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           第9回21回生同窓会  2007年8月11日 福岡リーセントホテル


今回の同窓会には64名(男性51、女性13)の方が参加されました。
クラス別の出席者名は最下段に掲載しています。



       2次会写真集
左の写真は宿泊の部屋で3次会です。

1次会後の集合写真を撮るのを忘れました。
ホテルのスタジオで参加者全員の集合写真を
撮る予定でしたが・・・
ドジな編集者です。
深く、深くお詫び致します。
第9回同窓会出席者
1組 2組 3組 4組 5組 6組 7組 8組 9組 10組
1 山口 須河内 増田 安武 一万田(徳富) 玉利(河野) 城野 添田 安永 高山
2 手島 大坪(森田) 瀬利 高田 柏木(大野) 尾高 稲永 眞子 吉富 江頭
3 服部 吉浦 具島 鈴本(犬丸) 山城(井上) 福嶋 床島 結城
4 稲葉(吉田) 大浦 寄川 松尾 本嶋 力丸(日永田) 広津 川上
5 奥村 小西(蓮尾) 赤司 吉田 森實 藤岡 加来 松本
6 吉田 三宅 前田 稲吉 中村 木村 成末
7 秋根 田中 飯田(神子) 行實
8 井上 平田 田所 烏田
9 岩本 田中 安部
10
5 6 9 8 9 9 6 6 3 3
男性 51名
女性 13名
合計 64名
素敵な友人たちへ
真子さんと福嶋さんのエピソード

埼玉県の製薬会社に就職した真子さんの愛娘の上司がなんと福嶋さんだった!・・・・
福嶋さんに「同窓会に出ておいでよ」と誘われた真子さんは断りきれず出席!
「来て良かった!」と思ったとか、思わなかったとか!・・・
飯田(神子)さんの初参加

高校以来行方不明だった神子さん・・・・たまたまHPを見つけて掲示板に投稿したのが運のつき!
高田さんや中村さんの口車に乗り、いつの間にかブログ運営を任せられる羽目に・・・・(T_T)
松本さんと小西(蓮尾)さんのダンス準備奮闘記

アマの松本さんがセミプロの蓮尾さんに一日2時間の特訓で5日間もしごかれる。今日の日を夢見て頑張った成果は如何に!
本人のみぞ知る・・・・
山城(井上)さんと前田さんのバウハウス物語

井上(貴)さんの歯科医院でインプラントの企画宣伝をバウハウスに頼んだそうな・・・
同窓会に来る前にHPを覗いて初めて知ったそうな・・・「あっ 前田さんがバウハウスの会長?」
「以前から知っていたなら安くして貰えたのに・・・」と井上さんは思ったそうな。
前田さん曰く「安くしたのに・・・」と酔った景気で・・・
稲葉(吉田)さんと稲永さんの因縁

稲永さんの航空自衛隊の時の先輩(今度還暦を迎えました)が吉田さんのご主人だったとのこと。稲永さんいつまでも吉田さんに頭が上がらない!
いつまでもよろしく〜う!
感想文書いちゃるけん!
寄川
「岩本ちゃん、あんまり気ば使わんで良かったとに!」  2007.8.11
先ずは、支配人と言うか幹事の岩本修さんに感謝の念を慎んで申し奉ります。
贅沢の極みの建物。
広々として天上が高く清潔感に溢れた一次会場。
初めてのDanceFolk Song…が満喫出来た華麗な壇上。
山海の幸、和・洋・中を取り混ぜた質量ともに一流の美味。
気の利いたサービス、冷えた銘酒「西の関」の提供。
二次会場は、広々としたくつろぎの畳の広間。言わず語らずの美酒「千寿」の用意。
岩本君は、一次会でも二次会でも皆の前で、増田、寄川両名からうるさい注文を受けたと、
のたまれましたが。我等二人は、あくまでも願望を申しあげたつもりだったのに。
それと、中浴場が極楽、極楽。風呂があるかどうかを確かめたつもりだけだったが、一風呂浴びて一汗流して会場に臨めるとは。最高、こりゃ又最高。
岩本ちゃん、気ば使わんで良かて言うたろうが。
未来永劫、皆一同、岩本君ば頼りにしとうばい。ずっと勤めんといかんばい。
皆の、幸せの為たい。深謝!

