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松隈君を囲む新春の会
第2回21回生忘年会
佐賀牛グルメツアー
三津井(知)さんと
福岡タワー「博多傳や」
第一回21回生忘年会
冬のグルメTour
弘田三枝子ディナーショーを楽しむ
福与さんを囲んで
「玄風館」で本場の焼肉
佐賀牛グルメの旅を振り返り(M・H)
娘の結婚相手は、ばい菌?
高阪(田中)さんを歓迎
西園さんを歓迎
松隈さんを「応援する会」を結成
裏21回生の会の集い
下関グルメの旅
湯布院下見チン道中記
木村さんの「グルメの会」  渡辺通り「風芽」  2007年10月11日

久しぶりの「グルメの会」でした。
今回の幹事は木村さんです。木村さんは仕事の傍ら書、ピアノ、ボランティアと多彩な活動をしています。
グルメも通で、今回は天神の裏通り(渡辺通り)にある「風芽」(ふうが)で開催されました。
表通りから一歩入った隠れ家的なお店で看板もありません。表札みたいなお店の名前があるだけです。
看板がないので30分も探し回った初参加者もいました。
こじんまりとしたレストランバーで夫婦で経営されています。最初の写真の女性がママさんです。
センスの良いコース料理をビール、日本酒、焼酎、ワインを飲みながら堪能しました。
今回初めて松本さんが奥様を同伴して参加しました。上段中の写真の女性です。
松本さんが大学時代「赤い糸で結ばれている」と閃きを感じて結婚した奥さまです。
しっかりした素敵な奥様で相性もピッタリの印象を受けました。
奥さまも獣医で、二人で動物病院を経営しています。
今回の松本夫妻の紹介で、21回生の3大オシドリ夫婦の紹介ができたように思います。
私が思うに、21回生の3大オシドリ夫婦は木村夫妻、関夫妻、松本夫妻ではないでしょうか?

2次会は隣の「かんずめバー めでた屋」でした。
下段の写真でお分かりでしょうが、つまみは缶詰です。
缶詰を選ぶと右の写真のように温めて出てきます。
レトロな雰囲気の店内で中年には懐かしい缶詰を味わいながらお酒を飲むのも乙なものです。
お値段もお手頃です。初めて入ると豊富な缶詰の種類にどれを選ぶか迷います。
気にするほどの悩みではありませんが・・・
懐かしく新鮮な缶詰に舌包みを打ちながら高校時代を語るのもいいかも・・・

以上、木村さんお勧めの「裏通りのグルメの会」の報告でした。

takata

古田さんと再会&一杯   天神 高田屋  2007年9月27日

 がむしゃらに駆け抜けた40年でした。昔の仲間や自分自身を振り返る余裕すらなく、当時の記憶もまことに危ういものでした。
それが、このたびの高田君たちとの再会で、長い年月のかすみが一挙に晴れるような思いでした。
一人ひとりの顔やその時々の情景が目の前に現れてきました。当時は気づかなかった数々のエピソードも新鮮でした。
本当に楽しく、懐かしく、胸の中が洗われるような清々しさを今も味わっています。もっと多くの同窓生に会いたいという思いはますます強くなっています。私をご記憶の方はご連絡いただければ、本当にうれしく思います。
それにしても、遠く離れた同窓生にとって、帰ってくる居場所があるというのは本当に有難いことだと思います。
小西さん、高田君をはじめ幹事のみなさんのご努力にあらためて頭がさがる思いです。

古田


 1組の古田(義)さんと高校卒業以来の再会をしました。
21回生名簿で行方不明だった古田さんの所在がわかったのは中学の友人と飲んだ時に彼の名前が出たのがきっかけでした。
連絡が取れこの日の再会&一杯となりました。
多忙なようで彼が都合のよい日に決めたら、出原さんだけが参加でした。
1組のクラスメートを誘ったら皆都合がつかず、ちょっと寂しい思いをしていたら小西さんが参加してくれました。
古田さんと出原さんは実家が近くで幼馴染で大学も同じです。
浪人時代の二人は筑紫学館には通わず二人で博多パラダイスなどを図書館代わりにして勉強した仲だそうです。
出原さんは古田さんと2年前に会っています。そのときは古田さんが行方不明扱いになっているとは知りませんでした。
行方不明だったので同窓会の案内も一度も届いていません。
皆さんの近くに同窓会の案内が一度も届いていない方があったら、名簿が行方不明状態になっています。
是非、ご連絡をお願いします。

この日は7時から始め、高校時代や近況などを話しているといつの間にか11時近くになりました。
小西さんから女性の話も少し聞けて良かったかな・・・
古田さんは赤坂の某Y新聞にお勤めです。
某Y新聞西部本社が小倉から福岡に移転したときに福岡に単身赴任してきました。
これから徐々に同級生との交流をしていきたいそうです。
次回は時々会われている1組の高島さんと一緒に飲みましょう。
高校時代と変わらぬ姿に落ち着いた穏やかな話し方も以前のままですね。
4人で楽しいいひと時でした。

takata

神代さんと一杯   雑餉隈 風in  2007年9月6日

21回生の皆さん9組にいた神代です。
この度転勤で福岡へ戻ってきました。
昨日、高田さんの計らいで同級の5名の同士で食事をする機会がありました。
久しぶりに同級生と楽しいひと時を過して、中には38年ぶりに
会ったにもかかわらずに其れを忘れるくらい親しく話をすることができました。
高校卒業以来まだ一回も福岡での同窓会等へ出席をしたことがありませんでしたが
今後はできるだけ機会を設けて出席したいと思います。
神代を覚えている人はメールをお待ちしています。どうぞよろしく。
 
神代(くましろ)

神代さんのメールアドレスはホームページ委員にお問い合わせください。



福岡へ転勤で戻られた9組の神代さんと雑餉の博多南郵便局前の「風in」で一杯やりました。
現在、神代さんは雑餉隈に奥さんと二人で住んでいます。勤務先も近くなので雑餉隈で一杯としました。
神代さんは今まで九州を転勤され同窓会は一度も出席したことがなく、同窓生との付き合いも殆どありませんでした。
今回の一杯から同窓生との交流が始まることを期待しています。
今回の一杯の発端は転勤で福岡に戻ってきて増田さんと二人で飲んだことから始まりました。
大学時代に神代さんの下宿に増田さんがよく泊らせてもらっていて、仲が良かったのだそうです。
私も初対面と思いきや、お互いに「どこかで会ったような気がする」と・・・たぶん大学時代に会っていたかも・・・
記憶が曖昧ですが、若いころの彼の面影がハッキリと残っているからでしょう。
卒業して40年も経つとすっかり変身?してしまった人、面影が残っている人、魅力がアップした人、など年月の経過を感じます。
社会人として40年の歳月を積み重ね、大人として完成期?に近づいた同級生たちとの交流もまた有意義です。

