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        関東・中部・関西有志による 金沢旅行 (関東バージョン


            

   2015年11月8日、9日の日程で、関東、中部、関西の有志9名で前期高齢者記念旅行を開催しました。
   参加者は、関西から青木(旧姓:大串)さん、川邊君、田中義一君、本吉君、廣田君の5名。中部からは、
   高坂(旧姓:田中)さん。 関東からは、大坪(旧姓:森田)さん、高鍋(旧姓:笠)真木子さん、と高鍋水城
   の3名でした。
   とりあえず、初日は金沢駅の新幹線改札口に無事15時集合で、その日の目的地金沢湯湧温泉の
   「湯の出旅館」にマイクロ バスで 向かいました。


     

 とりあえず、夕食の時間まで、温泉に入浴するなど、各自のんびりと過ごしました。夕食は、6時30分から大広間を
 貸切で 「華やぎ懐石」で可が料理を堪能。

             ここで、青木(大串)さんから、驚きの報告。
    なんと、彼女は卓球のラージボール(というのがあるらしい)のダブルスで和歌山県代表で全国大会に
    出場して、準優勝だったそうです。前の写真で、彼女だけいすに座っているのは、次の試合に向けて足首
    をかばっているためです。


                          


       

 夕食が終わったら、男性の部屋に集合して二次会の   翌朝は、6時から温泉に入っていたものもあれば、
 開催です。ここで、女性陣からブーイング。         私(高鍋)のようにぎりぎりまで寝ていたものも
 その理由は、女性の部屋は一間の部屋だが、       いましたが、8時には全員そろって朝食でした。
 男性の部屋はなんと三間続きの部屋であることが
 発覚したのです。 結局、落伍者も出ずに、夜中の2時
 くらいまで二次会は続き ました。お疲れ様でした。

       

  9時には全員そろって、旅館の前で記念撮影を      金沢駅に着いたら、周遊バスに乗り換えて、まずは
  済ませて また、マイクロバスで金沢駅へ。         定番の兼六園に向かい、ちょうど見ごろの紅葉を
                                      堪能しました。


       

兼六園から、周遊バスに乗り継ぎ、次は石川県立     県立美術館からは徒歩で「グリルオーツカ」という
美術館へ。わかったことは、前田家が豊かであった事   洋食屋に 向かいました。この店を選んだのは、
金沢には優れた伝統工芸の職人が多いことから、     朝食が和食だから、和食でなくて洋食でかつB級
県立美術館としては内容豊かなことでした。         グルメ検索して出ていたのがこの店だからです。
                                     この店の名物は「ハントンライス」というもので、
                                     言ってみれば、オムライスの上に魚のフライを乗せて、
                                     その上にタルタルソースをかけたものです。
                                     名前の由来は、ネットによれば、ハンガリーの「ハン」
                                     に、マグロを表すフランス語の「トン」(ホントかね・・)
                                     をつなげたものだそうです。

       

これが「ハントンライス」。                   グリルオーツカで食事を終えて外に出たら、外は雨。
見かけよりあっさりした味で、ボリュームたっぷりにも  残りの訪問地、武家屋敷などをあきらめて、近江町市場
かかわらず、上品な一部の女性を除き全員完食。   へ周遊バスで直行。
                                   各自、家族や友人へのお越前蟹や香箱蟹などの土産
                                   を調達。

       

  まだ時間の余裕があったので、近江町市場の近くの喫茶店   これが、新しいJR金沢駅の玄関口(東口)。
  で休憩がてら、地元金沢のお菓子などの土産を自調達。
  その後は、周遊バスで金沢駅へ。

  
                     

  金沢駅に着いても、まだ、時間があったので駅ビルの中の居酒屋で、また、一杯。一番早い関東組は再会を
  誓って、先に出発。 時間の余裕があった、中部組と関西組はその後もギリギリまで飲んでいたそうです。
  いずれにせよ一泊二日の旅行も参加者の協力もあって、無事終了しました。ありがとうございました。(高鍋記)

                   バンクーバー島カヤック紀行  2015年8月20日 


バンクーバー島カヤック紀行   
(ブロークングループアイランド)

カナダの西端に位置するバンクーバー島の西岸、太平洋に面して百あまりの無人島を抱くほぼ正方形の入り江一帯がブロークングループアイランドである。
 この無人島への旅行は、今を去ること約19年、40歳代の頃の話である。当時は同窓会のホームページもまだ無かった。その頃は仕事に忙殺され、紀行文を書く時間もなかったが、その時の感動は今も鮮烈に我々の記憶に残っており、老境入りを前にして、旅行記に留めおきたいという気持ちがつのった。紀行文として纏めたのでご笑読頂けたら幸いである。

                                                                                   10組高山、8組高本

上の文章から始まる「バンクーバー島カヤック紀行」←クリックすると開きます。


慶良間諸島カヤック紀行  2014年5月13日
  慶良間諸島カヤック紀行
   (投稿者:髙山)

慶良間諸島カヤック 紀行 ←クリックすると開きます。

今回は高山君の原文をそのまま掲載したくPDFの形にしました。

都会の喧騒を離れキャンプとカヤックに興じる我前期高齢者2名と他2名。
美しい自然と珊瑚礁の島で過ごす醍醐味と出来事を楽しく読んでいただければ幸いです。
掲載:高田

2012秋 皇居周辺散策ツアー  2012年11月23日
2012年11月23日は勤労感謝の日
東京駅と皇居周辺を巡るツアーを行いました
毎年よく晴れる日なのですが
どこかに雨男(女)がいたようです

しかし、雨ごときにくじける筑高生ではありません
温故知新を宗として
小雨降る中、セピア色のそぞろ歩きを楽しみまし


参加者
太田、添田、城野、高鍋夫妻、多田、待鳥、村上、原
飯田、篠塚、福嶋夫妻、高山、高本

東京駅に集合した一同、まずは「使用前」の一枚

冷たい雨も平気なおしどり夫婦

へェ~!  皇居って広かねェ~!