稲永
参加者がこれまでの開催で最小人数は寂しかったね。案内がメ-ルと葉書の二通りのため確実性が薄れ不徹底になったと思われる。
三宅傑君の案内状がこなかった事例あり。しかし、ダンス、フォ-クギ-タでの合唱は良かったです。
残念な事は全員での記念写真を撮らなかったこと。やっぱり同窓会は良いね。
懐かしさいっぱい、楽しさいっぱい、放言いっぱい、仲間はいいね〜ぇ。幹事さんお疲れ様でした。

飯田(旧:神子)
卒業からこのかた隠れていたにも拘わらず、快く迎えて下さった皆様方にただ只感謝でいっぱいです。
当時は父の転勤で福岡におりましたので、卒業後はご縁が無く今日に至りましたが、同窓会を機会に又足を運ぼうと思います。
40年近い月日が経っても、皆さん何処か当時の面影を残していらっしゃるようですね。すぐに高校時代に戻り話に花が咲きました。
次回も是非参加させていただきます。
幹事の皆様、本当にご苦労さまでした。そして有難うございます。
同窓生の皆様方もこれを機会にブログ「かさぶらんか」を宜しくお願いします。コメント首を長〜くしてお待ちしています。

松本
同窓会準備名目の幹事会の打ち合わせの後の飲み会の時、小西さんとダンスの話をしていたら、吉田さんに「あなたたち、同窓会の時に踊ったら」といわれ酔いに任せてついその気になった。酔ってる時は何でもできると思うのが私の欠点。

私は公民館で
3-4年習っているが人前でなんか踊ったことは一度もない。まー宴会の余興ダンスと軽く考えていた。小西さんは、競技ダンスの達人であちこちの競技会で優秀な成績を収めているというのを後から知った。彼女が行くダンススタジオで練習開始。初めはルンバとタンゴをしようということだったが、私の実力を見て、ルンバ1本でいくことになった。とにかく、恥ずかしいくらい基礎ができていないと実感し緊張してきた。小西さんもルンバウオークの基礎の体重移動から我慢強く教えてくれる。ルンバの発祥の暗い歴史から今は恋の踊りになったことなどこのとき知った。小西さんのダンスの先生も色々アドバイスをしてくれ曲も決まる。同窓会前日の最後の練習の日、小西さんの提案で練習成果を見せるためダンススタジオに妻を連れて行った。

同窓会本番は、いろいろ間違ったようだが、楽しくて、あっという間に僕の初めてのダンスは終わった。拍手し声援を送ってくれた同窓生に感謝。そして小西さん、いろいろ教えてくれて本当に本当にありがとう。

追伸
田所、小西、大浦、松本でフォークソングを歌おうと二回練習した。戦争は知らない、白い色は恋人の色、の二曲。練習は上手くいった。本番は森寛氏や数名加わり人数に不足はないと自信を持ったが、マイクの調整が不十分で音が聞こえなかったようで・・・・・・・・・。次回、三度目はどうする?田所さん。

中村
「ホームページ委員として写真を撮らなくては」と使命感に燃えていた高田さんと私め中村は、ほとんど食事をした記憶がありません。お腹は一杯にならなくても大役を果たせたという満足感で一杯でした。
踊りあり、ギター演奏ありで高校時代を思い出しました。

左記の写真は予餞会の時に先生の伴奏をした写真です。
篠田先生から「西と中村!お前たちで伴奏しろ。」と言われて、あまりギターを弾けない私が、西君の助けを借りながら、伴奏と言う大役を果たしました。左端に私がほとんど写っていないのがミソです。