今回は神代さんの初めての同級生との交流の始まりとして程よい人数でした。
思い出話に花が咲き、楽しいひと時でした。
これから近所付き合いみたいな感じで長くお付き合いをお願いします。

写真右端は池に浮かぶ風in の雰囲気を撮ろうと写したら窓が鏡みたいになってしまいました。
男ばかりの楽しさと殺風景が同居する飲み会に少しだけロマンチックな雰囲気をを足してみたかったけど。


以上、大人として未熟な未熟な記者 takata でした。

弘光(紀)さん(旧姓井上さん)が来福   天神で   2007年7月13日


横浜在住の5組弘光(井上)さんが来福され、同じ組だった池田(中村)さんと再会されました。
13日天神アクロスで二人で待ち合わせでした。
田所さんも昼休みに合流し、大丸パサージュ広場で写真を撮ってもらいました。
左は池田さん撮影、二人の写真は田所さん撮影です。
たまたま二人が会うのをお聞きしたので写真をお願いしました。
弘光さんはホームページ初登場ですね。
高校卒業以来会っていないかたは姿を見たかったのではないでしょうか・・・
弘光さんは横浜のマンションにご主人と二人で住まれています。
隣に娘夫婦が住んでいるので老後は安心だと言われていたそうです。
幸せな環境が何よりですね・・・

二人はのりちゃん、??ちゃんと呼び合う親しい間柄のようです。
遠方から会いに来てくれる友人っていいですね! 楽しい一日を過ごされたでしょうね。

以上、弘光さんと全く面識のない高田が掲載しました。
いつかお会いすることがあったら宜しくお願いします。
松隈君を囲む会      博多区冷泉町 もつ料理「みやもと」    2007年4月20日

4月8日は県議選の投票でした。
21回生から初めて松隈さんが中央区から選挙に挑みました。
結果は1000票余りの差で善戦空しく惜しくも夢敗れました。残念!
惜しくも敗れましたが、長い選挙戦の労をねぎらおうと「松隈君を囲む会」が開催されました。

「玉ならば真珠、一途なるこそ男なれ」(北原白秋)
-慷慨よく伸ぶ九州男児 松隈一博君と共に-

この案内に松隈さんを含め17人が集まりました。
松隈さんは敗れはしたもののまた選挙に挑む意欲を参加の仲間に伝えました。
次回の挑戦が県議になるかはわかりませんが次は勝利の女神が微笑むことを期待しています。

21回生として初めての立候補でしたが、21回生同窓会として応援、支援はできませんでした。それぞれの政治思想があるからです。
温度差はあっても応援できる人達で、それぞれの立場から精一杯応援し、また力にはなれなくても陰で気持ちだけでも応援していただき、
ありがたく感謝しています。遠くよりエールを送っていただいた方々も含め、本当にありがとうございました。
ホームページは公平・中立が原則です。21回生からの初めての立候補で戸惑いもありました。
皆様に立候補を上手く伝えられずお詫び申しあげます。

松隈さんお疲れさまでした。
事務局長の三津井さん、事務所を手伝った小西さん、関さんのお嬢さん、お疲れさまでした。

「みやもと」のねぎがタップリのもつ鍋に持込みのこだわりのお酒がまた良かったね。
遅れて参加したのでお酒は飲み干されていたけど・・・

                                                         takata



関さんのB級グルメ 博多鳥の水炊き(スープ炊き) 博多区古門戸町「河里旅館」  2007年2月27日
オシドリ夫婦で知られる木村夫妻  いつも仲が良いことで・・・ご馳走様です 熟年夫婦の見本の関夫妻   これからは夫婦の時代と言いつつ腰が引けてる旦那・・・ つかず離れずの稲永夫妻  いつも旦那ばかりがと言われないように・・・・
奥さんが鳥が駄目だから一人で来た高田と募金で頭が一杯の服部 いつも付き合っていただく21回生の世話女房?の小西さん、感謝です 稲永が持参したお酒 通が持参しただけあってまろやかな味わいを堪能しました。甘口と辛口

恒例となったグルメツアー、今回は関さんのB級グルメ「博多鳥の水炊き」(スープ炊き)です。
古門戸町の「河里旅館」の一室で開催されました。
鶏がらスープに鳥のつみれ、鶏肉などが入った鍋です。雑炊で終わりました。
ビールを一杯飲み差しれのお酒を堪能しながら鳥鍋をタップリいただきました。
関さん夫婦お勧めの鳥鍋とても美味しかった。
今回は少人数しかも夫婦が3組、アットホームな雰囲気でした。
夫婦で参加すると家庭の温かい雰囲気がしていいですね。
温かい雰囲気を出すには日頃の夫婦関係が大事です。
冷めた夫婦は参加できないかも???一人で参加もOKです。

次回はA級グルメにしようかと言ってます。

「松隈君を囲む新春の会」 中央区赤坂 「紅夢」 2007年2月1日



瀬里、奥村

吉田、平田、小田、前田

江頭、吉田(実)、吉田(隆)、石橋

大野、具嶋


事務局長の三津井

福岡リーセントホテルの岩本



阿部、柴田

松隈さんの事務所を手伝っている小西さんと関さんのお嬢さんです。
二人で明るく事務所を盛り立てています。
事務局長は三津井さんです。
お気軽にお立ち寄り下さい。お待ちしています。

事務所
場所:福岡市中央区天神2−3−10−316
電話:092−736−9800
FAX :092−736−9801


この冬一番の寒気のなか新年会を兼ねた「松隈君を囲む新春の会」が開催されました。
忙しいなか34名の21回生の参加をいただきました。
広島より激励に駆けつけられた小田さんはじめ、参加された方には厚くお礼申しあげます。
会は会場一杯になった熱気でカメラのレンズも曇るほど盛況でした。
松隈さんの挨拶、大浦生徒会長の檄、柴田さんの激励に始まり、最後は応援歌で締めました。
大いに盛り上がった「松隈君を囲む新春の会」でした。
多くの方の参加が松隈さんには大きな励ましと激励になったことでしょう。
21回生で初めての政界入りを心よりお祈りいたします。



松隈さんのコメントを掲載予定です。暫しお待ち下さい。
冬のグルメTour  松隈さんを囲んで忘年会  長浜 「ゆき菜」 2006年12月20日

この日参加の11人全員で  隣の席の蒸気機関車の本を出版した方に撮っていただきました。

河豚フルコース 鍋にはまだ河豚が・・・
これからが本番です。

ちょっと一杯如何? 女性には優しいのよ!
男にも優しいけど?