昔を思い出し、雨のデートもオツなもの

この辺に松の廊下とか大奥があったったいね

僕ァ フレッドアステアの気分やね

まずは丸の内中央口から
正面に見える皇居へ
近くにいても、皇居って意外に来たことがないものです

広々とした中庭は手入れが行き届き
黄色いツワブキの花がひときわ目立ちます

皇居から東京国立近代美術館工芸館を通り
お濠の周りをぐるりと一周すると
黄色く色づいた街路樹が
東京にも四季があることを物語っています



本丸跡に上ったら、江戸城を偲んで記念の一枚



散策コースは高山君のプラン
皇居を巡った後は
旧近衛師団司令部庁舎、旧司法省庁舎
そして三菱一号館と
明治・大正の面影を残す
重厚な赤レンガビルを鑑賞


西洋文化を競って取り入れようとした
往時の人々の熱意と心意気が感じられます




三菱一号館裏のカフェテラスで一休み

ああー疲れた!

戸外の席は寒そうだけど、ガスヒーターで快適

散策の締めくくりは東京駅見学(下の資料参照)

原君の解説に一同口をアングリ(中央ドーム内)
最後に東京駅見学です
明治後期に計画され
大正3年に営業を開始した東京駅
関東大震災にも耐えた堅牢瀟洒な建物でしたが
昭和20年の空襲で3階部分が焼け落ち
その後は焼け残った2階建てビルとして使われてきました

平成19年から往時の建物を復原する工事が始まり
平成24年に完成しました

原君の名調子に
道行く人も立ち止まって聞き耳を立てるほどでした

中央ドームの内部は
ヨーロッパのお城や大聖堂にも劣らぬ美しさで
まさに圧巻です

昼食は東京駅を正面に見るレストラン
それにしても雨風の中で傘をさしての食事
周りの人たちの目は
「あんたたち、物好きねェ」と言ってるような・・・・

最後に「使用後」の一枚

世話役の高山君、原君、多田君のおかげで
とても楽しく有意義な一日でした
松島カヤック行  2012年9月8~9日

日本を恐怖と大混乱に陥れた東日本大震災から1年半
地震と津波の爪痕も消えやらぬ宮城県松島。

長年の夢であったカヤックでの松島めぐりを
実行することにしました。

しかし、いまだに行方不明の方も多く
想像を絶する苦難を強いられている方々のことを思うと
被災地で遊ぶなど、とても不謹慎な事にも思えます。

恐る恐る民宿に尋ねてみると
「松島は観光地。遊びに来てくれる人が一人でも増えることは
復興の手助けにもなるんですよ」という温かい言葉に
それならばぜひとも実現しようと勇み立ったのでした。

9月とは言え
真夏の日差しが照りつける
8日の正午に現地集合。

さっそく、カヤックの組み立てにかかります。

カヤックの骨組みを組み立て
布製の艇体をかぶせる作業は
結構頭も使うし手間取ります

今回の言いだしっぺは
学生時代から仙台とは浅からぬ縁を持つ高山君

同行するのは
同じく若き日を仙台で過ごした
3

いずれも松島に魅せられながら
30ウン年を過ごしたものです


完成した舟を前に
出発前の雄姿を記念撮影

カヤックは小さいため
乗り込む時が一番不安定

ここで沈したら
笑い物になるのは必至・・・

無事に漕ぎだすことができ
松島の絶景を
海から眺める旅の始まりです

あっちの景色が良さそうだ
行ってみよう


アイアイサー!

松島は太古には山地であったところが
度重なる地殻変動で海に沈み
山頂部分が海上に残った地形で
大小
260ほどの島々からなっています

凝灰岩や砂岩でできた島は脆く
浸食で白い岩肌がむき出しになります

しかし、この脆さと白い岩肌
そして島を覆う松などの植生が
多島海の絶景を生んでいます

自然現象の偶然が生む
絶妙の造形とバランスは
見る者の心を打ち
しばし感動の世界に遊ばせてくれます

このような絶景を鑑賞するには
水面すれすれに目の高さを置ける
カヤックに勝るものはありません

湾内にはカキの養殖いかだが設置され
ところどころにブイや杭が点在しているため
漕行には細心の注意が必要です

内海はやや風があるものの波は穏やかで
美しい島影を楽しみながらの漕行です

見事な枝ぶりの松を頂く小島は
波打ち際が白く浸食を受け
離れて見ると
烏帽子をかぶった
古の貴人のようにも見えます

いくつかの島に見える崩落の跡は
地震の凄まじさを示していますが
島を崩すほどの揺れと
集落を押し流す水の勢いは
今の静かな海からは
想像もできません

丹念に鑑賞した後は
カヤック行の締めくくとして
2艇で競争することにしました

還暦過ぎのオジさんたちが
子供のように必死で漕ぐ姿は
さぞや人々に感動と勇気を与えると思いきや
アレ! 誰も見ていないよ


カヤックレースも無事に終え
早めに切り上げて上陸です


私と高山君は
2005年8月に九十九島を漕行したことがあり
今回は7年目の島めぐりとなりました
九十九島と松島
いずれ劣らぬ景勝の地でしたが
今回訪れた松島は
美しい景色の背後にある
古からの災害の歴史と
悲しみを乗り越えて故郷を守ってきた人々の
苦悩と忍耐に思いを致し
人の強さと優しさに心打たれた旅となりました



