鍛冶町3-7
電話 03-3256-4135
上京の際は是非ご利用ください。キープしてます薩摩白波は飲んでいただいてかまいませんが、空にされましたら新しい白波を入れておいてください。


波留美の本日のメニュー
左からのメニュー 1.本日の付け出し 2.博多の味「おいしい高菜の油炒め」 3.アスパラの和え物 4.ほかほかの新じゃが

下の左からのメニュー  5.ナスの味噌煮 6.マカロニサラダ

その他、博多の味、お袋の味満載です!

波留美のおかみさんの紹介 (女性のほうです)
佐賀県多久出身の女将。
佐賀弁、英語が流暢。昔、旦那と、New Yorkで商売をした賜物。
女将の、豪放磊落な性格と温かき情でのもてなし、並びに九州弁が九州人を中心に常顧客を魅了し、常に満杯。


波留美のおやじさんの紹介
主人、安部元成氏。ご両親は大分県出身で、当人は東京育ち。何故か、健康的なお袋の味の料理作りに専念。主人、女将の人柄で上顧客が集まる。5周年、10周年、…一流のホテルの宴会場を借り切って、上顧客を招待。


波留美会のメンバー紹介
写真左より、城野さん、村上さん、小島、田中さん、笹原さん、角さん、福嶋さん、中央は大石さん

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ      



戻る

     筑志会/波留美会 2005年 ー 2017年 
                          Chikushikai No Page     
                                                                   トップページへ

=====================================================================================================

このページは長いので、それぞれの項目へ飛べるように、下記に目次(その部分へのリンク)を記します。
それぞれの、タイトルをクリックすると、その項目のところにジャンプします。

 10月街歩き  5月街歩き横須賀。横浜  2016年 忘年会  10月秋の街歩き 浅草
 2016 最初の会  2015年 忘年会  2015年 神楽坂散策  2015年3月 筑士会
 2014年忘年会  2014年 飯田さん帰国  2014筑士会スタート  20140719 波留美会
 2014.5月田所さん上京  2014.3月波留美会  2013年 波留美会忘年会  2005年ー2012年波留美会・大浦君歓迎・山根君帰国
 ページトップへ