北へ シリーズ
 KIHAE SERIES  

 北 へ (三)
   1988年〜1991年

                                              by Pen Name Jichuan Yaner
北京は、万里の長城の内。長城の外は、東北三省(旧満州)遼寧省、吉林省、黒龍江省。
遼寧省省都瀋陽(旧奉天)・経済の中心は大連、吉林省省都長春(旧新京)、黒龍江省省都(ハルピン)

大連の三大祭
 5月 アカシアの大連
 8 大連国際ファッションショー
10 大連国際マラソン

   北京天安門広場  家族
 1989.6.4天安門事件以降、厳重警戒

大連外国人居住地「桃源山荘」
  我が家と娘
シベリア(おろし)が厳しく、最低体感気温△16 

同上
 ハンガリーアンディー家へ、家族招待
瀋陽(旧奉天)駅
 親父、本人、嫁さん、娘三代に亘り東北地方にお世話になる

5月 大連賞槐会(アカシアの大連)

 北  へ(二)

”南船北馬” 中国の南は船が中心で、北は馬である。
万里の長城の外の東北三省(旧満州)は、女真族ヌルハチを始祖とする清国を始めとして、騎馬民族が
群雄割拠した地方である。
 ”北方人大方。” 北方の人は、大らかである。南方を形容する言葉は無い。
 寺社仏閣は、万里の長城の内と比べ少ない。180の名跡・景勝地を有する千山は、特筆される。
 中国三大美人。西方は、青い眼の舞姫ウィグル。南方は、4千年の歴史を有し、全国から美女を集めた、
傾城の美女西施が代表する杭州。そして、騎馬民族・海の交流を通しての大柄・足長・Hip-up、モデルの中の
モデル大連。芸術・映画・TV界を多数占めている。

   
   北京

北京空港

大連、中国が誇る水彩画家陳芸氏の自宅
   大連自宅

呉姑城清泉寺、紀元一世紀の東漢時代設立

同左、三層五堂の仏教山寺

観音閣、仏教山寺

観音閣

響水寺

同左、謡琴洞

千山785m

千山、龍泉寺

撫順、白塔

中国北朝鮮を結ぶ橋。
 左側の橋は、朝鮮戦争後に建設。
 右側の橋は、日露戦争後に建設。
  朝鮮戦争で、空爆により一部破壊で、そのまま。
  激戦地でもある。

中国側、鴨緑江が国境


北朝鮮側

同左

同左

元宵節(春節 15日)

 北 へ (三)

「暑い日は思い出せよふじの山」(正岡子規)
「君行かば山海関の梅咲く」(内藤鳴雪)
「山川草木転た荒涼 十里風腥し新戦場 征馬前まず人語らず 金州城外斜陽に立つ」(乃木希典)
「死屍幾万山河をうずむ 乱後村童野花を売る
「春去り秋来たり功未だ就らず 沙場二歳家を知らず」(児玉源太郎)
「敵艦隊見ゆ」(明治38年5月27日04:45am. 哨戒艦信濃丸第一報)
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
「皇国の興廃、此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ。」
「行く春の酒をたまわる陣屋哉」(正岡子規)
「9月4日に”遼陽会戦”は日本側の勝利に終わった」
「大抵の人は妻子を持つと共に片足を棺おけに衝っ込みて半死し、進取の気性衰え退歩を始む。
…自己自発せざる者は、教たりとも実施すること能わず。」(秋山真之 天剣漫録)
・・・・・・・・・・・・・・・
続きは、「坂の上の雲」(司馬遼太郎)、「天辺の椅子」(古川薫)を拝読のこと。

日本が、官位官職何するもの、身命を御国の為に賭した時世。


北京、明の十三陵
北京、紫禁城端門

北京、中国人民大学外国人専用寄宿舎
1985年から86年、1年間派遣留学

瀋陽故宮
大連、中国女性スタッフ
       遼寧省、金州南山

露国兵士共同墓地
     遼寧省、大連

大連市人民政府(旧関東州庁)

大連法院(地方法院)

公安局(警察学校)

大連賓館(ヤマトホテル)

財政局・労働局(市役所)

教育局(中国銀行)

中国銀行(横浜正金銀行)

郵便局(関東逓信局)

中国工商銀行(朝鮮銀行)

対外貿易局(大連警察署)

文化庁(教会堂)

勝利橋(日本橋)