                              高本 記
第2回鎌倉・江ノ島ウォーク  2009年10月31日

海蔵寺の門前でまずは「使用前」の1枚
晩秋の一日、鎌倉の自然を楽しみました

秋も深まる10月31日、JR北鎌倉駅に集合したのは7人の男達
女性の仲間の参加も予定されていましたが
今回は残念ながら都合がつかず・・・・・

海蔵寺を皮切りに銭洗い弁天、高徳院と鎌倉大仏、長谷寺
そして御霊神社、成就院、紫陽花坂、極楽寺と歩き、
江ノ電にて江の島へ!
冷たいビールでのどを潤して「生シラス」をたっぷりと味わい
心もお腹も大満足の一日でした


銭洗い弁天でありったけのお金を洗った
城野君、「ありゃ! 1万円札2枚が
くっついて離れないよー」

大仏さんはさすがにでかい!!
7世紀近くも露天にて座す
開創は天平8年(736年)という
長谷寺は鎌倉きっての古刹


御本尊の十一面観音は721年
1本の楠の木から2体が彫られ
1体が長谷寺に
もう1体は大和の長谷寺に
納められたとの由緒です



長谷寺

人通りも少ない秋の紫陽花坂は
由比ヶ浜・逗子を望む絶景の場所

坂の多い鎌倉に汗をかき
たどりついた極楽寺
ここから先は江ノ電で・・・
酒を飲むばかりじゃなく
体を動かすイベントもやろう
との話で始まった「江ノ島ウォーク」

春と秋のさわやかな空気の中
健康的に汗を流して
その後は当然栄養補給
これがまた”たまらん”と大好評

今回は歩くことが好きな人が多く
健脚コースでしたが
いろいろなコースで楽しみたいと
思っています
皆さんの参加をお待ちします

ウォーキング翌日の鎌倉
すっきり晴れ渡り
間近に美しい富士の姿
この1枚はオマケです
鎌倉・江の島ウォーク  2009年4月18日
4月18日、オジサンたちは日ごろの運動不足解消にと、鎌倉・江の島をめぐるウォークツアーを行いました。
その日は暑からず寒からず、古都鎌倉の散策にふさわしい花曇りに恵まれ、自然と温泉を満喫しました。
北鎌倉に集合し、いざ鎌倉へ!
                      
参加者は笹原リーダーの下、城野、多田、腰痛の三宅、広島から参加の鳩宿、そしてHP記者の高本でした。

まずは建長寺で「使用前」の記念撮影。
                     
建長寺では、見事なボタンの花。
きれいだねー。

季節の割に人混みも少なく、なんとなくノ~~ンビリ。

そして、鶴岡八幡宮を経て鎌倉へ。
てくてく・・てくてく・・。
腰が痛い三宅君は、われらを横目にバスにてハイチャー!

鎌倉では、鳩屋本店でお菓子を物色
奥さんへ、いつもの罪滅ぼしを・・・。
そして鎌倉からは、かの有名な「江ノ電」で一路江の島へ。

ヨットハーバーにてビールで軽く喉を潤し、温泉でゆっくり汗を流しました。

自宅から12キロ歩いて参加した城野君、このところ健康に自信ありの多田君・・、皆さんお疲れ様でした。
笹原リーダー、お世話になりました。


楽しい1日でした。また歩こう。
夏の思い出  2007年8月

今年の夏、長い間の憧れであった屋久島へ行ってきました。

京都に住む息子と二人、福岡で待ち合わせ、空路鹿児島から屋久島へと向かいました。できればその日のうちに山に入りたかったのですが、到着時間の関係で当日は安房(あんぼう)の民宿泊りとします。宿では夕食で隣り合わせた人々と、それぞれの体験談や屋久島の魅力で大いに盛り上がりました。