体育会系をちょっと味わった人、バリバリだった人、人がいい体育会系の人

ちょっと何するの!手が勝手に動いてる???

来年は頑張って応援しようぜ!
オウ! & ハ〜イ!

来年はですね・・・
その他 聞いてんの?

それでは今年はお疲れさまでした。
来年新年会で会いましょう!


今年も大いに呑んだな!
来年も大いに呑もうぜ!21回生の皆さん任せなさい。           
大浦


今年は同窓会総会で奮闘しました。まだ80周年記念の仕事が残ってるのよね!お疲れ様!    服部

今回の「冬のグルメTour」は松隈さんを囲んで忘年会です。 都合により参加者限定となりました。
長浜の魚市場前「ゆき菜」で河豚のフルコースとひれ酒を堪能しました。
「ゆき菜」は隣が魚市場ということもあり新鮮な魚が手ごろなお値段で提供される庶民的な居酒屋さんです。
ひれ酒を呑みながら大いに盛り上がりました。来年はもっと盛り上がりましょう!

今年は6月に同窓会総会が開催され多数の21回生が集まりました。お集まりいただいた皆様本当にありがとうございました。
来年は21回生の同窓会の年です。同窓会の開催日は早めに決定する予定です。決まり次第お知らせします。
また、1月19日(金)には松隈さんの事務所開きが予定され、それにあわせ新年会も予定されています。

ホームページの年末予定は福岡で帰省者との忘年会と東京の忘年会が30日に開催されますので掲載します。
また、ホームページに温かい励ましのメールもいただきました。厚くお礼申し上げます。
今年も残すところ後わずか、それぞれのクリスマスと年末を過ごされ、楽しい正月を迎えて下さい
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

餅つきのご案内
28日(木)10時より大浦さん事務所で餅つきをします。
参加は自由です。奮ってご参加をお待ちしています。
詳細は大浦さんまで。

第2回 21回生忘年会  美野島 味処「花ふじ」 2006年11月30日
←今回の幹事 三津井さんと陰の幹事? 寄川さん

第2回21回生忘年会


混迷の末に忘年会は11月30日に開催することに決まりました。
年末が参加できずらい、また12月は忙しい方が多いことを考慮に入れ11月の忘年会になりました。
いざ開催してみると、月末は忙しくて参加できない方が多いですね。
昨年の第一回は年末、今年は11月末に開催して今後の参考になったようです。来年は何日なりますか?
今回の忘年会は今年の第一回で、12月に第2回、第3回をやろうという話も出ていました???
くしくも今回は昨年と同じ30日だったため12月30日と勘違いされた人もいたようです。
年末に帰省の方と小さな忘年会を企画できたらと思います。帰省の方はご連絡ください。
さて、今回の第2回忘年会は23名の参加がありました。早い人は1時間前の6時には会場入りされたようで・・・・・
遅れて駆けつけてくれた増田さん、服部さん、木村さん、Yさん。中国から帰国して最後に間に合ったのは大浦さんでした。
大浦さんが参加したときにはカメラマンはスッカリその場の雰囲気に溶け込んでいたので写真はありません。お土産でもあれば写真が浮かんだかも・・・
会場の広さに程よくマッチした人数が集まり、和気藹々とした雰囲気の忘年会でした。今年を振り返ったり、来年の抱負を語るには早い忘年会ではありました。
来年の抱負を語ったのは松隈さんです。よき年になることをお祈りいたします。
最初の写真は久しぶりの1組出原さんです。若い女性はこの店のゴルフの仲間です。
皆さんも一度参加してみて下さい。温かく迎えてくれる仲間ばかりです。

ホームページをご覧の皆様、来年も良い年をお迎えください。 ちょっと早いけど!

※筑紫丘高校80周年の協賛をお願いします。一口5,000円です。
 会社、個人、グループでお願いいたします。
 幹事:服部より  
高阪(田中)さんを歓迎  福ビル地下「御膳屋」 2006年11月12日

名古屋在住の高阪(田中)さんが来福されたのを機会に歓迎会をしました。
6月の同窓会総会で同期の仲間と一度交流をされていますが、福岡の高校時代の仲間と交流を深めるための場を改めて設けました。
現在、各地を飛び回る忙しい日々を送られているキャリアウーマンです。
福岡を第二のビジネス拠点にしたいお気持ちのようで,これから福岡へ訪れることも多くなります。
少しづつ高校時代の仲間と交流の輪が広がることをお祈りします。

この日の歓迎会は半額の寄せ鍋とチャンコ鍋のコースに飲み放題をプラスしました。
日曜日でしたが、12名が高阪さんを囲んで楽しく交流をしました。
充実した日々を送られ、高校時代からちょっと変身された高阪さんと、同じく年月を重ね変身した仲間の2時間でした。
幹事は最近アルツハイマー症候状態で、高阪さんの挨拶と皆の自己紹介もありませんでした。交流を図るはずだったのに・・・
幹事が開き直って、たまには飲んで食って楽しく過ごことに専念したいと言ってま〜す!