私がギターを弾いた時代があったことを天邪鬼寄川さんが信じないので投稿してみました。
このときのことは誰もおぼえていないだろうなあ〜

岩本
「皆さん、満喫されたでしょうか。」 

一言で言えば、私自身は支配人としてではなくて参加者の一人として、完全に泥酔しました。皆から、一次会並びに二次会の途中から、各々平田君、増田君の司会者のマイクを取り上げて、司会者になりきっていたと言われたが、全く記憶にありません。一次会から、宴に興じて酒を飲み過ぎて、忘却曲線が二乗になってしまったみたいです。

 同窓会の催しは、全般としてスムーズに行ったと理解しています。ドタキャンが一名あったものの、飲食・サービスの提供は計画通りでした。酒については、三次会の狭い部屋で、たくさんのBeerを供出した事は覚えていますが、一次会、二次会については満足されたのでしょうか。食事は、年齢に合わせた質量としました。いかがでしたか。

 一次会、平田君の進行にて予定の2時間で締めた事が、二次会に予想を遥かに超える50名の皆が見える賑やかな宴席となりました。
皆さん、喜んで貰ったものとしまして、感謝の念を改めて申し上げます。いずれにしましても、同窓生としての私が一番酒を浴びて、又最高に楽しんだのかなと、感謝しております。
では、又皆さん元気で会いましょう。

高木(達)
12日からお盆休みになりました。これまで自宅の整理ができなかったので、この休みは福岡には帰らず、家の中の整理をしています。部屋は本棚が2つ倒れました。その他、家具の位置がずれたのと、高い所のあった物が落下しました。しかしガラス等の破損がなかったのでまだ楽な方です。この際、物を減らす事を考え、大掃除をしています。地震後2週間は工場の復旧という事で、家は寝るだけで、食事も3食を会社で救援物資を食べていました。今回は自宅の水道が出るまでに10日、ガスは3週間かかり、その間トイレ、お風呂が使えなかったのが一番大変でした。地震から1ヶ月が過ぎ、市内はようやく倒壊した家の取り壊し等が進んできました。今回の地震では特に木造の古い家の被害が大きく、瓦葺きの二階建ては1階部分が完全につぶれてしまった建物がたくさんあります。特に市内の古い商店街では50mおきに倒壊しています。
 工場の復旧についてはニュースでずいぶん報道されたようですが(私は地震後2週間はニュースは全然見ませんでしたが)、最初に工場を見た時は愕然としました。転倒した設備、台座から外れて傾いた設備があり、ほとんどの機械が数10cm位置がずれていました。生産はお客様の支援で1週間後、23日から立ち上げる事が出来ました。カーメーカを始めとして多くの客先から700名を超す人に入ってもらいました。ちなみに当工場は社員1000名+その他500名で、職場によっては社員以上の応援者に入ってもらいました。一番被害が大きかったのは海岸に近かった関連会社の工場で、液状化のために工場の床に段差が出来たために、設備を全て倉庫だった別建屋に移して操業を開始しました。今回は会社が休業日という事で、地震による社員の労災は設備修理中に機械から落下して手を骨折した1名のみでした。操業していれば相当数の被害が出ていました。全く幸運でした。
この休みで少しのんびり出来ました。20日から客先への品質確認結果等の報告をしなくてはなりませんが、また頑張るつもりです。
帰福の際はまた飲みに行きましょう。


高田

使命感が足りなかった!