花之江河
翌朝早く曇り空を見上げながら宿を出発し、淀川登山口から入山するころには、すでに小雨模様です。林芙美子は名作浮雲に、「屋久島は1ヵ月に35日雨が降る」と書いています。雨も屋久島の自然のひとつということでしょう。見晴らしは利かないものの、しっとりと雨に濡れた鬱蒼たる熱帯雨林や、幽玄の世界に遊ぶような花之江河(はなのえごう)の自然の庭園を楽しみつつ、険しい山道を高度を上げます。数年前とは立場が逆転した息子に、「お父さん、大丈夫?」と後ろから声をかけられ、「あったりまえだよ」と強がりながらも、内心は「こりゃあ、なかなか大変な山だワイ」と思わざるをえません。小休止して山の湧き水で喉を潤す幸せ、何物にも代えられません。いくつかのピークを超え、主峰宮之浦岳の山頂に立ったのは、およそ6時間後。九州の最高峰、晴天であれば遥かに九州本島まで見えるはずですが、降り続く雨に視界を奪われ、涙をのむことに・・・。
夕方早く、初日の目的地である山小屋にたどり着きました。山行2日の朝も雨。6時過ぎに小屋を出発します。前日の目的は宮之浦岳の山頂に立つことでしたが、この日は「古代杉」と「自然林」を楽しむこと。小屋のある辺りはすでに屋久島の巨木に囲まれていますが、出発して1時間ほどで目指す「縄文杉」へ。道中何度も「こんなでかい木がある」と驚きの連発でしたが、いざ縄文杉の姿を見るとその大きさに圧倒されます。2千年とも3千年とも言われる巨大杉は、自然におびえながら生活していた頃からの人間の姿を見てきているのでしょう。その生命力と神々しさは、周りで見ている我々にも神秘的な力を与えてくれているにちがいありません。恭しく一礼し、縄文杉から下ること1時間ほどで、かつては屋久島最大であったろうと言われるウイルソン株にたどり着きます、1586年、豊臣秀吉による京都方広寺の建立のために切り出されたと伝えられているそうですが、切り株の内部は大きな空洞になっており、大人20人くらいは立って入れそうです。その先も杉に劣らぬツガ・モミ・ヒメシャラなどの巨木がその生命力を競い合っていました。
縄文杉

屋久鹿

屋久島の北東の登山口である白谷雲水峡に近づくころに、映画「もののけ姫」の舞台となった森があり、屋久島を潤す雨水が木々の梢から滴っています。ここで写真を撮ると、「木霊」がポッと光って写るのだそうです。

島全体が世界遺産であり、ふもとの亜熱帯から山頂近くの冷温帯までの気候が分布する屋久島。そこに生息する動物や植物、そして山・谷川・湧き水から島を取り囲む海まで、雄大な自然の宝庫であるとともに、自然の大切さをいまさらながら教えてくれているようでもあります。自然を我が物顔で破壊しつつある現代の人類の傲慢さを、嘆いているようにも見えました。

五十路の修学旅行  2007年2月某日
五十路の修学旅行を楽しみました。
カンイチ・お宮の像のまえで!


熱海に行きました。
オジサン6人で、夕方6時から午前2時まで、飲みましたねぇ。
翌朝は、お宮の松を眺め、桜見物をして帰途に着きました。
熱海桜は早咲きで、
すでに散ってしまっていましたが・・・。
でも、川津桜やソメイヨシノなどはこれからが見ごろのようでした。

左から大野(知)・吉原・高野・関・高山
撮影班――高本
梅雨の豊後路温泉めぐり2006年7月22日~23日 記:Takamoto


今年の梅雨は元気がいい。

特に九州では、もういいよという程の雨に見舞われた。
そんな
7月のある日、ホームページの編集子は、取材の名の下に九重の温泉地を巡った。

出発早々、予定の特急「由布院の森号」に2分の差で乗り遅れてしまった。
折からの大雨で電車の乗り継ぎにも支障をきたす有り様であったが、電車の運転手を拝み倒して久大線の普通列車に久留米駅で待ってもらい、かろうじて予定から大きな遅れもなく日田にたどり着くことができた。
祭りが催されているという日田は、運良く薄日が射している。

たまたま行き合わせた祇園祭りであったが、京の祇園祭と同じく山鉾が町内を練り歩く様は、人混みこそ河原町ほどではないものの、小京都たるに充分な風格がある。
街角の看板に「国指定重要無形文化財 山鉾」「ミニパイパイ」とあったので、なに?ミニパイパイの山鉾とはどんなものかと興味津々でデジカメを準備する。
しかし、山鉾は蘇我兄弟の仇討ちなどの歴史的な逸話が主で、最後まで「ミニパイパイ」と思われる山車は見当たらなかった

江戸時代の日田は、幕府による直轄地-天領であったため、代官によって治められた。
予想に違わず「悪代官」もいたというが、それは15代にわたる代官のうちの1人だけであったという。
古来、政治・経済の中心地として栄え、数多くの文人を輩出した裕福な土地柄というだけあって、都の雅な文化が色濃く漂っている。
日田の祇園祭りを満喫し、ついでに造り酒屋で今夜の燃料を仕入れ、再びローカル線で豊後森へ。
そこから宝泉寺温泉まではバスとなる。
列車もバスも
1時間に1本程度の運行なので、乗り遅れると大変である。

バスは山間の細い道を進む。目的の宿は渓流沿いにある。
大雨で増水していたが、宿の床まではまだ少し余裕があるので一安心だ。
35年というが、本館は実に落ち着きのある本格的な木造建築、洋館風の離れは内部もヨーロッパ調にまとめられていた。

T君夫妻は店があるため、遅れて来ることになっている。N君と二人で早速湯につかる。
目の前が渓流なので、露天ではないものの、水辺の音や空気が爽やかである。
二人しか入っていないので、デジカメで記念撮影。

日が暮れかけた頃に、T君夫妻が車でやってきた。
時間もいいので、食事と相成る。
摘み草懐石というとても丁寧に料理された品々は、主人のもてなしの心を感じさるに充分であった。