鉄路病院(満鉄大連病院)

秋林百貨店(三越)

大連鉄路分局(満鉄本社)

第16中学校(大広場小学校)

衛星学校(大連第二中学校)

大連理工大学化工部(南満州工業専門学校)

大連駅

療養所(割烹、一方亭)

大連芸術学校(ロシア教会)

大連芸術学校(日本神社)

大連市図書館(西本願寺)

中山公園(聖徳太子堂)

同、右上
      遼寧省、遼陽  

遼陽首山堡
     黒竜江省、ハルピン

松花江
1900q、零下30度の冬は、歩いて渡れる

中央大街(キタスイカヤ街)

中国ハルピン華梅西餐庁)

北 へ (三)

「北帰行」 宇田博
 宇田博氏が、旅順高等学校時代に、心ならずも旅順を離れるに際しての作詞作曲。
「窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく
 北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず

 夢はむなしく消えて 今も闇をさすらう
 遠き思いはかなき希望 恩愛我を去りぬ

 今は黙して行かん 何をまた語るべき
 さらば祖国いとしき人よ あすはいずこの町か」


 日本は、栄光とともに20世紀が明けたはずが、
今も反省難しの官位、官僚、中央集権による泥沼の時代を迎え、
やがて崩壊の道をたどる。

「春望」 杜甫
 国破山河在、城春草木深。
 感時花濺涙、恨別鳥?心。
 烽火連三月、家書抵万金。
 白頭掻更短、渾欲不勝簪。
        写真集

北京動物園

山海関
  万里の長城の東端、渤海湾に沈む

大連、りんご園

大連、自宅
  家族中国語教師&Miss英語3年生in外大
       遼寧省、湯崗子
      遼寧省、瀋陽(旧奉天)
          吉林省、長春(旧新京)

全景

長春映画村(満州国映画株)

長江路(吉野町)

中国共産党吉林省委員会(関東軍司令部)

白求恩医科大学(満州国国務院)

白求恩医科大学(法務院)

白求恩医科大学(経済部)

白求恩医科大学(最高法院)

地質学院(満州国帝宮


吉林省人民政府(憲兵隊司令部)

中国人民銀行長春分行(満州国中央銀行)

公安局(首都警察庁)


長春市電話局(満州国電電公社)

郵便局(中央郵便局)


吉林省委員会(日本国大使館)

長春市委員会(康徳会館)

石油化工設計研究院(民生部)


貿易政庁(興業銀行)

長春百貨大楼(三井中井百貨店)

長春市立病院(海上ビル)


第一幼稚園(新京神社)


東北師範大学付属中学(文教部)


長春市第一中学(敷島高等女子校)


市内電車(西広場)

給水塔(西広場)


日本家屋(西広場)

吉林省博物館(満州国宮廷)

吉林省博物館(満州国宮廷)


吉林省博物館(満州国宮廷)


吉林省博物館(満州国宮廷)

吉林省博物館(満州国宮廷)



吉林省博物館(満州国宮廷)

渾河


北 へ (五)

 「大地の子」 (山崎豊子)
 発刊とともに一気呵成に拝読した。TVも見た。今、又Videoで新たな感銘を受けている。
陸一心の過ごした大連鋼鉄学院、実在は東北三省の雄、大連理工大学(旧満州工業専門学校跡地)、
老虎灘、棒垂島等、作家の微に入り細に入りの描写には驚嘆する。山崎さんが得意とする、スタッフの入念丹念な
足で稼いだ賜物である。
”兄妹深情”
一心:”即使zamazaba都不在了、gege也会帯着ni回去的!一定能回去的!”
    「父さん、母さんが居なくても、お前を連れて帰る。きっと日本へ帰ろう。」
    ・・・
玉花:”Ge、其実、俺做夢都想回去ya!"
       「お兄ちゃん、何としても日本に帰りたい。」
       ・・・
       ?小説原文で妹の悲惨の極みは、TVではやんわりとへ変更されている。
”遊長江”「揚子江に遊ぶ」
一心:”・・・大地的児子。大地的児子、我是大地的児子!Zhe塊大地就是我的父親!就是我的母親!