ホームページ委員として写真撮影と取材の使命感に燃え飲まず食わずで満足感で満腹になった中村さんとは違って、食わずに飲むと悪酔いするのでそこそこ食って飲みました。使命感までそこそこ食って飲んだのかもしれない。

大事な大事な集合写真を忘れました。他にも組別の写真を撮る予定にしていたのに、これもまた・・・実は前日、三脚を使って集合写真の予行演習までして同窓会に備えました。無駄な努力?に終わりました。2年後の同窓会では努力が実るでしょうか。使命感の重さが問われそうです。同窓会一次会の2時間は早かった。集合写真の記憶が戻る余裕はありませんでした。3時間あったら記憶が戻ったかもしれません。同窓会の雰囲気に酔ってしまいました。
使命感がシメイて(終えて)いた。


「土と同窓会・・・」

この年になると、皆頭に白いものが混じったり、薄くなったりで卒業からの年月を感じさせる風体に・・・。
こうゆう場所で会える友人は、まあそれなりに自分の人生に意思を持って生きてきた人達だろう。
物故の友もいる、老いて(?)益々盛んな友もいる、第二の人生を楽しむ友もいる、そして今を楽しむ友がいる。
今回も大学卒業以来始めて会った森実君とか珍しい友人にめぐり合えたのは大変よかった。
サラリーマンと農業との二足の草鞋で、ここまで歩いてきた。
体が次第に衰えていく自分がわかる、田んぼの畦草を切りながら一人想う。
背中の草刈機の重たさと灼熱の太陽と混合油の匂いの中で・・・。
畦草の虫達の世界は大慌てで、水の中に飛び込む蛙達、羽を大きく広げて飛んでくバッタなど。
その中で汗を拭き吹き昨日の同窓会を想う、昆虫の世界にはない同窓会。
そんなことを想いながら生きとして生きていく人間、喜怒哀楽を伴侶として。
明日も生きていこう土とともに、そこに田があり、畑があるから。
家族と生きる場所、友達と生きる場所、地域と生きる場所。
歳とともに同窓会もそんな場所になってくるだろう・・・。

木村

関君のつくった葡萄をほおばるとき
彼の顔や言動が蘇えり本当に味わい深いものです。

平田

このたびは無事に、そして楽しく(やや盛り上がりに欠けたかも?)司会進行の大役を全うすることができました。
これも一重に、幹事各位及び皆様方のおかげだと深く感謝しております。
しかしながら、今回少し残念なことがあります。
それは、司会をするにあたりまして、詳細な事前打ち合わせがないまま本番を向かえ、急遽その場しのぎのプログラムで進行したので、満足できずに終了したことです。(反省!)
次回は節目となる10回目ですので、原点に戻ってしっかり事前打ち合わせをしましょう。
そして、参加者100名以上(今回は64名)を目標としまっしょ。(気合入れすぎかいな?)
それでは、また会う日まで!!

森田(雅)
ご連絡誠に有難うございました。
なかなか同窓会にタイミングを合わせて帰省する機会がなく、皆様とは疎遠になってしまっていますが、ホームページの写真を拝見させていただくと昔の面影が残っている仲間の顔が何人か見受けられ懐かしいかぎりです。
(大半は誰が誰だか判りませんが...)。
今後機会があれば同窓会に参加させていただきたいと思っております。
今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。


写真を送っていただきました。
目立たないところに控え目にとのことでしたので、それなりの配慮をしました。
森田さんもご覧の皆さんも満足いただけたでしょうか・・・
ホームページ初登場ありがとうございます。
森田さんは現在横浜在住です。
同級生の懐かしく新鮮かつ最新の姿です。




小西(旧:蓮尾)

松本さんと練習を重ねるたびに、松本さんが変身し成長するのを感じました。
知らなかったことをどんどん吸収し、見る見る間に踊れるようになりました。
練習の最後の日には、松本さんの奥様にも成長具合を確認していただきました。
奥様からは「「一応人前で踊れるレベルにある。」と踊る許可までいただきました。

しかし、当日は緊張していたせいか、練習の半分しか成果を出せませんでした。
タイタニックの音楽に合わせて踊らなくてはならない振り付けの半分しか踊れませんでした。
見ているかたは気づかれなかったと思いますが、半分はごまかしたのです。
「ごめんなさいね!次回はきっとリベンジします。」
悔いが残るダンスでしたが、とても楽しい思いもさせていただきました。