食事の後にまた一風呂浴び、離れの洋館風の部屋で喉を潤す。
離れは早めに閉めるというので、自室に戻り、日田で仕入れた濁り酒で話が弾む。

今日はいかにも降り出しそうな天気である。T君夫妻の車にN君と私が乗り込んで出発。

最初の目的地はどこだろう。温泉評論家のT君が、このあたりの地図を頭に描きながら案内してくれる。

ほどなく、熊本は小国の岳の湯地獄谷温泉「裕花」に着く。このあたりは硫化泉が多く、独特の硫黄のにおいが鼻をつく。おりからの雨は本降りとなったが、雨の露天風呂もまたオツなもの。温まった体に雨の冷たさが心地よい。

地獄谷を極楽気分で味わい、次の目的地へ。10分ほど走った頃、私の手帳がないのに気付く。しまった、どこかで落としたに違いない。T君は何のためらいもなく今来た道を引き返し始めた。先ほどの地獄谷温泉に引き返して脱衣場をチェック。そこには私の手帳はなく、誰かが置き忘れた腕時計が脱衣かごの中にあるのみだ。車に戻ってそのことを告げると、T君が「あっ」と声を上げる。奥さんも同様に声を上げる。なんと、時計の持ち主はTであった。それも大切な記念の時計なのだ。
私の手帳は、宿泊した宿に違いないということになり、電話で確認すると「ありますよ」との返事。ほっとしたが、宿まで引き返さなければならない。
T君の運転の早いこと。

少し道草は食ったが、私の手帳と怪我の功名で見つかったT君の時計を無事回収し、次の温泉を目指す。

あいにくと雨が強まり、霧も濃い。雨雲の中を走っているわけだ。
本来なら絶景を楽しめるはずの飯田高原も、あいにくの霧。
全く視界がきかない。
N君は飲み疲れか、気分が悪そうである。
高原の何も見えない展望台で一休みし、赤川温泉へと向かう。

赤川温泉は硫黄分が濃く、本来は冷泉という。風呂は沸かし湯と冷泉があるが、やはり温かい湯に入る。
窓の外は増水した渓流が、ザーザーというよりゴーゴーと音を立てて流れている。少し上流には立派な滝が見える。
体が温まると少し冒険心もわき、冷泉にトライ。ひえっ!冷たいっ!と感じるのは一瞬のこと。
すぐにほかほかとしてきて、胸まで浸かってもさほどつらくない。湯上りも体がぴりぴりとした爽快感で満たされる。
初めて味わう心地良さだ。
そろそろおなかも空いてきた。
T君お勧めのレストランで昼食をとり、
水出しコーヒーのしっかりとした味わいを楽しむ。

雨も小降りになったので、
本日
3件目の温泉、日田大山町のひびきの郷に向かう。
付近は大規模な梅林になっており、
温泉に隣接した売店には、梅を素材とした名産品がたくさん並べられている。
雨が降ったりやんだりする中、露天風呂で大はしゃぎするのは、近所の子供ならぬ博多のおじちゃんたちであった。

朝から4軒の温泉をはしごして、すっかり毒素も洗い流され、心なしかスリムになったような気がするのは当人だけかな?

12日で温泉を満喫した我々は、N君の奥方が待つ筑紫野へと急ぐ。

取材旅行の締めくくりは、N君の奥さんを交えて焼肉で乾杯!とっても充実した取材旅行となった。
雨と霧の温泉も、なかなかいいものである。T君、N君ありがとう。
また、仲間と出かけよう。

出水のツル見聞録                       K.T.記    写真はパンフレットより転載


2
月のある日、ツルの渡来地として有名な鹿児島県出水市を訪れました。

出水市は水俣市のやや南西にあり、江戸時代後期から薩摩藩によって干拓が続けられてきたところだそうです。

毎年冬になると、シベリアからはるばる渡ってくる万数千羽のナベ鶴・マナ鶴でにぎわいます。


私が訪れたのは大陸からの寒気が強まり、南国でも雪が舞うとても寒い日でした。

鹿児島空港からバスに揺られること1時間半あまり、午後の早い時間に出水に着けたので、きっと夕方のツルの夕食を見るにはちょうどいいと思っていたのですが、ツル観光の周遊バスは午後2時が最後と聞き、残念でしたがその日は付近の温泉でゆっくりすることにしました。

出水のツルを見るのは長年の夢、翌日の早朝しっかりと気合を入れて見に行くことにしました。

翌朝は6時前に起床して朝湯につかり、7時半前の周遊バスに乗りましたが、乗客は私1人。

こんなに寒い日に早朝からツルを見に行くような暇人は、私一人であったようですが、バスのドライバーがとても詳しく
説明してくれました。

ツルの営巣地は出水駅から数キロのところで、海を堤防で区切って干拓した農地でした。

先ず見えてきたのは、電線に鈴なりになっているカラスの大群。

聞くところによると、このカラスも出水に渡ってくるのだそうですが、ツルの季節は餌のおこぼれにあずかろうというのでしょう。
他の季節はもっと餌の多いところに移動するのかもしれません。

バスの駐車場からメートルほどのところに網囲いがしてあり、そこから先は観光客は入れません。
囲いにしがみついて眺めてみると、いたいた。
まっすぐ伸びたあぜ道のはるか先、畑の中で数羽のツルが餌をついばんでいます。
そのそばでおじさんが軽トラックから餌を撒いているのも見えます。

ちょっと遠いなあと思っているうちに、四方の畑から数羽単位のツルたちが餌場に向かって飛んできました。
いくつかの群れは私の頭上を旋回し、近くの畑に降り立ちましたが、近くで見るツルの飛翔する姿に思わず息をのむ思いです。