高阪さんの福岡の仲間へのメッセージ

今回の「会」は「帰福の際には連絡を」と言う甘い誘い?に乗っかって、高田さんにお願いしてしまいました。
日曜日にも関わらず多くの方に集まっていただいて嬉しかったです。
お会いするのが6月の総会以来の方も居る中、凄く自然に楽しい時ガ流れてほっとしてます。
皆さんが集まっている時にそ〜っと参加するのが希望だったので、幹事さんが「挨拶や自己紹介」を忘れてくださった事に深く感謝します。このまま次回の呑み会にも滑り込みたいと思います?会を重ねるごとに皆さんの温かさに触れ幸せになります。
集まってくださった小西さん・田所さん・山口さん・服部さん・稲永さん・高田さん・松隈さん・松尾さん・赤司さん・吉田さん・江頭さんに感謝します。
19日はインドから西園さんも帰国との事、今から12月にかけて福岡組は忙しくなりそうですね?皆さんが居るから福岡の魅力が倍増します。これからも宜しく!学生時代から変身しまくった?**洋子でした。


西園さんを歓迎  おおとり2階「金絲候」(キンシコウ) 2006年10月20日

北海道より西園さんがゴルフコンペに参加のため来福されましたので、10月20日おおとり2階「金絲候」で歓迎会をしました。
歓迎会は4日前に決まり、会場も「おおとり」から「キンシコウ」と変わったりと裏方はドタバタでした。それでも12名の方に集まっていただきました。
都合で来れなかった方が多かったのですが、程よい人数が集まり楽しい3時間でした。
翌日インドへ発たれる西園さんの歓送会にもなりました。
前日はゴルフコンペから参加者で打ち上げの呑み会、この日は増田さんと一日デート、そして歓迎会と福岡の仲間と旧交を温められた2日間だったようです。
西園さんのメッセージは掲示板へ20日に投稿してもらってますので、そちらをご覧下さい。
北海道で病院の経営お疲れ様でした。
インドの旅がよき充電になり、楽しい旅になりますように!!!

今回の写真は愛用の一眼レフで撮りましたが、またもやイマイチのできです!
小言を言われる前に謝っておきます。 ごめんなさい!
今後の精進にご期待を????????

こんちは、 福岡のホテルからの書込みです。

なんだか、今日は私の歓迎会とかで、、とても恐縮です。
10月19日に筑中・筑高のゴルフコンペに参加させて頂きました
晴れ晴れとした天気の中、懐かしい顔を見ながら私としては
久振りのゴルフでしたが、、スコアはともかくとして、
とても楽しいひとときを過ごさせていただきました。

さて、突然ですが、、
明日(10月21日)から4週間の予定でインドへ旅行に
行ってきます。インド最初の3日間はデリーのホテルを
日本で予約済みですが、その後は、、ベンガル地方、
南インド、、時間があればネパールにも足を伸ばしたいと
思っています。

今年の9月に自分の仕事に区切りをつけ、隠居生活を堪能しています
今度のインド旅行が今後の人生の過ごし方を考える機会になれば
と思ってますが、、さて、、さて、、。

インドで時間があれば、この掲示板にも書きこみしましょう。

じゃあ、行ってきます。



松隈(一)さんを政治の世界へ 「応援する会」を結成  「おおとり」  2006年9月27日

応援お願いします!松隈

「応援する会」会長の三津井です!

松隈さんを盛り立てよう!

政界入りを願って全員で乾杯

いつもお世話になります!大取夫妻

願いを込めて銘酒「夢は正夢」

頑張ってね!

私はゲストです。

これでお別れ!

美味そーね!

昔の仲間です。

ちょっと仲間に入れてね

松隈さんが来春の政界入りを目指しています。
そこで、同級生の有志で「応援する会」が結成されました。
松隈さんの人柄とテーマである「熱くふるさと」に賛同した有志で結成されました。
会長には松隈さんの信頼が厚い三津井さんが就任し、三津井さんを中心に有志で松隈さんの
政界入りを応援、支援していくことになりました。
松隈さんの政界入りの詳細について、また応援を希望される方は関係者へご連絡ください。
尚、「応援する会」は21回生同窓会としての応援ではなく、松隈さんを応援しようという有志の「応援する会」です。

 21回生で初めての政界入りを祈ります!

松隈さんのメッセージ
ニースキャスター筑紫哲也のコメントで[今から団塊の世代が新たな文化を創造するだろう]とありました。
その中にあって政治も我々が担って行くべく熱く行動し新しい時代を共に創りましょう。

                                                                記事 takata 2006.9.28

弘田三枝子ディナーショーを楽しむ 2006年8月27日(日)
MICO IN SUMMER VACATION
レコードデビュー45周年記念ディナーショー
主催/株式会社 バウハウス福岡

日程 平成18年8月27日(日) 17:30開場 18:00開演
場所 ホテルニューオータニ博多 芙蓉の間

Profile
弘田三枝子(ひろたみえこ)/1961年彗星のように「子供じゃないの」でデビュー。その後カバーポップスの世界でポップスクィーンとしての不動の地位を築く。1969年には「人形の家」で日本レコード大賞歌唱賞受賞。

主なヒット曲:「VACATION」「すてきな16歳」「想い出の冬休み」「砂に消えた涙」「人形の家」「私が死んだら」などジャンルを問わず、多数。2006年はレコードデビュー45周年として6月21日には、コロムビアから日本人では初めてのJAZZの集大成CD BOX8枚組が発売される。

前田(満)さんのイベント会社(バウハウス福岡)が企画する「弘田三枝子ディナーショー」に同窓生5組10人が招待されました。

歌にあわせて踊るダンスコーナーがあり、各人歳を忘れてツイストなどを踊っていました。

最初は握手をし、最後は記念撮影と楽しい時間を過ごさせていただきました。
佐敷・前田・小西 稲永夫妻
行實夫妻 田所・佐敷・前田
後列:中村の奥さん・稲永の奥さん・前田(満)・小西(や)・稲永(俊)・行實の奥さん・行實(秀)
前列:佐敷さん(田所さんの友人)・田所(康)・弘田三枝子さん   撮影:中村
中村夫妻 いつまでも若い
弘田三枝子さん
福与さんを囲んで おおとり2階「金絲候」(キンシコウ)で  2006年8月14日

参加した全員で

左 帰福の福与

右 久しぶりの具島

呑み会後大取さんとお店の前で
ご近所の小姑が文章が短いとさえずりますので、少し長くしました。
2年後のお盆に帰省、帰福の方はご一緒に呑み会をしましょう!

左の写真に頭が写っていますが、意図的ではありません。何故か写っていました。すみません!