寄川

今第921回生同窓会にて、博多手一本の指名を受けた。
 私事だが、中二迄、博多貿易港の内航船の中心地、大浜町で生まれ育った。山笠は「浜流」であったが、小学時に失って仕舞い、小六で「浜」の法被が着納めとなった。流区域の山が無くなり、中一、二は走れんの寂寥感を味わった。
 今年、同じ博多大浜地区で隣町竪町(たてちょう)の幼馴染のお蔭で、きれいな櫛田入りの伝統と歴史を有する「恵比須流」に加えて貰った。44年振りに、「オイサッ」「オイサッ」の掛け声とともに博多の町を走り抜けながら、遠い遠い暑い夏の日の想ひ出が走馬灯の如く駆け巡って来た。
 山の期間で、711日の朝山、別名「祝儀山」「縁起山」を、こよなく愛する。早朝の5時から6時にかけて、流を構成する町を舁()く。途中で、本年、初盆を迎える家々に追膳の儀式を催す。舁き山を大きく揺らした後に、山の表を家・一族に対峙させる。博多祝い唄を歌い、博多手一本で締める。爾後、中学生、高校生、若い衆が「祝うてください」と大人衆に敬酒を振舞いながら、皆で供養を営む様は、賑やかであり荘厳でもある。中二の終りに博多を離れた身なので、親或いは自身の追膳山は見果てぬ夢となったが、気持だけでも山とともに見送りたいものだ。
 二年後、四年後の第1121回生同窓会の折は、「六十而耳順(六十にして耳を傾けしたがう)」の年だ。皆で、有終の美・掉尾を飾ろう。次の新しい門出の為に、臍下丹田に力を込めて五臓六腑に染みわたる手一本で、又一つの区切りを祝したいものだ。


半蔵

先日より誰かがしつこく今年度の21回生同窓会の感想文を書けと言ってくるので,仕方なく、高校のころの出来事に想いを巡らしてみた。
思えばわが人生の中で高校生活ほど辛く暗い日々を過ごした時代はなかった。と言うのも不治の病に侵されて一日、一日痩せ衰えていく母親を横目で見ながら、受験勉強をせざるを得なかったのだ。ただ辛かったとしか言いようがなかった。
そのような中で唯一自分を励ましてくれたのが,男女クラスの華やかさと友人のさり気ない励ましだった。
3年の夏休み,クラスで芥屋に海水浴に行くことになった。ところが,病身の母親に弁当を作ってくれなどとても言える状況ではなかった。そこで、クラスの或る女性に思い切って,自分の弁当作ってもらえないか頼んでみたところ快く引き受けてくれたのだった。
もともと,不器用で、母親以外の女性とろくに口など訊いてもった経験のない自分にとって感激一入だった。
当時、我が筑紫丘の男どもは、我が身のことを考えず適当に女子の容姿を評価してもその優しさに言及するものは、誰一人としていなかったように思えた。
 自分なりに、「誰でもいい、筑紫丘を卒業した優しい女性と結婚できたらなぁー」と思っていたのだが、ふと気づいたらいつの間にか、筑紫○○高校卒業の女性と結婚してしまっていた。あーぁ、夢破れて35年,今や12太郎,孫1人・・・・・・・・・・・・
・・・・・・「アンタ、○○チャンのオムツがないよ。ボケーとせんで,で、早う買ってこんね」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上

また、次の同窓会で皆様と合えるのを楽しみにしています。

吉田

 「8.11 同窓会へのお誘い」           

                  2組  吉田 敬子

   探し続けていたものは
   見つかりましたか

   真夏の海辺で 朝を待つ
   あなたの足元に打ち寄せる 白い波と
   彼方に広がる水平線

   あるいはまた
   喧噪の季節のさなかに 消えていった
   遠い日のシュプレヒコール

   そんな過ぎ去った日々を
   懐かしみながら

   ひととき 故郷の町へ
   帰ってきませんか

第8回同窓会へ


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