ツルは家族意識が強い鳥だそうで、つがいの2羽はいつも一緒。1度に2個の卵をかえすので、4羽で1グループとなって行動しているのはきっと家族なのでしょう。

一羽のツルが越冬中に怪我をして北国に帰れなかった時、翌年の冬には連れ合いの鳥が真っ先に駆けつけたという話しを聞きました。

姿のみならず、振る舞いもとても美しい鳥ですねえ。

2月に入るとそろそろ北へ帰る季節。

天気が良くて北風が弱い日になるといくつかの集団が営巣地を飛び立ち、北の方に見える小高い丘の上で旋回しながら
風の状況を確かめて、“いける“と思ったら北に向けて旅立つのだそうです。

はるかな海を越えシベリアまで引率するリーダーの判断は、グループ全体の運命を担っているものですし、そのリーダーを
信じて数千キロの旅をするツルの団結力もたいしたものだと感心させられます。

そのようなツルを地元の人はとても大切にしており、北へ帰る時期が近づくと小魚なども餌として与え、ツルの体力を
つけてやるということです。

美しいツルを昔から大切に保護してきた出水の人たちの美しい気持ちに触れた、心暖まる旅でした。

晩秋の那珂川    カヤック紀行     投稿: 高山 11月27日 (写真は後日掲載します) 

 喜んで父の趣味につき合って呉れていた息子達も成長し、それぞれの関心事に忙しい。カヤックの手ほどきをした勤め先の同僚達も結婚し、家族が増え、小生の誘いに二つ返事で乗れるほど自由ではない。その様な訳で暫くここの川下りとも疎遠になっていた。しかし、数年来案内してあげるという約束がたまったままになっていたので、1127日の日曜に実行に移した。

 那珂川はその源流を栃木県の那須山系に持ち、茨城県を横断し太平洋に注ぐ中級河川である。水戸近郊に達するまで蛇行を繰り返しながら山間部を流れるので、その景観の変化は実に楽しいものである。山桜の花びらが淡い緑をかすめて川面に散る早春。郭公の声を遠くに近くに聴き、瀬の音も軽やかな初夏。深みで鮎を狙う釣師と喧嘩しながら下る盛夏。紅葉を愛で、鮭の跳躍をそこここに眺めながらの晩秋。そして、水鳥の気配もない川辺を見ながら、ウイスキーで暖を取り、手の切れる様な水の上を黙して下る冬。この川は日本列島の原風景をいまだに留めているのではないかと思う。

 9:00に那珂川の中流域にある御前山の川沿いのカヤックショップに集合した。参加者は東京に住む小生の従兄弟達3人とこの夏の九十九島でのパドリング仲間であったK氏である。従兄弟達は西伊豆で一日講習を受けただけであった。K氏も本格川下りは始めての体験である。小生以外はプラスティック製カヤックをショップでレンタルした。25km位上流の烏山の舟戸の梁まで運んでもらう。ここが出発地点である。小生がフォールディングカヤックを組み立てている間、初心者の4人には、水流の少ないところで練習してもらう。岸沿いに、おびただしい鮭の屍骸が漂っている。産卵のため上流を目指したのだろう。目的を成就したのか、その前に力尽きたのかは分からない。

 取ったコースは初級の上、中級の下程度のところである。少々緊張する瀬が3つ、他10程度の瀬は鼻歌混じりで行ける筈であった。いつもだと離岸して最初の瀬を越え、瀞場にでると早速ビールで乾杯をし、行程の安全を祈念するのだが、初心者には酒気帯び運転が頭をよぎるのか全くその余裕は見えない。結局小生もお昼御飯までアルコールはお預けにした。途中、瀬のいたる処、鮭のギャング釣りをやっている。おもりを先端に付け、大きな釣り針を等間隔に並べた仕掛けを横に引っ掻く様に巻取って行く釣り方である。鮭の身体処構わず引っ掛ける、何とも荒い釣りである。魚の知恵と勝負すると言った高級な釣りの対極にある野蛮な釣りである。DNAに刷り込まれた繁殖の本能に従って行動している最中に不意打ちを喰わせる様なものである。それにしてもここは魚影が濃い。針にかかって岸で跳ねる鮭を何度も目にした。1人で何匹も釣っているようだが引っ掛けた鮭を一体どうするのか不思議である。川を遡上した鮭は一般に不味い。筋子を採取する以外に余り用途はないのだが。

 流れがあるので、漕がずとも目的地にいずれ着く。初心者は急流でパドリングが疎かになる。これは艇の制御を停止するに等しい。艇の動きは水流任せになる。全長3-4メートルの艇は護岸用のブロックや岸辺からせり出した樹木に傾斜して引っかかってしまう時がある。ここでコックピットを覆って水の侵入を防止するスプレースカートというカバーが外れると、水が侵入し、所謂「沈」してしまう。水中で逆立ちした格好になるので初心者はパニックになる。落ち着いていれば容易にコックピットから腰は抜け、直ぐ浮上できる。少し水を呑む位だ。しかし、初心者でこの洗礼を受けると、もう二度とやらないという人が必ず出てくる。丁度、川で溺れかけた子供のそれと同じなのだろう。今回は誰も沈する人が出なかったのは幸いであった。その昔、同窓生のT氏も自作のカナディアンカヌーで子息と川下り中、この不運に遭遇。キャンプ道具一式、車のキー、財布等の貴重品を図らずも那珂川に寄進する事になった由。