横浜に単身赴任中の福与さんがお盆で帰福した機会に急遽呑み会を開くことになりました。
お盆休みに入ってしまったため、こちらで勝手に参加者を募りました。
来年は同窓会ですが、同窓会のない年は14日に帰省、帰福の方の呑み会をしましょう。
幹事は「おおとりの会」の幹事がいいですね!(勝手に決めてごめんなさい)
今回の会場「金絲候」(キンシコウ)は「おおとり」の集まりで下から眺めると庶民的なお店だと思っていましたが、行って見ると
ちょっとモダンな中華料理店でした。3,000円のコース料理で3時間ほど楽しく旧交を温めました。
今回久しぶりに参加した具島さんと福与さんは中学、高校、大学が同じでした。
黒川さんは何故か1時間前に来てしまって、大丸で一人ウィンドウショッピングを楽しんだそうです?ちょっと違和感が・・・ お疲れ様でした。
お盆にも関わらず9人の仲間が集まり、高校時代の話などに華が咲きました。
お酒の席では時々高校時代のと〜っても面白い話がでてきます。紹介できないのが残念ですが、それも楽しみの一つです。

急な呑み会に9人の方の参加をいただき、ありがとうございました。
グルメツァー「玄風館」で本場の焼肉 2006年5月25日(木)



タバコ吸ってるとこ
撮っちゃ駄目ー 
Y口さん


今回の幹事Sさん、7組幹事のK村さん、HP委員のI永さん。
7組はK村幹事を中心に良くまとまっています。


最近お酒を飲み始めたのに今回は飲めないH部さんと、お酒を飲むときが至福の時のY川さん。

今回のグルメツァーは関幹事お勧めの博多区千代3丁目の「玄風館」でした。
「玄風館」は創業50年の本場韓国焼き肉店で、知る人ぞ知る有名店だそうです。
焼肉はロース、カルビなどを唐辛子と韓国味噌でつけたものを焼きます。(上の写真の赤い肉)
本場の焼肉だけあって辛さがありますが、柔らかい肉と味噌の味がなんとも言えず美味しいですね。
この日は7人のいつもの仲間がお酒を飲みながら焼肉でスタミナをタップリつけました。
うち2人は余ったスタミナを中州で発散して帰りました。残りの5人は翌日の充電に・・・
私は初めての本場の焼肉で精がつき過ぎたのか眠れぬ夜を過ごしました。
掲示板で奥さんに元気がないと言われたT田さん、本場の焼肉でスタミナつけて冷えた関係にサヨナラしましょう!

 HP委員 T田
裏21回生の会の集い 2006年5月18日(木)
S 「妻が一番と言うことを宣言します。」
K村 「品行方正をモットーとしています。」

K村の妻「この度、裏21回生の会が発足することになりました。趣旨は主人ばかり美味しいものを食べさせないためです。」

Sの妻「HPが出来て以来、主人の飲み会が多くなりました。どんなに楽しいのか私も体験してみることにしました。」

O浦「行動監視委員会や予算統制委員会などが出来ないだろうね。」

N村の妻「当然、そのような分科会の発足を考えています。」

O浦「・・・・・・・・・」

N村 「呑み過ぎて忘れ物は絶対しないようにします。」

Y川 「行動監視委員会の発足は、やばいな。・・・」
佐賀牛グルメの旅を振り返り (M・H)

佐賀牛グルメの旅を振り返り(M ・H)

 4月22日(土曜)に佐賀へ寄川氏を幹事として佐賀牛を食いに行った。
学友及びその家族を含め、参加者が徐々に多くなってきた。

 先日、4月13日に私は、父を亡くし、喪もあけぬのに、仲間の誘いに乗り喜んで佐賀に牛肉を食べに行くとは、
「なんと不謹慎な人間だろう」と人は言うだろうし、自分もそう思う。
生まれてこの方、父のただ厳格さの中で育てられた。その割には、たいした人生を送っていない。
子供というのは、親の反面教師として育つところがあるように思える。
大体、教師とか公務員など、固い職業の親から生まれた子供でいわゆる大成した人物は、少ないように思えるし自分もそうだ。
私の親は、酒も飲まず、タバコも吸わず、ひたすら、国家社会について人に説教するのが好きな父親だった。
そのような親から教育を受けた人間が大成するわけはない。

 しかし、自分に言わせてもらえれば、大成した人間が必ずしも幸福な人生を送ったとはかぎるまい。
人生の折り返し地点を過ぎて、「幸福な人生とは何か」と考えると、それは「何か」に恵まれた人生であろうと思う。
では、「何か」とは何か、「能力」か、「財」か、「地位」か、「?」か、人、それぞれの考え方があるだろう。
しかし、思うに「人」に恵まれずして、幸福な人生などありえないのではないか。
今後とも、「人」を大事にし「絆」を大切にした人生を送りたい。
そして、「絆」を作るために最大の努力をし、人生を謳歌したい。

 次回は、関氏を幹事とした「下町焼肉屋」グルメの旅である、
短い人生多いに謳歌せよ、次回、グルメの旅の日程等は、近日発表予定。

佐賀牛グルメツアー 2006年4月22日(土)  
 家族参加のグルメツアーが佐賀駅前で開催されました。
 生憎の雨模様でしたが、楽しいひと時を満喫しました。

中村の奥さんと娘さん

木村の奥さんと木村

関と娘さん

小西と稲永

服部と川辺(俊)

川辺(敏)と小西
下記の写真は川辺敏昭さんの撮影によるものです。みんなかなり酩酊してきた後の撮影です。
三津井(知)さんと初めて会いました      H18年3月20日

3月20日に中学の同級生がやっている居酒屋で中学の同じクラスの仲間7人と呑みました。
声を掛けるといつも同じメンバーが集まります。本当に長い付き合いの仲間です。
最近はマンネリ化したのかもっと声を掛けようという意見が出始めたところです。
何処かの呑み会にも同じ話しがあるような気が・・・
仲間の一人が時々高校の同級生が自分の会社にいると言っていましたが、なにせ一年に一度集まるかどうかの呑み会で
私も知らない方だったのでそのうち忘れていました。
今回は電話で出てきてもらうことになり初めてお会いしました。三津井(知)さんです。
昨年の「麺処川辺」の呑み会には2度ほど参加されたそうで、私も一度参加しましたが入れ違いでした。
高校時代はバンドをやっていたそうです。
今は仕事の傍ら優秀なヨットマンでもあります。
                                           2006.3.21 T_T