大連・満州出身者は、今、思い出すだけでも列挙に暇が無い。
 故木村睦夫参議院議長、故大来佐武郎外務大臣、故井上孝国務大臣、向坊元東大総長、故三船敏郎、
故ジョージ川口、故芦田伸介、山田洋二監督、森繁久弥、小澤征爾一家、加藤登紀子一家・・・
日本の、復興に貢献した錚々たる人物を輩出している。


大連自宅前

同左

大連自宅
ハンガリーアンディ家を日本食で招待

大連事務所
家族の中国語教師と
大連駅”遼東半島号”
  最低体感気温零下16度の遼寧省・東北三省の 経済の中心地大連から、半年間、町全体天然ス ケートリンクと化する零下22度遼寧省省都瀋陽、 見渡す限り山一つ無い大平原満州平野の、零下 25度吉林省省都長春、大河松花江が凍りつき渡 河できる零下34度の黒竜江省省都ハルピン、の 各旅遊局への春節挨拶一週間の旅立ち。

大連駅
上野駅がモデル

瀋陽(旧奉天)駅
東京駅がモデル

長春(旧新京)駅
          旧ヤマトホテル(満鉄ホテル)

現大連賓館

現遼寧賓館

現ハルピン鉄道局招待所

庄河懸冰峪溝
遼寧の「小桂林」の異名あり

同左

同左

鞍山
昔は鉄州と呼ばれ、一千年前から採掘

瀋大高速道路
瀋陽・遼陽・鞍山・営口・大連を結ぶ375KM

大連経済技術開発区

アカシア祭

同左

同左

北 へ (五)

◎北京1年、大連3年間の駐在の折、「日本人としての矜持」に触れて、一番の感銘を受けた。
   大連支店の、中国人女性スタッフ3名は、中国屈指の大連外国語学院日本語学科を卒業したばかり。
  日本語の美しさ、昭和30年代の、まさに、「さくらさくら」の世界。日本人に対する礼儀正しさ。それもその筈。
   恩師が日本人。終戦後、引揚船で戻りたくても、戻らなかった、戻れなかった人々である。
  その折、帰国の意思の判断能力を有する12歳?を越えていたという理由で、残留孤児としては認められ
  なかった人達でもある。
   かかる大正の人と接する度に、爽やかさと、逆に己の恥ずかしさに感じ入った。直立不動での挨拶、毅然と
  した態度。車での送迎を固辞されると共に、杖を突きながらも背筋を伸ばして、帰宅される所作。そして美しく
  優雅な日本語。全てが崇高である。
   言語に絶する艱難辛苦を味あわれたであろうに、今も、祖国日本への愛情は深い。
   後生、現代の日本、懺悔の極みである。

◎お薦めの旅。桂林、長春(旧新京)。
  ・桂林…愛媛県の人達と旅した折、70歳前後の元気な一人旅の男性がいた。オーナー経営を息子に譲り、
  子供達からの同居を断って、これからは悠々自適の老人ホームでの設計であった。世界の名所旧跡の走破は
  勿論のこと、アフリカ、南米、南極、北極…ずべて行った。最後の旅の終わりに選んだのが、二度目の桂林で
  あった。日本では5分間で済むパノラマが、約2時間の絶景。又、船中で食べた中国料理は、野菜を中心と
  した日本人好みの味であった。
  ・長春(旧新京)…気宇壮大な跡。昔の日本人は、偉かった、凄かったに尽きる。機能をそのまま活用している
  中国人、優秀な民族と再認識した。

大連港・渤海湾

大連、老虎灘、「紀尾井」

旧大連球場
大連一中、大連二中の対抗戦は満席だった

大連自宅

大連、六一幼稚園
名門、エリート幹部の子弟が通う

大連動物園

大連アカシア祭

大連空港
空軍併設

瀋陽空港

遼寧省本渓駅

満鉄のシンボル、世界の「アジア号」
新幹線へと連なる

承徳駅
清王朝6ヶ月間の避暑地

北戴河駅
北京から、seasideの避暑地

瀋陽故宮

少林寺

天津、南海大学
全国重点大学の一つ

北京、盧溝橋
1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋での発砲事件により、支那事変(中国では七七事変という
)の発端となる。

北京、日中友好病院
高級医療病院

北京、中国人民大学外国人寄宿舎

同左、二人部屋

中国人民大学大学院生
毎晩火曜日2時間、一年間に亘り、博多大浜弁で、昨今の日本の若者の生活・文化について日本語教授。授業の始めと終わりは、「ふるさと」・「惜別の歌」を合唱
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