 12時過ぎ、予定より行程は遅れていたが、昼食のため着岸。夏場なら鍋釜を持参し、飯を作るところだが、晩秋の山間の日の入りは早い。昼飯に何時間もかけるわけにはゆかないのでワインと弁当と紅茶で済ます。この程度飲んで大丈夫かと心配する同行者を後目に、小生のみほろ酔い気分で午後のパドリングを楽しむ。午後も瀬と瀞場を幾つも通過し、橋の橋脚の脇をすり抜け、目的地は次第に近付く。カヤックの底が石ころを摩る様な瀬では背びれを立てて上流を目指す健気な鮭に拍手を送る。多分手掴みも可能だろう。しかし、この様な姿を見ると余り取って食おうという気は起きない。4時前にお日さまは山の頂きの向こう側に隠れ始める。当然、辺りは急速に暗くなる。この後、着岸地まではさして大きな瀬は無かったのだが、同行の1人が瀬の急流でトラップされてしまった。幸い、自力で脱出できた。そうこうしている内に、本当に暗くなってしまい、着岸地点の目印を見失う。そのまま下り、見覚えのある橋のたもとに全員着岸する。カヤックショップからの迎えを待つ間、流木の焚火で暖を取る。無人のアラスカならこのままキャンプである。

 最後は御前山の公共の温泉で汗を流し、附属のレストランで夕食を取って帰途につく。そこには鮭のメニューが幾つかあった。大量の屍骸、遡上する大群、岸で跳ねる運命が決まっている鮭を目にして来たばかりの我々の中にこれらのメニューを注文する人は誰も居なかった。

紅葉パートⅡ 菊池から久住

11月13日 友人夫婦と菊池から久住へと出かけました。
先週に続きあまり良い天気ではありませんでしたが、その道すがら写真を撮りましたので紹介します。
菊池渓谷へ到着したときは既に人と車で満杯の状態だったので少し阿蘇方面に向かい渓谷の写真を撮りました。
上段3枚がその写真です。見事な紅葉とはいきませんが、森の中に水と緑と紅葉があるるのも趣があります。
下段左は阿蘇外輪山から見た久住山です。下段中は「あざみ台」から見た「瀬の本」で、久住山の麓近くまで既に紅葉は終わっています。
季節は晩秋にさしかかっているようで、久住の高原は福岡より寒さを感じます。
右は、帰りに寄った瀬の本にある「シェ・タニ」というビュッフェ形式のケーキのお店から撮った夕日です。
開店して1年のお店で眺めも良く、甘党の方にはお勧めです。 http://www.chez-tani.com/senomoto.htm
 渓谷で撮影中に足を滑らせ渓谷の石に頭をしたたか打ちつけ、その後の行動に響きました。
渓谷でカメラを手にして足を滑らせると痛い目にあいますよ。
                                                          記事、写真  T・T
九重町「あまがたに渓谷
  11月6日(日) 福岡は生憎の天気でしたが筋湯温泉まで出かけました。
 九重町役場から四季彩ロードを通り、筋湯の10キロほど手前に「あまがたに渓谷」があります。
 大きな渓谷ではありませんが紅葉が見ごろでしたのでご紹介します。
 筋湯も紅葉は綺麗なところですが、着いたときには日が沈み紅葉は見れませんでした。
 「あまがたに渓谷」の場所は「あいのせ茶屋」のホームページから見れます。下記URLを開いてご覧下さい。

         http://www.h7.dion.ne.jp/~ainose/
                                                         写真提供  T.T.  撮影11月6日
秋の日田路を訪ねて        2005,Nov.       K.T.記
秋の気配が濃厚となった11月のある日、編集子2人は紅葉と温泉を求めて日田路の探索に出かけました。
朝11時に大野城市を出発して筑紫野から国道386号線を東に走ること約1時間、そろそろおなかもすいてきた頃に「珍しいレストランがあるから寄ってみよう」ということで立ち寄ったのが、あっと驚く農家の一軒屋!
   レストラン「楓」
朝倉町で国道から離れ、刈り取りの終わった田んぼのあぜ道のような細い農道を山の方に向かうこと5分ほどで同行のT君が「ここだよ」と指差すその先には、なななんと何の変哲もない1件の農家とその離れ風の建物しかありません。
「レストランてどこにあると?」と尋ねると、「へっへっへ、ここだよ」とのたまう。
驚くべきことに、農家の離れと見えた建物がレストランに改装されていて、おいしい家庭料理が味わえるというのです。
恐る恐るドアを開けて中を見ると、農耕馬がいる代わりに分厚い木のテーブルが並べられており、天井には2本の電線が碍子で配線されていて、その先にはエジソンが寄贈したような丸い裸電球がいくつかぶら下がってます。
でも、食事をしているお客はなかなかしゃれた家族連れや若いカップルなど、知る人ぞ知るといった感じの隠れ家的な不思議な雰囲気でした。
出てくる料理は洋風のメインディッシュに自家製の煮物や漬物といった工夫を凝らしたもので、味もなかなかのものでした。
   琴平温泉
農家の離れ風レストランで空腹を満たし、それでは温泉へいざ行かん!
再び国道386号線へ戻って約30分ほどで渓流のほとりに沸く「琴平温泉」に到着です。