福岡タワー 昭和モダンストリート 博多傳や  HAKATA DENYA    
昨年12月20日にオープンした「博多傳や」をご紹介します。
「博多傳や」は福岡タワー1階にあります。「博多傳や」はテレビなどで紹介されていますのでご存知の方も多いと思います。
昨年、平田(充)さんが飲食店をオープンしたと聞いていましたので、ホームページで紹介する予定でした。
詳しい話を聞いてみると随分話が違います。オープンしたのは福岡タワー「博多傳や」と「展望レストラン」でした。
「博多傳や」と「展望レストラン」は平田さんの「ふく富」の関連会社(子会社)「はねや」が運営しています。
「博多傳や」内に出店しているお店は「百番」を除き直営あるいは関連会社の出店です。
福岡タワーに先週の日曜日に昼食を兼ねて取材に行って来ました。
「博多傳や」はショッピングゾーンとグルメゾーンがあります。グルメゾーンには展望レストランのスカイラウンジ「ルフージュ」も含まれます。
それぞれの説明はインターネットでの紹介がありますので、そちらを参照してください。http://www.city.fukuoka.jp/download/159105390230.pdf
上の写真右上がショッピングゾーンの様子です。
下段はこの日の昼食をとった「煉瓦倶楽部」です。この日注文したメニューは「本日のスパゲティランチ」と「プレートランチ」でした。
左から4番目と5番目の写真は「スパゲティランチ」でパンには明太バターがスパゲティにも明太が、珈琲もついています。
私が頼んだ「プレートランチ」は写真を撮るつもりだったのが、つい本能が先走って少し食べたところで写真を撮らなければいけないことに
気づきました。
撮った写真はとてもお見せできるものではありません。せっかく取材にいって780円のランチの紹介だけに終わり申し訳なく思います。
この「煉瓦倶楽部」はお昼のランチからコース料理まで揃っています。皆さんも是非一度行って見てください。雰囲気、料理 良かったですよ。
展望レストランの「ルフージュ」には行きませんでした。また今度別の方と行ってみたいなと・・・思うだけです。
福岡タワーの駐車場をご利用されるときは「博多傳や」で買い物か食事をされると2時間まで無料になります。
直ぐ近くにTNC、RKBのテレビ局もあり、またドーム、ホークスタウンも近くにあり遊べるスポットが多いようです。
またこの日は穏やかな天気だったので海辺まで行ってみると愛犬家が自慢の愛犬を連れて集まっていました。(写真下段右端)
市内の百地にあり気軽に行けます。是非一度は行ってみて下さい。
                                                    取材 T_T  2006_2_4

福岡タワーホームページ http://www.fukuokatower.co.jp/index.php
福岡タワーのホームページを見られるときは「博多傳や」の紹介が始まりますので暫く開いた状態でお待ち下さい。
「ふく富」の紹介は「会社とお店の紹介」のページでしています。「ふく富」へ
「第一回21回生忘年会」   福岡リーセントホテル 12月30日



木戸(博) (9組)

中村(哲) (7組)

吉田(実) (3組)
江頭(健) (10組)

高野(秀) (7組)

谷川(秀) (7組)


安永(照) (9組)

福嶋(史) (8組)

戸畑(英) (8組)

大野(昭) (7組)

笹原(一) (7組)


吉田

吉田、江頭

戸畑

中村

大野

山口、吉田、小西

安永、木村

山口、吉田

吉田、増田、行實

寄川、赤司、増田

山口、木村

小西、増田

大浦、木戸

山口、吉田、行實

山口、江頭


写真、中は今回の幹事の木村さんです。
会計の様子です。本当にお疲れ様でした。
右は筑紫丘高校同窓会長で、海北(穣)さんです。
元筑紫丘高校の校長で水泳部の大先輩です。
志を頂きました。わざわざおいで頂き有り難うございました。

写真1は参加者全員の集合写真、2は幹事と筑紫丘高校同窓会長、3は7組の集合写真です。

初めての「21回生忘年会」が福岡リーセントホテルで開かれました。
26人の参加を頂き、和やかな雰囲気の中カラオケあり、ダンスありと今年最後の同窓生との楽しいひと時でした。
年末の忙しい中多数の参加を頂き、特に女性の方にはこの時期に参加頂き感謝です。
東京、岐阜、大阪と遠来の同窓生の参加もありました。
支配人の岩本さんにはフグ鍋、フグ刺しと豪華なもてなしをして頂きました。
今回は同窓会にも出られなかった方の参加もあり、また新しい同窓生とのつながりができたように思えます
これから回を重ねるごとに参加者が増える事を期待します。
今まで同窓生の集まりに出られなかった方へ、21回生は温かい気持ちの方ばかりです。参加を心よりお待ちしています。
幹事の木村さん、服部さん岩本さんは初めての「忘年会」で苦労されましたね。本当にお疲れ様でした。
参加の皆さん、楽しいお酒を飲ませて頂き3時間があっという間に過ぎてしまいました。
また来年の「忘年会」でお会いしましょう。
                                              記事・写真 T_T
娘の結婚相手は、ばい菌?

2005年10月9日(日曜日)

先日、久しぶりに同窓生と飲んだ。
その席で。娘の結婚の話が出た。

N村 「K辺さんは、もう孫がいるんだよね。孫はかわいい?」
K辺 「うん、かわいいね。子供よりかわいいね。
    N村さんも、もう少ししたらできるのじゃないの?」
N村 「来月、娘が結婚するからね。」
K村 「花嫁の父として、心境はどお?」
N村 「どうとも思わないよ。年齢で言っても早過ぎず、遅すぎずだからね。」
K村 「俺だったら娘の相手は、ばい菌と思うね。」
A司 「あはは!」
    「でも、お前も二十数年前は、ばい菌だったんじゃないの?」
K村 「・・・・・・・・・・・」

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2005年11月12日(土曜日)

今まで、数多くの結婚式に出席した。
司会をした時もあった。主賓の時もあった。しかし、花嫁の父としては始めてである。
娘が小さいときは嫁にやることなど考えも付かないことであった。
そして、その時がやってきた。
しかし、嫁にやる寂しさなどはなかった。
むしろ、幸せになることを心から願え、祝福できた。
今まで娘が居たからこそ、私は親に成れたし成長も出来た。
娘よ!今までありがとう!
幸せな家庭を作ってくれ!


左記写真(上)は娘の花嫁姿!
(顔を出さないようにとの娘からの厳しい達しにより左記の写真となりました。)
左記写真(下)はバージンロードを歩く私と娘です。
(やはり顔の見えないシルエットです。)

記:J_N


筑紫丘高校21回生下関グルメの旅の報告
 MH


 
この世に生まれ、いつの間にか55年の時を費やし、もうすぐ56年になろうとしている。
いくら厚かましくても、「未だ人生の折り返し点を過ぎていない、人生120年」と言う学友は、まぁー少ないだろう。
そこで限りある人生を謳歌すべく、Y川氏が2月4日(土)に「下関ふぐグルメツアー」を募ったところ、Y川氏を先頭に、
T木氏、K 村夫婦、私目ことH部が参加した。

本来、もう一人O浦氏が参加する予定だった。
そうそう、以前由布院でスズメ蜂に股間をしこたま刺され腫れ上がった、かの高名なO浦氏である。次なるエピソードが
起きるのではと内心期待していたが、急に取引先との商談が入り(まぁ信じることにしよう。)来られなくなった。残念。

さて、午後3時20分発の下関行の高速バスで下関唐戸に向かうため、天神バスセンターに集合することになっていた。
昔若かりし頃、近所の友人の母上から、「正○ちゃんは学校に行くのは、いつも時間ぎりぎりだけど、遠足の時だけは、必ず
早く行くのね。」と言われたことがあるが、久しぶりにその病気が出てしまい、約一時間前に天神に到着してしまった。

久しくバスセンターには来ていなかったが、以前は、旧岩田屋の広場に続いてバスセンターがあったイメージが残っており、
3階にできていたのには驚いた。お登りさん感覚で久しぶりに天神の街を闊歩して一時間を過ごした。

やがて3時になって3階のバスセンターに上ると、Y川氏が来ていて私に向かって手を振っていた。
そして、彼の指示に従い、下関行きの往復切符を買い高速バスに乗り込んだ。バスは、約20人程の乗客で二人掛けの座席を
一人で専用できるほど空いていた。

まず、T木氏が一人で運転手の後の座席にさっさと席を取った。せっかく、皆で行こうとしているのに、それぞれ近くに座れば
いいのにと思った。

他の者は、バスの半分より後ろに、K村夫婦、その後ろに私ことH部、そして通路を隔ててY川氏座った。
バスが出発する直前に、Y川氏が、T木氏を運転手の後の座席から、自分の前の席が空いていたので、そこに呼び寄せた。
しぶしぶT木氏は、我々の方に来て座りなおした。

やがてバスは、一路下関に向かって走り始めた。
すると間もなく、誰か乗客の一人が歌い始めたのだろう、何処からともなく歌声が聞こえてきた。
もちろん、乗合バスで貸切りバスではない。
「あーあ、変な客と乗り合わせたな。」と思いつつも、気にしないで自分は眠ることにした。
しかし、よく聞くと中国語の歌であった。
あー、きっと中国の留学生か誰かが、遠く祖国を離れ、また、祖国の歌を懐かしく思い歌っているのかと、何となく感慨深く
なってしまった。

その時「むん、中国語、中国語?」ハッと何かが私の脳裏を横切った。そして、チラッとY川氏を横目で見てしまった。
すると、彼は、ヘッドホン両耳にあてがい、本を片手に歌を口ずさんでいるではないか、「あちゃぁー」、私は、そーっと、
通路側に座 っていたのを窓際に座りなおし、「我、関せず」と窓辺の風景に見とれることとした。

しかし、私の前にお座りのK村ご夫婦は、Y川氏の歌など気付いてか気付かずか、ほんとに仲がよろしくて、そのことが後ろの
座席へ ひしひしと伝わってくるのが感じられた。

「あーぁ、いいなぁ夫婦とはかくあるべし」普段のK村氏?とは違った一面を見てしまった。
やがて、バスは下関の唐戸に到着した。
すると、T木氏が開口一番「ゆっくり下関まで眠ってこようと思っていたのに、誰かの歌が気になって眠れなかった。」と
ぶつぶつ文 句をいっていた。

そうそう、昨年、21回生7人で由布院に行ったが、ちょうどこの4人、K村、H部、T木、Y川がホテルの1部屋に泊まった。
その時 、セルフで布団を敷かねばならなかったが、T木氏は部屋に3つしか布団を敷かせなかった。それというのも、
T木氏が、Y川氏の○ ○○が煩いと部屋の外の廊下に布団を一つ押しやってしまったのだ。

T木氏は顔に似合わずデリケートなお方であり、T木氏とY川氏は、正に「迷」コンビである。
そして、料亭「瀬戸内」に着いた。
まず、大皿にふぐの刺身が運びこまれた。そして、白子、白子豆腐、から揚げ、ふぐの雑煮、そして雑炊等々と運びこまれた。
皆が飲 んでいる内に酒に弱い私は、ひたすら食べた。    

そして、人生について、世界観について、あれこれ話したが、その内容は全く憶えていない。
ただ、ベルトを緩めたことは記憶にある。そして自分がこの上なく幸せに思えた。
帰りは、すこし酔っ払い、グッスリ眠って福岡に到着したがゆえに、帰りのバスでY川氏が歌を歌っていたかどうか、
定かではない。

 次のグルメ旅は、佐賀牛だそうだ、是非、より多くの学友が参加されることを望む。

                                                           2006.2.4〜5

短編小説「由布院下見チン道中旅行記」        M・H


21回生のクラス幹事や福岡周辺に住んでいる21回生を集めA田氏の親族の所有する由布院の別荘に行ってみようかと話が進んでいた。
そこで、A田、O浦、T田、H部、の4人は下見に行くことになった。