ここは同行のT君がよく奥さんと訪れる所だそうで、いつも尽してくれる奥さんの背中を流して労をねぎらうのだそうです。

そうか、やはり奥さんには孝行しておかなくては!
落ち葉の季節は山の紅葉だけで充分。
自分が落ち葉になるのはゴメンですよね、ご同輩。
   琴平温泉への道順

琴平温泉へは鳥栖から大分自動車道を通れば早いのですが、国道386号線も込み合うところは一部ですので、ゆっくり筑紫路の景色を堪能しながら一般道を通るのも悪くありません。
九十九島カヤック行  8月14・15日 九十九島  高山、K氏、高本によるカヤック行  (高本記)

前夜の同窓会での興奮も冷めやらぬ814日、お盆の真っ最中でさぞやにぎやかだろうと予想していた佐世保・九十九島の海は、思ったよりずっと静か。

かねてから計画を練っていた高山君と私は、高山君の友人K氏と共に、シーカヤックを駆って九十九島の島々を巡りました。

カヤックも装備も全て現地でレンタルできるため、ほとんど身ひとつで出かけられる気軽な旅でした。


出漕準備中の高山・高本

高山、高本


私が高山君からカヌーの手ほどきを受けたのは、もう
20年以上も昔になります。

日光連山の北にある奥只見湖で11月下旬、雪の降りしきる中、水温3度をものともせず3日間のカヌーキャンプをしたのが始まりでした。

その後、海・河・無人島と、高山君やその仲間達と漕行を楽しんできました。

特に無人島でのカヤッキングは楽しい思い出があり、いまだに語り草になっていますが、いつかご紹介するときがあるかもしれません。


さて、今回の九十九島は晴れ、波も穏やかで絶好のカヤッキング日和に恵まれました。

全長約5メートル、横幅はせいぜい70センチくらいで水面とほぼ同じ高さに腰掛けて漕ぐカヤックは、ひとたび漕ぎ出せば水面上を漂う水鳥になった気分です。

九十九島は昔の山地が沈降して海になったことから、小さな無人島がたくさん点在しており、島の岩肌には「良くぞあんなところに」と思わせるように木々がへばりついて生えています。

低い目の高さから眺めるそれらの島影は、まさに一巾の名画を思わせるものがあります。

波の音と水鳥の鳴き声、遠くで遊覧船や漁船の行きかうエンジン音を別世界のもののように聞き、揺れる水面が夏の陽光をすくい取って柔らかく投げ返す様を眺め、一時漕ぐ手を休めて波に身を任せながら飲むビールのうまさは格別です。

まさに浮世の憂さを忘れるひと時といえるでしょう。



奇岩の前を漕行する高山
(へミングウエイを彷彿)

ガンバレッ! ガンバレッ!

一休みの後は再び目的の島に向かって一心に漕ぎ始めます。

時には向かい風や潮の流れに苦労し、外海に近づくと波も高くなって小さなカヤックはまさに大海に浮かぶ木の葉のようです。

昔、数十人乗りの小さな木造船でこのあたりの海を渡ったであろう人々、日本と大陸との文化の交流に貢献した人々の航海は如何に大変なものであったろうと、その勇気と文化交流への熱意に改めて感動が沸き起こりました。


無人島での遊びは釣りと水遊び、時には珍しい生き物や植物なども見ることが出来ます。

今回は、釣りの名人であるK氏に大物を期待しましたが、お盆とあって大物の魚達は皆親戚回りをしていたのか、釣れたのはかわいい小魚達でした。

海と自分とを隔てるのはカヤックの薄い艇体だけ、まさに大自然の手のひらの中で遊ばせてもらった2日間でした。

皆さん、次回はご一緒しませんか。



この次はお父さんを連れてきなさい!!
久住花公園にて     写真提供 K_T   撮影7月22日

2000年前の古代ハスのロマン

千葉市花見川区の東京大学総合運動場は、幕張メッセから北に車で約10分ほどのところにあります。ここは「落合遺跡」として知られていましたが、1948から1949年にかけての調査により、丸木舟3隻とオール6本が発掘されたことにより、ここは「縄文時代の船だまり」と推測されました。19513月、植物学者の大賀一郎博士は、地元花園中学の学生達の協力も得て遺跡の発掘調査を行いましたが、
調査の期間がまさに終わろうとする
330日、一人の女生徒が地下約6メートルの泥炭層からハスの実
1
個を発見し、続いて46日に更に2個の実が発見されました。ハスの権威者・
大賀博士は、それらのハスの実、丸木舟の一部などをシカゴ大学へ送って年代分析・
鑑定を依頼した結果、それらが弥生時代(約
2000年前)のものであることが判明しました。
1951
年、大賀博士は発見した3粒の発芽を試みたましが、2粒は失敗に終わったものの、残りの1粒はみごとに発芽に成功し、翌年1952718日の早朝、ピンク色の見事な花(古代ハス)が開花しました。
以来、大賀ハスは「世界最古の花」として、海外でも大きい反響を得、日本各地をはじめ、世界各国へ根分けされ、友好親善を深めていますが、現在は、「千葉市の花」に指定されています。
花は小柄ですが、淡いピンク色とその清楚な姿は気品さえ漂わせ、古代の佳人を彷彿とさせます。

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