平成17年9月10日の土曜日の夜、突然Tから私ことHの家に電話があった。

T 「Tやけど、明日、AとOと自分が由布院の下見に行こうと思うけど、H君行かん、でも、奥さんに怒られない」

H 「嫁さんの件は、大丈夫と思うよ。でもねー、うんー、行こうかね」

T 「それなら、明日A君の事務所に午後1時に来て」

Hは、翌日、ちょうど選挙の日、昼飯を食いながら、ふと時計を見るとすでに12時45分だった。
「しまったぁー」と思いながら、あたふたと洋服を着替えて家を出た。

時は、すでに午後1時に達していた。


Hの家からAの事務所までは、どんなに急いでも20〜30分はかかる距離にあるのだ。

Hは、いっしょに行くOは自分が遅れたことに対しぶつぶつと文句を言うに違いないと思いつつも車のキイを回した。

その時Hの携帯が鳴った。
「あっ、Oからの小言の電話だ」と思いながらもHは携帯を取った。

O  「俺、Oやけど、今3人でラーメンを食っている。すまんちょっと遅くなる。今、何処や」

「しめた」とHは思い、

H  「なんやー、今もうAの事務所の前に来ている。早よ、来いよ」といかにもそれらしくOに答え、Aの事務所に急いだ。

Hが事務所についた時、幸い、3人は未だ到着していなかったが、Hの到着と前後して3人が、Aの事務所に到着した。

H  「なんしようとかいな。大分待ったばい」

まぁー、そんな具あいで4人は、Aの事務所に集まり、たいした喧嘩もなく由布院へ向かった。

やがて、高速道路を経て由布院のインター近くの閑静な別荘地に到着した。
森の木立の中、小道を約200〜300メートル程行ったところに、Aの別荘があった。
木造コロニアル葺で2階建のいかにもリッチというか、小説に出てきそうな家だった。

玄関のドアを開けると直ぐ左側が約12畳の畳の部屋があった。
二階に行くとそこは、20畳位のダイニングキッチンとなり、モダンな暖炉があった。

先日の台風の風が煙突から室内に吹き込み暖炉の灰が部屋に散乱していたこととスズメ蜂が家の外を飛んでいたこと意外は、さほど気になるものはなかった。

ましてや、このスズメ蜂が、後にとんでもない不幸をもたらすことなど誰も予測しなかった。

そこで4人は、掃除に取り掛かった。

それぞれ畳の部屋を雑巾で拭き上げ、二階の散らかった暖炉の灰を電気掃除機で吸い取りながら部屋の掃除がほぼ終わりかけた時

O  「おーい、換気扇が回らんぜ」と言いだした。

A  「どれ、どれ、おかしいなー」

0  「おい、おい、あれを見てん、蜂の巣がある」
換気扇のファンを取り込む形で直径30センチもあろうかというスズメ蜂の巣がファンの回転を阻害していたのだ。

H  「おい、やめれ

時遅く、Oが、換気扇のファンの枠を取りはずし、ファン越しに蜂の巣を突付いたのだ。
同時に、一斉にスズメ蜂が部屋の中に入って来た。4人は、慌てて二階から、一階へと避難した。

言い忘れていたが、二階の部屋入り口にガラスの格子戸があり、一階と二階の出入りを遮断できるようになっており、これで4人は助けられた。

それから4〜5分後、その格子戸のガラス越しに二階の部屋の様子を見るとスズメ蜂が4〜5匹いたが、先ほどのような緊迫感は感じられなかった。
4人は、恐る恐る二階の部屋の中に入った。

そこで、Hは、スズメ蜂に刺されて毎年多くの人が死んでいること等、あることないこと、いかにも適当な講釈を始めたが、全くHの講釈などに耳を傾けないOは、再び換気扇に近づき、先ほど外した換気扇の枠を取り付けにかかった。

その時、またもや、何匹かのスズメ蜂が、Oめがけて外から、突進してきた。
なんとか、2度目スズメ蜂の攻撃も回避できほっと一息ついたのだが、なんと、
Oの脇の下に一匹のスズメ蜂がいるではないか。
その時落ち着いて静かに対処していれば、何ともなかったのかも知れないが。

O   「わっ、わっ、わっOは、一生懸命手でスズメ蜂を払いのけて回った。そして、突然ズボンを脱ぎだした。

O   「やられた」

なんと
Oは股間をスズメ蜂に刺されていたのだ。
そして、
Oのとばっちりを受け、Tの頭までも刺されたのだ。

ただし、Tは、さほど深く刺されていないようで、あまり痛みは感じていないようだった。

O  「吸ってくれ、吸い出してくれ」

Oの説によると、蜂に刺された時は、その毒を吸い出すのが一番だそうだ。
確かにそうだろうが、人間の口で吸い出したとして人間の吸引力などたかが知れている。

H  「バカ、男の股間を男が口で吸える訳なかろうが」

O  「頼む、どうかしてくれ」

そこで、正直なTが、

T  「分かった、吸い取ればいいのやね」

それを、横で見ていて見かねたH

H  「分かった、分かった、俺がしよう」

Oのスズメ蜂に刺されたところを口で吸い取るふりをして、指で、つまみあげ蜂の毒を絞りだした。

O  「あ痛たー

H  「この位我慢せいや、毒が全身に回っていいとや」

その後落ち着いた4人は、

A  「どうする」

T  「とにかく、薬屋に行こう。」

そして、4人は、薬屋を探しに由布院市街地へ向かった。
そこで、また、Hの講釈が始まった。


H  「大丈夫、大丈夫、でもね、まぁー、寒気がして悪寒が走るようになれば要注意らしいよ」等々

その時、Oは、たまたま、風をひいていたらしく
O  「俺、少し寒気がする。」

やがて、薬屋を見つけ、店に入るやいなや、Oがズボンを脱ぎだし店主に向かい
O  「失礼、スズメ蜂に刺されました。いい薬はないですか。」

店主は、箱になにやら蜂らしき漫画の絵が書いてある薬を取り出して
店主 「スズメ蜂に刺されたと言ってもこれをこまめに塗ってもらうしかないですなぁー」

O  「解りました、とにかくこれをください。」

OとTは、薬を塗りながら、
O  「おう、効く効く、気持ちがよくなった」

Hは、「そんなバカな」と思いつつ、
H  「そりゃー良かったね、なら、行こうかぁー」

こうやって4人は、途中、由布院市街地の喫茶店に寄ってコーヒーを飲み福岡への帰路についた。

帰る途中、Oが先ほど買った薬の箱の絵を見ながら、
O  「ねー、蜂は尻で刺すよねー、この薬箱の絵は、口で刺しているぜ」

H  「どら、どら、なんやこれ蚊に刺された時の薬たい。でも、薬が効いてよかったね。」

21回生諸君、この物語は事実に基づき少し誇張して書いていますが、この物語に登場した、A、OH、Tのモデルが誰かなど詮索はしないでください。

くれぐれもスズメ蜂には気を付けましょう。
なお、スズメ蜂の巣は、A氏が別荘の管理人さんに指示し今はなくなっています。
ご安心を。 

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